「あれなあ」

 煮物に箸を付けて、柔造はちょっと思い出したように微笑んだ。
 そのたった一言に、金造はビクリと肩を上げて、固まってしまった。
 彼の向かいに座っていた、帰省中の廉造はきょとんと首を傾げる。その時だった。

「ふっ…ふぇ」
「……………えええ!?」

 泣き出した蝮に、廉造は声を上げる。


今日の夕飯


「蝮姉さん、どないしてん!?」

 廉造はぽろっと箸を落とした。嫁に来た蝮に、家族の誰かが辛く当たったりしたのだろうか。たった数ヶ月で、泣いてしまうほど追い込むなんて、うちの家族はなんてひどい―と非難しようとしたところで、向かいの金造がはくはくと口を動かした。

『お か ら』

 意味不明である。何か深い意味があるのか考えようとしたが、向かいの兄は執拗に『おから』と音を出さずに繰り返している。

「あかん、金兄ド阿呆やった」

 ふうっと息をついて言うと、金造から罵声でも飛んで来るかと思ったのに、彼は相変わらず口をはくはくと動かしている。今度は『おから』以外の言葉のようだが、如何せん、廉造は特殊部隊に勤めたことも、野球で甲子園を目指したこともないので、分からなかった。

「ごめんなさい…」

 そこで、蝮が囁くような声を出す。金造と八百造の顔からサアッと血の気が引くのを見て、廉造は首を傾げた。

「お義父様、こないだの」
「いやいやいや!別になんともあらへんよ!?」

 彼女の言葉を遮って、八百造は声を上げる。だが、蝮は潤んだ目のまま金造の方を見た。

「金造、すまん、あないな」
「普通だったよ」

 またもや蝮の言葉を遮ったのを聞いて、廉造の中で何かがプツンと切れた。

「なんで標準語しゃべってんのや己は!蝮姉さんいじめて楽しいかぼけなす共がアアア!」

 そう叫ぶと、金造と八百造はビクッと固まった。だが、まさか、自分の声に固まるような二人ではないのを知っている廉造だ。本当のことを言われて怯みおったか!くらいに思って、隣に座る蝮を庇うように抱き抱えると、さらに続ける。

「嫁いびりなん週刊誌の中だけやと思っとったわ!蝮姉さん、もう我慢せんでええですよ。こいつら訴えましょ。慰謝料ふんだくって出てったらええんですわ!うちふんだくるほど金ないけども!」
「れん…ぞ…」

 潤んだ瞳で見上げられて、廉造は、なんて追い詰められてしまったんだろうと思う。あの気丈な彼女をここまで追い詰めるなんて!と。

「廉造くん、やめよう。無駄だよ」

 その二人を見て、まるで壊れたブリキ人形のように金造が言った。相変わらずイントネーションのおかしい、だが抑揚のない標準語で。

「廉造…あんな」
「なんです?なんだって言ったらええですよ」
「あんな…こないだな…おから炊いたん失敗してな」

 泣きながらそう言われて、廉造は、やっぱりか!と怒りに燃えた。おから一つ失敗したのを、じくじくと指摘し続けたのだろう。ひどい話だ。

「そんなことない!美味かったで!気にせんと」
「お父あかん!今言うたら絶対拍車かけるえ!」

 蝮が話し出したら、金造と八百造が俄かに騒ぎ出す。それをギッと睨んで、蝮に視線を戻すと彼女はなぜか頬を染めていた。

「蝮姉さん?」
「あてな…お義父様にも、金造にも、柔…造、にも、美味しいん食べてほしかったん。やけど、失敗してもうてな」

 それに声をかけようとしたら抱き寄せていたはずの蝮の身体がなぜか手から離れた。

「ちょっと水っぽくなったんやったな」
「柔兄!?」
「じゅ…ぞ」

 柔造は、廉造の手から蝮を自分の腕の中に収めるとちろちろと舌で彼女の目許をなめる。

「味はバッチリやったから気にせんでええて言うてるのに、蝮はまじめさんやな」
「やって、あんなん失敗やから作り直す言うたのに、柔造が勝手に持ってったんえ?やめ言うたのに」

 蝮は拗ねたような声を出して、後ろから抱きしめる夫の胸板に顔を押し当てる。その頭を撫でて、柔造は額に唇を落とした。廉造はわけが分からなくなって父と兄を振り返るが、二人とも「始めおった」と言ったきり、口を開かなかった。

「やけど、失敗したかて蝮の作ったもん残すなんて絶対いやや」
「あては柔造に美味しいもん食べてほしい」
「んー?せやったらそこの煮物食べさせて?蝮が作ったんやろ」
「ええよ」

 ヤバい…廉造は思った。


ヤバい…これもしかして日常茶飯事なんか…




「何!?あれ何!?」
「ああ、うん、いつものことや」

 部屋に戻ると、金造はベッドに上がって息をついた。
 結局あれから30分近く柔造と蝮は食卓でキスしたり抱きしめあったり

「あーんまでしてたやん!?蝮姉さんむっちゃ可愛いねんけど!」
「そこ!?まあでもそうなんや。俺とお父も可愛えなて思てん。最初のうちはな!いや!今も可愛いねんけど!」

 ぼすっと二段ベッドの上段から枕を投げつけられて、廉造はああ、と思う。

「毎日?」
「食卓は3日にいっぺんてとこや!なんでもないみたいなこと論って、蝮泣かして、それから慰めるっちゅー柔兄の一人芝居や!ほんまにあいつら新婚生活満喫しすぎなんや!あいつらっちゅーか柔兄な!蝮はちゃうよ、多分!」
「うわあ…」

 柔造が昔から彼女のことを好きすぎるのは知っていたが、いざ結婚してこうなると、実の兄ながら目も当てられないなと思う廉造である。

「おかんは?さすがに止めるやろ」
「俺ら男が帰り遅いの知ってるやろ。出張所組の夕飯は蝮担当や」

 それに、と金造は付け足す。

「うちの女性陣あかんよ。おかんも姉貴共も、あれ見て言うたんや。『蝮ちゃん可愛えええ!』て!柔兄と同じ血流れてんの忘れとった俺とお父の心中察して余りあるわ!」

 ぎゃんぎゃん言って、だが金造は食卓でのことを思い出したのか青ざめた。

「ヤバいねん、マジメに。蝮が流されるだけやのうて、最近確実に嵌められとる。柔兄がわざとやってるてだんだん気づかんようになっとる…!下手に手ぇ出しても火に油注ぐだけや。全部計算済みやあの変態」
「え?それて自分好みの新妻に育ててるってこと?なんでも言うこと聞いてまう蝮ちゃん完成?」
「………そう言うたら、お父泡食って倒れたわ」






「あん…な、廉造も帰ってきたし…その…こないだの…おからんことは…」
「せやなあ」

 自室で柔造の袖を引いて、真っ赤な顔で蝮は言った。

「蝮から上手にキスできたら、もう忘れてまうかも」

 笑顔で言われて、蝮は、ギュッと唇を引き結ぶ。




「今のキスあかーん。もう一回」

 もう十回近く、蝮は何度も何度も柔造にキスしているのだが、唇にしても、頬にしても、額にしても、柔造は許してくれなくて、恥ずかしさと彼が喜んでくれないという寂しさで、蝮はふるふると震え出した。

「も…いやや…ふっ…恥ずかし…ふぇ」

 目尻に涙をためた蝮に、柔造は思わずにっこり笑って、その目元にすっと口づける。

「ウソやよ。よく出来ました。ちゃあんとできたええ子には、ご褒美あげんとな」

 そう言って、柔造は、蝮の頬に手をかけると、すっと口づけた。舌が歯列をなぞり、徐々に中へと入ってくる。

「ん…ふっ…は…ふあっ…」
「はい、ご褒美」

 そう言ってぽんぽんと頭を撫でるが、蝮は酸素を奪うような口づけに、頬を上気させてぼうっとしている。
 その姿に、柔造はにやりと笑った。

「もっと欲しいんか?蝮は欲張りやな」




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新婚について全力挙げて考えたらキャラ崩壊した。

2012/2/23

2012/7/31 pixivより移動