君がいる世界
「蝮、今度の月曜俺、非番やねん」
「ほうか、良かったな」
ことん、と残業帰りで遅くなった分の夕飯を温めてテーブルに置いた蝮に言えば、当たり障りのない、というか、普通の返事が返ってきた。
残業で遅くなる俺と柔兄とおとんの分の夕飯作りは蝮の担当やった。ちなみに今日はおとんは早番でもう寝てると思われる。蝮の夕飯作りについてはおかんと盾姉は体調が、とずいぶん反対したけど、蝮が聞かんかった結果で、やけど柔兄の嫁で志摩家の嫁が板につきまくっとる蝮に、おかんも盾姉も満更やなさそうやった。前にも増してかわええらしい。まあそれを一番実感しとるのは、俺の隣の柔兄やろうけど。
「あー、月曜お前非番なんか?一緒やんけ」
「げぇ、柔兄も非番なんか?」
「おん」
その会話に蝮が可笑しそうに笑いながら、おかずが調った食卓に白飯いっぱいの茶碗と味噌汁を置く。温かいものは温かく食べられるように出す、というのは蝮が花嫁修業しとった女将さんの教えの賜物やろうと思いつつ、俺と柔兄は手を合わせる。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
テーブルの俺たちの向かいに座った蝮が応じて、俺はがつがつと、柔兄は一箸ごとに蝮の料理をほめそやしつつ食事を始めた。
「二人そろって非番やったら、どっか出掛けたらええんとちゃうの?」
「男二人とか笑えんわ。蝮暇やったら」
「あ、蝮どっか行きたないか?買い物とか、何でも買うてやるえ」
俺の言葉を遮って柔兄がかぶせる。これ絶対わざとやな。いくら嫁とはいえなんちゅう独占欲か。
「どっちか一人しゃべりや。それに柔造、金造の話の途中や」
可笑しそうに、だけれど柔兄を窘めて蝮が言うから、さすがの柔兄も口をつぐんで味噌汁を飲んだ。
「月曜やけど、疲れてるし出掛けるのもなんやから、前に蝮が見たい言うてた映画借りてきてん。一緒観んか?」
あれ、洋物の恋愛物の、中世とかなんとかのやつ、と続けたら、蝮の顔がぱあっと明るくなる。
「アンタ、ほんまにちゃんと借りてきてん?タイトル分かっとらんのとちゃうの?」
「は!?金造様馬鹿にすんなや!お前から散々新聞の広告見せられたからパッケージばっちり分かったわ!」
疑いの言葉にキレ気味に返したが、その言葉とは裏腹に蝮はかなり嬉しそうだ。
映画館に行くのは、祓魔師にとって非番でもあまり出来ることではなかった。映画館では言うまでもないが携帯の電源を落とすのがマナーで、非番だろうが何だろうが祓魔の仕事なりなんなりが入れば容赦なく緊急招集される祓魔師、もちろん京都出張所の人間にとっても、非番やからと映画館に行く、という選択肢はほとんどない。
だから、基本的にはDVDなりBlu-rayなりを借りてくるのが主流だった。
今の蝮なら、仕事はないのだから映画館だって行けるだろうけれど、隻眼の彼女にフルスクリーンの、しかも暗い映画館は全く良くないことやし、そして未だ恐怖の残っているだろう彼女に大音響はいただけない、ということで、ドクターストップと柔兄の窘めで、結局彼女は俺が借りてきた映画を見られていない。それは、本人もよく分かっていることばかりだから、特に気にしてはいなかったようだが、実際観られると思うと本当に嬉しいようで、俺は知らず笑っていた。
「じゃ、月曜俺10時くらいまで寝とるから、その頃部屋来いよ」
「分かった」
るんるんという形容が相応しげな雰囲気で、蝮は空になった俺と柔兄の茶碗におかわりを盛り付けた。
*
「なんで柔兄まで来てんねん」
「兄貴の嫁に手ぇ出すとか最近のレディコミの基本や!!!」
「意味分からんわ!」
あかん、寝起きで叫んだらガンガンする。叫んだ俺と、蝮の後ろにぴったりくっついている柔兄を蝮をがまあまあとなだめる。
「三人で見たらええやろ」
柔兄はそれでも不服そうに蝮の肩に顎をのせる。俺もちょっとだけ不満だが、彼女の楽しみそうな笑みを見れば、俺も柔兄も逆らえやしないのやった。
*
「ブルーレイ再生できるんやな、これ」
「奮発して買うたんや。ライブの映像とかも最近じゃ結構ブルーレイ版多いし、音質ええしな」
これは俺と柔兄の会話や。ふうんとうなずきながらしげしげと再生機器を眺める柔兄と、操作を行う俺に、蝮が待ちかねたようにそわそわしている。右隣に柔兄が、左隣に俺が座って蝮をはさむようにしながら、三人してクッションにもたれ掛ったところで、洋物らしい、えらく壮大な前置きの会社宣伝がテレビ画面に流れ始めた。
*
口許を押さえてぽろぽろと泣いている蝮に、しかし分からん、と俺は思った。洋画の展開にありがちで、舞台は中世ヨーロッパのパリかどこか。伯爵令嬢と庭師の駆け落ち物だったわけだが、もちろん身分違いの恋は大団円とはいかずに二人が引き離されるクライマックスのシーンだった。女の考える恋愛っちゅーのはこういうもんやろか、と思ってちらりと蝮の方を振り返れば、柔兄が床についた蝮の手にそっと手のひらを重ねていた。その、何でもない動作が、俺にはどうにも嬉しくて、どうにもこそばゆかった。
『それでも愛しているの!』
馬車に乗せられて遠ざかっていくブロンドの髪の伯爵令嬢が砂利道に放り投げられるように立ち尽くす庭師に向かって叫んだ言葉が、吹き替えの女性の声で部屋に響く。その時初めて俺の思考はその映画そのものというか、そういうものに引き込まれた。
『それでも愛している』か。柔兄の初恋は間違いなく隣に座る蝮で、俺の初恋も多分、彼女だったように思う。まあ、俺の場合はその感情が遥か昔過ぎて思いだせやせんのやけど。そして、多分蝮の初恋は、柔兄だった。そのことが、甘い、それでいて疼くような痛みを胸にもたらす。幸せな二人を見ているのが好きだ。家族になってくれた蝮が好きだ。その好きの方向はレンアイじゃない。だけれど。
僧正血統同士の恋、なんて、俺の兄と姉であった柔兄と蝮には許されるはずなくて、ワザと反発し合って来たけれど、あの不浄王の一件で、その環境はがらりと変わった。変わったら好きだと言えるとか、付き合っていいとか、そういう変わり方じゃ、決してなかった。だけれど『それでも愛しとる』と、柔兄が言ってくれて、蝮がその言葉を受け取ってくれたから、今のやわらかで優しい家族がここにはいる。
俺にはきっと言えやしなかった言葉を、兄は躊躇いなく言ってしまえる。そのことが羨ましくている自分は、じゃあ蝮が好きなのか、と考えたけれど、それは全然違うことだと知っている。
エンドロールが流れて、柔兄が蝮の肩を抱いた。だから俺は、逆側から泣いている蝮の頭を撫でた。
「ほんまに、志摩家の男どもは女たらしやな」
涙声で言った蝮に、俺と柔兄は顔を見合わせて笑った。
遠い昔に、俺は蝮に恋をしていたような気がする。定かではない、子供の、家族の延長線上のような感情は、今では本当に分からない。分からないけれど、家族として彼女が帰ってきてくれたことは、本当に嬉しい。
遠い昔から、蝮に恋をしていて、ずっとずっと彼女を思って、最後には家族として彼女を引き戻してくれた兄に、本当に感謝している。
「なあ、金造。これから三人でお昼食べに行こ」
エンドロールが終わって、俺がぽちっと停止ボタンを押したら、すっかり泣き止んだ蝮が俺を見上げて言った。
「おー?柔兄の奢りか?」
「今日はあてが奢るえ」
今日の分だろうか、と思って、別にお前が喜べばそれで十分、と言い差したところで、柔兄と蝮が立ち上がる。俺も立ち上がったら、蝮は柔兄とちらっと視線を合わせてふふふと笑った。
「なんで今日柔造がお前と非番被らせたか、知らんやろ」
「は!?確信犯か!」
「うっさいわ金造!」
蝮の言い分に、柔兄に噛みついたら、柔兄がいつもの沸点低げな声で言い返してきた。
「あてが頼んだんよ」
「は?」
間抜けな声を出したら、蝮は笑った。
「まあ、さすがに映画借りてきてくれるなんて予想外やったけど、時間前で十分や」
「えっと?」
聞き返したら、蝮はやっぱり笑った。
「夜は、あても作るし、みんなで宴会やから、お昼はあてら三人でってお店予約したんよ」
「というと?」
やはり分からず聞き返した俺に、蝮は微笑んだ。
「誕生日祝いや、大事な弟のな」
「そーいうこと」
柔兄も笑って続けた。それに俺は、今日が自分の誕生日やとやっとのことで思いだした。
「行こか」
歩き出した蝮の片手を、俺は自然と握っていた。もう片方の手は柔兄が握っている。
この歳で三人で手をつないで連れ立って歩くなんて、可笑しいのかもしれない。だけれど俺たちは、これでええ。
柔兄と蝮が幸せな二人になって、俺がその幸せな二人の弟で、家族でいられて、それで、ええ。
そう思ったら、幸せが込み上げてきて、俺はぶんっと蝮の腕ごと腕を大きく振って歩き出した。
「ほんま、幸せやわ」
そう言ったら、隣の蝮がにっこり笑った。
君がいる世界はいつも幸福に満ちている。
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金造君の誕生日をフライングゲット!
2014/11/16