ザクっと小気味のいい音がした後、カツンと刃がまな板に当たる音がする。下までいったな、と蝮は調理には少し大雑把なことを考えた。


夏の終わり


「今どきはいろんな色のカボチャがあるんですね」
「蝮ちゃん、ほんまにごめんね、金造のあほがこないな」

 現在蝮は、義理の母、といっても昔から母と同じく慕ってきた現在の姑とともに、台所に立っていた。目下二人がやるべきことは、延々とカボチャを切ることである。

「いや、ええんですけども。皮が黄色いのはやわいな」
「せやねぇ。緑のしかよう知らんけど、このちょっとオレンジでごつごつしてるんは硬いわ」

 そんなことを言いながら、ザクっザクっと二人は大小さまざまなカボチャに包丁を入れる。

「おかーん、ちょっとお客さん」

 そんな台所にのんきな声がかかる。午前が非番の柔造だった。

「はいはい、って、今手ぇ放せんから」
「あ、ええですよ。あてやっておきますから」

 蝮が言うと、「そう?」と申し訳なさそうに言って、彼女は流しで手をすすぎ、玄関の方へぱたぱたと歩いて行った。

「すっかりうちの嫁!!」

 その光景に叫んだ柔造に手刀を食らわせようとしたが、いかんせん、その右手には包丁が握られている。

「あかん、流血沙汰になってまう」
「え、蝮サンこわい」

 柔造は包丁を握る手を眺める蝮を見てじりっと一歩下がる。そんな光景ももういつものことになったのが可笑しかった。

「それあれかぁ、ハロウィンライブやったっけ?」
「うん、飾りもんはさすがに中のワタ取ってあるけど、残り、観客に配ったらしいよ。それでも残ったやつがこれ。あとライブ言うたら金造が「フェスやアホンダラ!」って言ってきたけどなんか違うんか」
「ああ、フェスな。金造たちだけやなかったみたいな」
「ああ、道理で」

 柔造の言葉に、蝮はそのカボチャの山に納得する。金造の所属するバンドだけならこんなに大量のカボチャを配ったり置いたりしないだろう、と。

「合同でやってるのにこんだけ持って帰ってくるの、やっぱり金造はあほやんな」

 そう言って蝮はザクリザクリとそのカボチャを切る作業に戻った。





「誰があほや!」

 詰所で突然叫んだ息子であり職員の志摩金造に、志摩八百造はふと目を上げた。

「え、あほとか言ってへんけど。常々思うてはいるけど」
「おとんひどい!今誰かにあほ言われた気ィした!!」

 野性の勘か、知らんけど。と思いながら八百造は書類に視線を戻した。





 ハロウィンライブ、もといハロウィンフェスをやるから京都出張所や明陀のみなも参加するように、と僧正家のバカ息子が言い出したのは一週間ほど前だったか。お前は何を言っているんだと八百造に殴られながら配った紙は、しかしそれほどめちゃくちゃな内容ではなかった。
 もちろん、金造たちのバンドやら、他のメタルバンドのライブもあるが、全体としてはフェス、というよりまさしくお祭りらしく、近隣の子供たちや住民にお菓子だのカボチャだのを配りつつ、イベントをやりつつ、というものだった。

『役所のほうとも連携してるんで、よろしゅうたのんます』

 そう朝の会議で何かないかと所長である八百造が言ったらそれを提案してチラシを配った金造に、八百造はため息をついていたが、隣の蟒はまあまあとそれをたしなめた。

『ええんとちゃいますか?これ見るにほんまに役所というか、行政のほうとの連携も取れとる内容みたいやし、地域貢献も大事なことかと』
『地域貢献なあ』

 八百造がどうせいつものバカ騒ぎだろうとぼんやりつぶやいたころには、朝礼の会議室はそれなりに面白そうなそのイベントの話題で盛り上がっていたのだった。





「ちゅーか明陀宗でハロウィンてどないでしょって和尚様に聞こうかいう話にもなったんや。やけど考えるまでもないやん。俺も私らもクリスマスプレゼントもろてたわって金造と青と錦が言い出してな」
「ああ、せやねぇ」

 そう言いながら、蝮は最後のカボチャを切り終える。そうしてよいせっと家で一番大きい鍋を取り出した。金メッキのアルミ鍋なんて、今どき存在しているのかと言われそうだが、大家族でもあり、同時に明陀、特に勝呂家と宝生家が寄り合うこともあったし今もあるこの家には、前時代的な大きなアルミ鍋で煮物やおでんを煮ることがよくあった。

「あかん、俺んちの鍋の位置を把握してる蝮」
「あんたなあ」

 結婚して、というかそれ以前から出入りしていた蝮の、それでも「嫁になった」と思える行動一つ一つにいまだに感動してしまうのは柔造の愛のなせる業か。
 そう思いながら、蝮はその切った大量のカボチャをばらばらと鍋に放り込む。

「え、煮るんか?」
「え?うん。おばさま、やのうてお母様とな、話になってん。カボチャ料理なんてあてらよう知らんから、とりあえず普通に煮つけて出張所のおやつにでもしてもらおうかて」

 色変なのあったけどカボチャやし大丈夫やろ、と続けて、蝮は水やら調味料やらを準備する。

「ハロウィンのカボチャが煮物になる……」
「なんで夢がないみたいに言うんよ」

 すべて入れ終えて鍋を火にかけると、まな板と包丁を洗うことに移行した蝮はふと柔造をねめつける。

「まあそうやなあ。ハロウィンてお盆みたいなもんやもんなあ」
「あんたなあ。そういうのはあかんていうか塾で習ったやろ」
「え?」

 洗い物を終えて、ガスコンロの前に高椅子を持ってきて蝮は座る。まだ長時間立っているのは厳しいということでもあったが、カボチャが煮えるまで立ったままで見ているのは億劫だというのもあった。

「ハロウィンの起源と誤解。ハロウィンちゅうかサウィンやね、ケルトの」

 そこまで言っても疑問符を浮かべたままの柔造に、蝮はひとつ息をつく。

「ケルトでは夏の終わり、一年の始まりのお祭りや。騎士團はどうしてもバチカン寄りやけど、明陀みたいな仏教系とかと一緒でいろんな派閥を受け入れてて、ウィッチクラフトとか悪魔の祭りやって弾劾したのは間違いやったとか習ったやろ」
「習ったっけ?」
「習った」

 そう言いながら蝮は、たしか柔造はその授業を聞きながら「ハロウィン、渋谷行きたい」とつぶやいていたことを思い出した。聞いてなどいないに決まっていたか。

「しっかりしてや。明陀かて異端言うたら異端なんやから。確かに祓魔の力はもとからあった宗やけど騎士團に所属したのは……いや、あてがあんたに説教していい話とちゃうな」

 そこまで言って、彼女は言葉を切る。蝮は少し悔やむように、それでいて、諦念を抱くようにそのガスコンロの火を眺めた。ガスの火は青い。だけれど、あの悪魔の子の青い炎とは全く違う色のように思われた。

「蝮」
「うん。分かっとる」
「分かってへん。お前がそうやって教えてくれんと、ぼんくらな俺は分からへんのや」
「でももうあてが祓魔のことに口出していい道理はない」

 そのガスコンロと鍋を真っすぐに、一つになってしまった目で見つめながら言う蝮の肩に、柔造は後ろからそっと手を乗せる。本当は抱きしめたかったが、そこには火があって鍋がある。その現実感。虚構ではなく、彼女はここで生きているという現実。

「そんなことない。まだできることは何でもある。今みたいに俺にいろんなこと教えてくれるだけでも、じゅうぶん大きなことなんや。騎士團に所属してようがしてまいが、お前は明陀で、家族なんやから」

 その言葉に彼女の肩が小さく震える。
 いつも肯定していてくれる男が、いつも自分を引き留めてくれる彼が、いつもそばにいてくれる彼が、そこにいるだけで良かった。

「あほ申」

 悪態は、涙のせいで少しかすれた。
 火を見ながら思う。サウィンの日にはかがり火を焚くのだ、と習った日のことを。
 明陀を疑いながら、それでも明陀のために生きようとしていた、あの学園での日々を。
 あの日々から掬い上げてくれた男の指がその涙をぬぐった。





「はーっ、これで全部か。やっぱり煮ると嵩が減るもんなんやろか」
「お母様と二人で切ったんですけども、その時は二人とも気が遠くなりそうやったのに煮てまうと鍋一つでもこんなもんになりますね。カボチャやからそない嵩は減ってへん気ぃもしますけど」
「あれやろか、鍋もでかいし一口大に切ると減った感じに見えるんやろか」
「ああ、それはありそうですわ。そこに至るまでが長かったんかな」

 あの大量のカボチャが、とか、金造の阿呆のせいで、とかそういう世間話のようなことを出張所の入り口で八百造と蝮がしていた。

「蝮、来てたんか」
「ああ、父様。こないだの金造のカボチャ」
「ああ、あれなあ」

 その声と戻ってこない所長に蟒が出てくれば、だんだん人だかりができる。かなり大きな鍋に入ったそのカボチャの煮物を、出張所のおやつにでもしてくれと言って退散しようと思っていたのに、ちょっとした騒ぎになってしまった。

「蝮様が煮たんですか?良妻やな」とか、「宝生さんこの鍋なんですか、絶対IHで使えんやつですよね」とか、以前の顔なじみが次々に声をかけてきて、蝮は当惑する。当惑するのは、そこの誰もが害意も敵意もなく話しかけてくることだった。当たり前のように話しかけてくれるのが、うれしい。そしてどこか申し訳ない。

「オイ、今蝮のこと宝生言うたの誰や。柳葉魚か?」
「えええええええ!?隊長理不尽の極み!!」

 「ていうか言ってません!蝮さんって呼んでました!」と柳葉魚が言えば「人の妻を名前呼びとはいい度胸やな」とやはり理不尽なことを言われる。

 突然やってきて、その場をかき乱して、そうしたら笑いが起こって、そんな幼馴染であり夫である柔造を見ていたら、その申し訳ないという気持ちがいくらか和らいだ。ここはもう自分の居場所ではないけれど、まだ自分を見ていてくれる、見つけてくれる人たちがいる、と思えた。
 そう思えるようになるまでの日々が長かったとふと思う。その日々の隣に柔造がいてくれなかったら、と思うとぞっとする。だけれど、こうして彼がいて、父がいて、八百造がいて、そうしてたくさんの明陀やそうでない人たちもいて、それで自分は生きている。

「柳葉魚くんをあんまいじめんとな」
「蝮ヒドイ!ほかの男の肩持つんか!!」

 そう言った柔造にその大きな鍋を押し付けて、蝮はその出張所をあとにする。昔はそこに行って、そこで仕事をするのが当たり前だった、とふと思う。
 だけれどきっと、これで良かったのだと思えるようになった。
もう、胸の痛みはない。





「ただいま」
「ああ、お帰り」

 その日の夜、遅番が当たり八百造と金造よりよりも遅く柔造が帰ってきたのは10時を回っていた。

「寝とけっていつも言うてるやん」
「ええやろ、別に。あてが好きにやってるんやから」

 朝食と弁当を準備して、夜は帰ってくるまで待っている。なるほど、昼に明陀宗の誰かが言っていた「蝮様は良妻」というのは前時代的な意味でも正しいのかもしれない、と柔造はふと思ったが、さすがにこの時間になると寝ていてほしいと思い、頼み込んで(というのも変な感じだが)9時を目途にして、それ以上遅くなるようなら風呂に入って寝ていること、という取り決めをしたのはいつだったか。体のこともあるし、そもそも9時だって十分遅いような、と柔造は思うのだが、蝮としては、自分も遅番だったり祓魔の仕事で帰りが遅くなることなんて日常茶飯事だったから、帰ってきた時に家に誰かがいてくれたらいいのに、と思うのは当たり前だった。
 そうは言っても、10時を回っているのに蝮が起きて待っているのは久々のことだ。

「メールしたやろ。今日は出張所で弁当でたから夕飯いらんて」
「うん見た。ああ、手洗いうがいしてな」

 そう言いながら蝮はぱたぱたと台所に向かう。夕飯はいらないと早いうちにメールしたのに、と思いながら柔造は言われたとおりに手洗いうがいをしに洗面台に向かう。それから、こんな時間まで起きていた蝮をなんて言ってたしなめようかと考えていた。
 そこに蝮の声がかかる。

「みんな寝とるから、静かに台所まで来て」
「は?」

 そのあとにふふと蝮のいたずらをした時のような笑い声が聞こえて、柔造は首を傾げた。





「これ?」
「こないだな、青と錦と出かけたやない」
「うん?」
「そしたら二人がな、オーブン買ってくれたんよ。お母様には話したんやけど『出しとくとおとんも金造も柔造もぜっっったいしょうもない操作して壊す!』って言わはって、使うときだけ出すことにしとったの」

 ああそれで、と柔造は昨晩食卓に出てきたグラタンについて思い出す。別に食べたことがないわけではないし、今まではオーブントースターで焼いてたはずが、普段よりも一回りほど大きい器で焼かれたそれにふとした違和感を覚えたが、それは台所を預かる女性陣の秘密道具のなせる業だったようだ。

「そいでな」

 そう言って蝮は柔造が不思議そうに眺めている「これ」、もとい、オレンジ色のケーキを指差す。

「カボチャの残りで作ったケーキ」

 それに柔造は目を輝かせる。昼過ぎに蝮がカボチャを持ってきたときは、明陀も出張所職員も関係なく、みんなが「妻の手料理」を口にしたことがどこか悔しかったのだ。だから蝮のいたずらをしたようなこの笑顔は、そんな柔造の心なんて見透かしたように彼だけに特別なお菓子を作っていたとでも言いたげだ。嫉妬深い夫のことなどお見通し、とでも言うように。

「ほんま!?俺だけやんな!」
「トクベツってやつよ」

 たったそれだけのことではしゃいでくれる大切な男がいとおしい。そう思いながら、蝮は一言付け加える。

「ハロウィンのお菓子が欲しいときは?」
「もちろん、トリックオアトリート!やな!」
「はい、どうぞ」

 仏教徒だろうとキリシタンだろうと、洋の東西を問わず定着したその言葉を言った柔造に蝮はケーキをすすめる。嬉しそうに一口食べてから、柔造はしまったとフォークを皿に置いた。

「食べてもうた」
「え!?美味しくなかった?レシピ通り作ったはずなんやけど…」

 残念そうに言った蝮に柔造は真顔で言った。

「お菓子もらってもうたら蝮にイタズラできへん」

 真面目な顔でそう言われて、蝮は真っ赤になってしまう。

「あほちゃうか」

 そんな馬鹿みたいに当たり前の日常に、自分を引き戻してくれた男といると、その胸の痛みはどこかに行ってしまうのだ、と蝮は思う。
 遠い異国では一年の始まり。冬の始まり。
 新しい季節が、また二人を待っている。




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夏の終わり、冬の始まり。新しい季節はすぐそこにいる。

そんな感じのハロウィンと見せかけたサウィンな二人でした。


2019/10/22