lunchbox


 休日出勤、というワードが、金造の頭の中を過った。日曜の午前中。仕事をため込んだ自分が悪いのか、それとも仕事をため込ませる職場が悪いのか。どちらかというと前者で、どちらかというと後者、という複雑怪奇な勤務が、だけれど少なくとも彼の仕事場だった。

「こう、バーンと体動かしたいんよ」

 くるっとペンを回して言ったけれど、応える相手はいない。その、‘バーンと体を動かす’祓魔の仕事に、同僚が先程駆り出されていったからだった。
 秋の半ば。あの夏から、一年と少しが経った秋だった。書類の山は、昨日からでだいぶ減った。予定外に入ってしまった祓魔に駆り出された同僚の分の打ち込みはやっと終わって、あとは自分の出来上がっている書類10枚程に判を押して、上司の机に放っておけば終了である。これはもう、さっさと終わらせて、帰るが吉、と思いながら、彼は日曜の昼前にデスクに向かった。


***


「おーわりっ!」

 トンっと揃えた書類を上司の机に置いて、金造はとりあえず机の上の弁当の割合を増やす。午後まで掛かることを見越して、義姉となった蝮が持たせてくれたものだった。家に帰ってもいいが、家で弁当を広げるのも甚だ虚しいので、食べながら書類を読んでいたのだが、それが終了した今、大きめの弁当箱は、ご飯が入ったものとおかずが入ったもので、でかでかと机に広げられている。
 出張所に勤める志摩家の男で、八百造はそうでもないが、柔造と金造はかなりの大食漢だ。朝食と弁当作りには母と蝮が立つが、バランス良く、というのが二人のモットーだった。朝食の余りだけではなくて、いろいろ詰め込む弁当箱は、彼らの食欲も相まって大きかった。
 その弁当をすごい勢いでかっ込んで、さて帰るか、と弁当箱をたたみ始めた時だった。

「金造!」
「は?蝮?」

 仕事部屋の入り口付近から掛けられた声に、金造は間の抜けた声を出して、それから声を懸けた張本人――蝮を認めて、きょとんと目を見開いた。

「どないしたん、お前」

 ワンピースにニットのカーディガンを羽織った秋の装いの彼女は、呆れたように息をついた。

「あんた、ずいぶん遅いからお母様が心配してん。姉様も柔造もや」
「え?ほうか?」

 そう言って金造は部屋の時計を見上げる。時刻は午後二時過ぎ。

「書類だけだったんやろ?昼前か昼過ぎには終わると思っとったけど、なんぞあったか」
「あー、うん。お父から指示あって、ちょい人欠けたん。祓魔」
「そりゃ難儀やったな」
「そーでもないわ」
「もう帰れるんか?」
「ああ」
「やったら八百造様に挨拶して、帰るえ」

 そう言うと、彼女は金造にくるりと背を向けてすたすたと、所長室の方へと歩いていく。

「ちょ、待てや!別にお父に挨拶なんええわ!」

 走るように追いかけたけれど、蛇の一睨み、とう体で金造は大人しく蝮に続いて所長室の父に帰り際の挨拶をして、出張所を出た。律儀な女やな、とは言わなかった。


***


「ちゅうか、お前、俺んこと迎えに来たん?」
「ほうや。悪いか」

 出張所前の道路でふと見上げられて、金造は可笑しな気分になる。それから、見上げられた彼女の右目を未だに覆う眼帯を認めて、いつも通り右側に回る。そうして、いつも通り左手で彼女の右手を引く。

「相変わらず過保護やなあ」

 タラシ兄弟、と笑いながら蝮が付け足したら、金造は不服そうに言った。

「タラシはお前の旦那のことやろ」

 それに蝮はほほほと笑った。かつてのように。金造には、それがどうにも心地よかった。


***


「寄り道せん?」

 提案は、珍しく蝮からあった。

「ええけど、珍しな」
「なん。今日はせっかく日曜の非番やったっていうのに、あんたが休日出勤したからやろ。少しは休日の気晴らしせんと」

 そう言って微笑んだ義姉に、金造はほっとした気持ちになる。安心感だった。彼女が名実ともに家族になって一年。戦いの中で感じる安心感ではない、家族、という相手に感じる温かな安心を感じることが多くなっていった。それは、それだけ彼女が戦場から遠ざかったということでもあって、それがひどく嬉しかった。
 寄り道として彼女が選んだのは、近くの喫茶店だった。秋の観光客でごった返す通りから一本入った、ガイドブックに載っていない彼女のお気に入りの店だった。

「紅葉始まったさかい、最近手伝いによう行くんよ」
「ああ、虎屋な。この時期は観光客でいっぱいやさかいな」

 そんなことを話しながら座る二人掛けのテーブルの上には、蝮の前にも金造の前にも小さな抹茶のパフェがあった。金造はコーヒー、蝮はカフェオレを一口ずつ飲む。季節柄冷えてきた最近では、胃に落ちていく温かな液体が心地よかった。

「金造」

 甘いパフェを早々に食べ終えて(途中で行儀が悪いと蝮に言われたが)、カチャッと金属のスプーンを置いた彼に、蝮が笑いを含んだ声を掛ける。

「なん?」

 短く応じたら、彼女はやっぱり笑って、ずっと持っていた紙袋を荷物を入れておくボックスから取り出した。
 そういえば、彼女は「迎えに来た」と言いながら、なぜか少し洒落気のある紙袋を持っていた。

「それ、なんや?」

 不思議そうにする彼に、蝮は一層綺麗に笑って言った。

「誕生日おめでとう、金造」
「は…?」

 間抜けに応じてから、金造は今日の日付に思考を巡らせる。11月の第三日曜日。11月の17日。

「あ、今日俺誕生日やん!」

 本当に今思い至ったように言う金造に、蝮は笑った。昨日の夜は遅く帰り、今日は朝から忙しなく出勤したため失念していたが、今日は彼の誕生日だった。

「みんなより一足先に、あてからプレゼントや」

 そう言って彼女は紙袋を差し出す。抹茶のパフェも、誕生日ケーキ代わりだったのだろう。

「悪いな。開けてもええか」
「もちろん。こないだの休みに柔造と買いに行ってん。気に入るやろか」

 そんな彼女の声を受けてガサガサと包みをほどけば、中から出てきたのは大きめの弁当箱だった。

「弁当箱、か?」

 だが、金造は微妙に疑念を抱くような声を出した。パッケージになっている写真を見れば、それが弁当箱であることは明白なのだが(白米も卵焼きも詰まっている)、形が少々不思議だ。筒状だったりして、いわゆる‘箱’ではない。

「ほうや。面白いやろ」

 しげしげとそれを眺める金造に、蝮は笑って続けた。

「保温とか出来るんよ。昼時とか、あったかいご飯の方がええかなって。これから冬になるし、冷たいよりあったかいほうがええやろ?」

 そう言われて、金造はまた家族としての安心感、安堵感を感じる。温かい弁当の方がいいだろう、と誕生日のプレゼントに弁当箱を選ぶ。選べる。選べるようにあった隻眼の姉が、どうしようもなく愛おしかった。

「ありがとな。大事に使うわ」
「あても、腕によりかけてあったかい弁当作るわ」

 笑って言われたから、金造も笑う。

「柔兄の分も買ったやろな」
「買ったわ。金造ばっかしずるい!とか抜かすさかい」

 亭主関白なのか、尻に敷かれているのか分らない兄夫妻に、金造はたまらず笑ってしまう。自分の兄こそ、彼女に家族としての安心感を、いや、それ以上の安心感を感じているのだろう、と思ったからだった。

「せやったら、誕生日プレゼントももらったし、そろそろ帰るか」
「せやな」
「柔兄に自慢したろー」
「はいはい」

 「俺やって買ってもろたわ!」と自慢し返す夫と兄を思い描いて、二人は知らず笑い合う。

 幸せな家が待っている。幸せな家族が待っている。姉という存在として、彼女がそこにいることが、多分、それだけで途轍もなく幸せなのだ、と、家路をやっぱり右側を歩きながら、金造は思った。

(幸せそうなお前と柔兄見てると、幸せなんや)

 口に出したら、きっと不思議がられるから言わないけれど、何よりのプレゼントは、彼女たちが幸せそうにしていることだ、なんて思いながら、彼は彼女の手を引いて、家族の待つ家へと急いだ。




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金造くんおたおめ!今回は完全な+でした。

2013/11/17