ふらち、ふらち
「だーかーらー」
「それ俺と蝮が行けばええやつやん!お前はチケットだけ取ればええやつやん!」
「だーかーらー!俺の伝手で取ったチケットやぞ!?柔兄横暴すぎん!?」
道理に適わない、と思いながら玄関先でそのチケットとやらを見せながら金造は実の兄を怒鳴りつけていた。11月、秋も深い夕刻の玄関先での言い合いのなんと空しいことか。
「3枚あるんやから俺も行くわ!」
「はーっ、信じられんわ金造お前漫画の読みすぎやぞ、兄嫁に手ェ出そうとかそういうとこまで最新の流行についていかんでええねん!」
「だ れ が 蝮みたいな蛇女なんぞに手ェ出すか!あんたの方が漫画の読みすぎや!」
「なんなん金造、あての悪口か」
あまりにヒートアップし始めた兄弟喧嘩に見かねた「兄嫁」が居間から出てきた。帰り際や出がけに玄関先で口論などはそれが柔造と金造だろうと、八百造と二人のどちらかだろうといつものことだが、あまり長いと空気の冷たいこの頃は風邪を引かれてはたまらない。
「蝮ー!今日の飯は!蝮作ったやつ!?」
愛妻が出てくれば一転して飛びつこうとした夫の柔造を蝮は手刀一発でかわした。
「手洗いうがいしてからな」
「してからなら抱き着いてもええんかい」
的確なツッコミを入れた義弟の方も蝮は振り返る。
「あんたも人の悪口言うとる暇あったら手洗いうがいしなされ」
「ちゃうねん!柔兄がお前を盾にして人から結構な金額のもんを巻き上げようとしてんのや」
「は…?あんた金造にたかっとんの?」
「違うー!ちゃうねん!金造お前絶妙に俺の好感度が下がる言い方すな!」
要領を得ない兄弟喧嘩に、蝮はまあいいかという気分になって踵を返す。とにかく夕飯を温めて、それこそ手洗いうがいをした二人に食べさせなければ、とそちらの方が圧倒的に優先順位が高かった。
「あ、蝮!今度の木曜空けとけよ」
「はいはい」
義弟の言葉を聞き流して家に入っていく蝮に、夫である柔造は意味不明な悲鳴を上げた。
*
二人がそろって食卓に着いても、柔造の不機嫌は直っておらず、金造は面倒そうにそちらを見遣った。蝮は特段その不機嫌の原因が思い浮かばないのでいつも通りにご飯をよそう。
あの不浄王の一件から柔造の嫁になって、一年と少し。こういったことは珍しいことではなかったから、蝮も気にしていないのだ。嫁が板についているといえばそうだが、それはそれで悔しい柔造である。
「なあ、蝮?愛する夫がなんで機嫌悪いか聞いてみん?」
「しょうもない理由やろう?金造にたかったのばらされたとか」
「ひどい!!!」
「ちゅーかたかりっていうか柔兄の分もあるって言うてるやん。柔兄も木曜休みやろ」
なんでか知らんけど、と続けた金造に、蝮がそりゃあと言い差したら、柔造は今度こそ不機嫌のかけらもない顔で数度瞬いてみせて、それを見た蝮は口を止めた。その一連の流れを見て、今度は金造が理解不能という風に顔をしかめた。
「あんたら、よう分からんイチャつき方せんでくれる」
「まあ、ええわ。そんで金造、木曜って何かあるの?」
不意に話題を戻されて、唐揚げをつまみながら金造は答えた。
「あー、うん。あれあれ、舞台のチケット取れたんよ、平日やさかいたまたま3枚もな。そろそろドクターストップも解除なったやろ?そないうるさいやつと違うらしいし、ええんちゃうかな」
金造の言うドクターストップ、というのは蝮の目と暗所への精神的負担の両面から出されていたものだった。映画館などへは恐怖心や目の心配から止められていたのだが、先ごろそれが解除された。解除まで一年近くかかったが、晴れて…と言いたいところだが、夫である柔造としては一人でやるのはまだ怖い。それは蝮も一緒だから、何とはなしに、映画や舞台などの観劇は避けている節があった。
「三人やったらええやろ」
「ほんま?柔造、ほんま?」
笑顔の蝮に振られたのは柔造だった。それで彼はグッと奥歯を噛む。無意識だろうがなぜ、なぜそれを持ちかけた金造ではなく俺に聞くんや卑怯やろそんな顔されたら断れんやろあー俺の蝮マジ天使、マジ天使だけど俺だけの天使でいてくれ!と思いながら、柔造はすべてを呑み込んで答えた。
「ええんちゃうかな」
*
『不埒、不埒』
詮議の場で出た言葉に、蝮は食い入るように舞台を見つめている。金造はどうしてこうなった、と思っている。何故、古典芸能なのだ、と。劇場に着いたときに、勝ち誇った顔をして「ど あ ほ う」と一音ずつ区切って蝮には聞こえないように口の動きだけで超絶の笑顔とともに言った兄が今は憎い。
「金造、あんたこれよく取ったなあ。こういうの興味あったんやなあ…」
感慨深げに蝮に言われて金造の顔は引きつった。間違えたとかそういうことではなく、隣の柔造の笑顔があまりにもさわやかだったからだった。確認を怠ったのは自分の責任だが、自分の兄がなぜここまで上機嫌なのか、チケットを見せた時とは打って変わったそれが何よりも気持ち悪い。
「蝮こういうの好きやんなあ。金造よくやった!蝮の観劇復帰一作目によくこれを選んだ!誉めてつかわす!」
「ちょっと待て、柔兄もよくわからん…」
よくわからんやろ、と言い差したが、その瞬間に柔造は蝮が財布に手を伸ばすより早く劇場用プログラムを購入して、なぜかその舞台についての講釈を垂れている。
「このヤロウ、自分だけ勉強してきおった」
ぼそっとつぶやいた金造の言葉は、柔造蝮夫妻には届いていなかった。
*
「結局なんだったん、これ」
「あれ?金造はよう分からんままやったんかー残念やなー」
煽りおる…と思いながら、柔造の言葉を無視して金造は終幕後に蝮の方に問いかけた。
「ああ、あれよ。大岡越前みたいな?」
「ざっくりしすぎやろ……」
「え、これやったら金造でも分かるかなって…」
観劇後の余韻でぽやぽやしている蝮から金造はプログラムをひったくる。内容をざっと読めば、謀反人か何かの詮議と処断が主な内容らしかった。話は大団円を迎えるそこまで書かれていて、「ネタバレやん」と思わずつぶやいたが、なるほどこれなら自分の兄でも事前調査さえすれば講釈を垂れられるわけだと柔造の方を見ればやはり勝ち誇った顔をしていて、金造は一気に毒気を抜かれた。
「あんたらほんまラブラブやな」
「なっ、なんやの!?金造が連れてきたんやない!ていうかラブラブとか今時そういう言葉使うん!?」
そこ!?と思った後に金造は続ける。
「まあーでも蝮楽しそうやったし、次取れたら錦と青に譲るわ。三人で来たらええよ」
「そりゃ楽しかったけど、無理に取らんでええのよ」
「ま、取れればな」
そう言えば、心得たりというように柔造が蝮の手を取って劇場を出る。その半歩ほど後ろに金造は続いた。
「昼飯ー。さすがに柔兄おごってや。ちゅうか弁当買っても良かったな」
売ってたやん、と金造が言うと、柔造と蝮は顔を見合わせて笑った。
「今日なあ、あんたがこんなとこに連れて来てくれるっていう方がイレギュラーやったんや。あてがもらう日やなかったの」
「は?たまたまやろ?」
「あてらがあげる日やったのよ」
笑う二人に、金造はふと歩みを止める。
「俺なんかした?」
回らない頭を使ってみても思い浮かばないそれに見かねたように蝮は言う。
「不埒、やなあ」
「はあ!?だから俺別に下心とかようないわ!柔兄に毒されすぎやん!」
不埒の意味を取り違えた弟に、やはり二人は笑みを深めるだけだった。
不埒にも―――要領を得ない彼は、兄は休みを合わせて、姉はきちんと出かけるコースを決めていたことをまだ知らない。
今日が自分の誕生日だと、彼が思い出すまでにはもう少し時間がかかるようだった。
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2016年金造くん誕生日おめでとうございます!(※更新現在西暦2017年でっす)
2017/01/18