私のスター


「お前とゆっくり買い物なんぞ、ほんまに初めてやな」

 そう言って柔造は楽しげにハンドルを切った。この角を曲がれば繁華街だ。普段はバスや電車ばかりで車なんて使わないのに、急に車を出した彼にそのことを訊ねたら、「二人だけの空間が」と、恥ずかしいことこの上ないことを言われたので、それ以上は訊くのをやめたところだった。
 車を出したって、大した距離はない。他愛もない会話をするうちに車はショッピングモールの駐車場に入っていった。





「これ可愛えやん」
「ああ!もう、あんた変態なんとちゃう!?」
「普通やろ、奥さんの下着選びくらい」

 そう言って柔造が眺めている(しかも真剣に)のは、女性物の下着だった。私は堪えかねて耳を引っ張りその売場から退散した。

「ええやん!」

 エスカレーターまで無理やり連れてきて階を昇る。柔造はまだ何か言っていたが、あんなところ、一緒にいられるものではない。

「あんたには慎みとかそういうもんないわけ!?」
「せっかく夫婦になったんやから、そんくらいええやろ」

 それでも、私が本気で嫌がることはしないのが柔造だった。エスカレーターを降りると、スッと手を取ってくれる。

「お前、病み上がりやねんからあんまり暴れんとな」
「暴れとらん!」
「お……せやな」

 手を取った柔造は、さり気ない動作で私の右目の死角をかばって、手を引いた。

(そういうところが……)

 そういうところが好きやって、言えたら可愛えのやろうけど、言うてやるのはなんだか癪だった。





 柔造が連れてきたのは、和装の店だった。といっても、着物を買うつもりはないし、それに着物なら贔屓の店がある。ここより数段値段が張るとしても、付き合いとは案外大事なものだ。今日は和装ではないが、普段着ている着物はそういう店から母や虎子様が買ったもののお下がりが多かった。それで事足りたし、直しさえ頼めばいい生地なら三代は着られるものだ。

「いらんよ、着物は」

 それに、いくらショッピングモールの中の店とはいえ、値段はする。くいっと柔造の袖を引いて止めたら、振り返った柔造は笑って言った。

「着物はなあ、お前も仰山持っとるし、今日はこっち」

 そう言って彼が指差したのは、和装の小物だった。かんざしや帯留めといった鮮やかな小物がそこにはあった。

「お前、せっかく綺麗に髪伸ばしてんのに、最近ちゃんと結わえてへんやろ。かんざし買うたる」
「ええよ、そんな」
「言うたやろ。今日はお前の好きなもんなんでも買うたるって」

 今朝、出掛ける前に彼が言ったことは、歯の浮くような、それでいてあたたかなものだった。

『やっと夫婦になって、落ちついたんやし、今日はお前とゆっくり買い物して、お前の好きなもんなんでも買うたる』

 そんなの普通のことかもしれない。だけれど私たちは‘普通’というものがひどく困難な夫婦だった。反対もあったし、組織は未だ混乱していた。そんな中でやっと結ばれたそこに、私が負い目や不安を抱えていることを、彼はきっと見抜いていて、だからそんな‘普通’のことが私にとって大きなことだと知っていたのだと思う。

「どれがええかな」

 そんな私の思考なんて、知らないとでも言うように、本当に自然にふるまう彼に、涙がこぼれそうだった。
 私の大事な人。私の愛する人。私を愛してくれる人。
「じゅうぞう、…」
「ん?」
「…大好き」

 小さな声で言って、服の端を握ったら、柔造は笑って私の頭を撫でてくれた。

「なんや、今更。俺も大好きの大好きや」

 そう言ってくれる貴方が愛しいと、伝える言葉が見つからない。伝える言葉が見つからなくても、それを汲み取ってくれて、私を掬い上げてくれる貴方は、私のスターだった。昔からずっと。助けられていたのはいつも私で、だから、今度こそ私が助けるのだと思っていたのに、結局私を助けてくれたのは柔造だった。

「梅もええなあ」

 抱きつくように彼に縋る私の髪を撫でて、柔造はかんざしを私の髪にかざしてみる。

「桜もええ。なんでも似合うなあ、お前は」

 ほんまに可愛え俺の嫁さん、と、臆面もなく言ってくれる柔造が、本当に愛おしい。
 可愛えことが言えない私のことを、可愛えなんて言ってくれる柔造が、愛おしい。

「これがええ」

 私はふと見つけた一つを手に取って、彼に渡す。
 藤の花がデザインされた薄紫のそれは、けれど赤や金色の装飾も施されていて、私の色素の薄い髪にもちゃんと映えるだろうと思われた。

「藤か?」
「そうや」
「お前から言ってくれるなんて嬉しいわ。じゃ、これに決定」

 帰ったら着けて見せよ、と言って、柔造は会計にそれを持っていく。

 柔造と、こうやって夫婦になって、こうやって平和に出掛けられること自体が奇跡みたいで、私はだから、そのかんざしにその日々が続くことを祈る。
 彼とこうしていられることの記念と、これから先の祈念を込めて。

 藤の花は、不死の花。

 私が彼の買ってくれたそれを持っている限り、彼はずっと傍にいてくれる、そう願って、私は隻眼を閉じた。

「お待たせ。茶でも飲むか」

 その言葉に私は目を開く。光と共に、私の大切なスターが、視界に映った。






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柔蝮×甘々