「もう、我慢の限界や!ナーガ!ええ加減にせえよ!!!」

 新婚の柔造と蝮夫妻の夜の寝室に、夫の怒号が響いた。


ナーガさんが見てる


 そのような怒号によって、柔造と蝮は各々の布団に正座して向かい合っていた。その間には這うようにした蝮の使い魔、白蛇のナーガが横たわっていた。そうして、フイッフイッと両者の顔を交互に眺めている。そのナーガを、柔造はびしっと指差して言った。

「なんでこいついっつもおるねん!」
「一緒に寝たいって言うからやって言うてるやん!」
「ほんなら端に居れ!なんでわざわざ俺とお前の間に入ってくんねん!なんでお前のこと抱きしめようとしたら感触が鱗やねん!」

 新婚夫妻とは思えないほど酷い内容だが、事実なので蝮は神妙な顔でそれを聞いていた。柔造も真剣そのものである。馬鹿馬鹿しいとしか言えないのだが。
 ナーガはというと、そう舌鋒を飛ばす柔造の顔をジーッと見詰めて、チロチロと細い舌を出した。

「何やナーガ、なんか言いたいんか!」

 叱責を飛ばしたら、シャッと牙をむかれた。それで柔造は気が付く。いや、前々からうすうす感づいてはいたが、こやつ、と思った。

「そないに俺と蝮のこと邪魔したいんか!」

 それにナーガは「シューッ」と応じた。どうやら正解らしい。ナーガは愛する主である蝮の貞操を守ってきたつもりらしかった。

「ナーガ……」

 蝮が静かに声を出したので、柔造は内心ガッツポーズを繰り出した。蝮に注意されればナーガは絶対従うはずだからだ。

「アンタ、そないにあてのこと…!ほんまにええ子や!」
「え、う、う、嘘やぁぁぁ!」

 柔造の虚しい叫び声が、志摩家の夜に響いた。





「ナーガさん、今日は烏骨鶏の卵です」

 恭しく柔造が差し出したのは、高級卵だった。それを見詰めるナーガは、よろしい、とでも言うようにそれを一飲みした。
 昨日は軍鶏肉だった。なんというか、もう、この男、頑張りすぎである。
 その訳は、ナーガについて議論となった先日まで遡る。


『蝮、お前ナーガが間違ってへんって言うんか!?』
『そういうあんたこそ、ナーガを受け容れられんのか!?』

 口論は続いたが、蝮が出した結論は凄まじいものだった。

『ナーガは家族や。家族と仲良うできんのやったら、アンタとは距離を取るしかない』

 そう言い捨てて、ナーガの頭を軽く撫でると、蝮はそそくさと荷物をまとめ始めた。

『な、何してん!?』
『何て。実家帰る』
『ちょ、ま、おま…分かった!仲良うする!認める!認めるから!』

 不審げな視線を蝮が流したら、その二人の遣り取りを見ていたナーガを柔造はバッと振り返る。

『仲良うするから、ナーガ……さん!』

 ついにナーガに敬称を付けてしまった柔造の明日はどっちだ。


 ……などという惨劇があったのである。それ以来、柔造はナーガことナーガさんに異を唱えるのをやめた。ただでさえ紆余曲折を経て結婚した蝮が実家に帰るなんて、それこそ耐えがたかったから、夜のことは涙を呑んで耐えた。財布が涼しくなっていくのも耐えた。

「またやっとる。アホちゃうか…」

 ナーガに卵を差し出す柔造を見て、弟である金造は怪訝そうな、そうして至極面倒そうな顔でそれを睥睨した。

「アホはお前や金造!ナーガさんは家族や!」
「柔兄マジ憐れ……」

 遠い目をした呟きは、しかしナーガさんのご機嫌を取る兄には届かなかった。





「まーむーしー」
「何や、金造」

 ガラッと柔造と蝮の部屋の襖を開けたのは、今日は非番の金造だった。金造はちらりと部屋を見渡すが、ナーガはいない。

「お前なあ、ありゃ柔兄憐れすぎるやろ」

 どっかと胡坐をかいて腰を落ち着けると、開口一番説教をするように金造は言った。

「なんのことや」
「ナーガんこと」
「そりゃあては関係ないわな。柔造がナーガと仲良うなっただけや」

 ほほほと笑った蝮の額を、金造は軽く小突いた。

「変な意地張らん」
「……やって」
「どーせ、柔兄にがっつかれんの怖くてナーガ出しとったんやろ?」
「阿呆のくせに鋭くて腹立つわ」
「はいはい」

 義弟は、額を小突いたその手のままで、わしゃわしゃと蝮の頭を撫でまわした。

「柔兄もそろそろ男上げんといかんねん」
「……ん」
「そーいうお前も、女磨かんとな。夫婦やねんから」

 色恋沙汰は、案外この義弟に諭されることが多いな、と思ったら、なんだか悔しかったけれど、正論なので蝮はこくっと肯いた。

「柔造の誕生日、明日やから」
「ん?」
「ちゃんと仲直りするわ」

 よろしい、と義弟は笑った。





「あれー?ナーガさんは?」

 夜半に帰ってきた柔造は、食事も風呂も外で済ませて、寝室に真っ直ぐ来ていた。あとは蝮とナーガと寝るだけである。
 そう思ってきたのに、寝室の布団の上で蝮が正座しているほかに誰もいなくて、ナーガの気配はなかった。

「えっと…?」
「柔造、あんな」

 絞り出すように言って蝮は柔造の袖を引く。

「ごめんなさい」
「へ?あ、いや、別に、お前が謝ることとかないけ、ど?」

 本当に混乱してしまった柔造は(もはやナーガさん云々は生活の一部だった。憐れ也)、縋ってきた泣きそうな妻にさらに混乱を深めた。

「ナーガのこと」
「え、ナーガさん?」
「あて、その、そういうん、恥ずかしゅうて…ナーガを…その」

 泣きそうながら上気した頬に柔造はある程度のことを覚った。それでニヤッと人の悪い笑みを浮かべる。ナーガにへつらう時には考えられない笑みだった。

「つまり、お前は俺とそーいうことすんのが恥ずかしくて、ナーガに妨害させてたと」
「ごめん、なさい…やけど、明日、柔造誕生日やから」

 そう言って、蝮はちらりと置き時計に目をやる。数秒後、ピタッと針が2月5日の深夜0時を示した。

「誕生日おめでと、柔造」
「プレゼントは私ってやつですか!据え膳ごちそうさまです!」
「そういうのが嫌やねん!!!」

 妻の叫びなどどこ吹く風で、柔造は蝮を押し倒した。




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柔造さん誕生日おめでとうございます。ギャグに走ってすみませんでした。

2014/02/05