「だーかーらー!」
「……」

 自論を力説する息子に、八百造は顔を覆いたくなった。
 というか覆っていた。
 差し向かいで自論を力説する息子、柔造を前にして。


丁々発止


「外堀固めるっちゅーかね!」
「お前どんだけ阿呆なん。マジなんか。本気なんか?阿呆なんか?」
「お父、今『阿呆』って二回言ったやろ」
「言ったわド阿呆!」

 怒鳴りつけて、それから軽く涼しげな音を立て、八百造は碁笥の中で指を彷徨わせた。そうしてそれから、こういうことが蟒は嫌いだ、と思う。
 碁笥を掻き回して音を立てたりする、そういうことは品がないと言ってのけるのが蟒だったな、と。

(教えへん…ほんま阿呆やろ、コイツ)

 蟒の好む好まざるこそ、柔造の知りたいことだと知りながらも、八百造はそれを言う気にどうしてもなれなかった。





『猫いるやん』
『え…うん』

 事の起こりは、息子と被った非番に新聞を読んでいた居間でのことであった。居間には碁盤と将棋盤が出してあった。昨晩、蟒が来て、八百造と両方一局ずつやったのである。得手不得手はいつも通りで、将棋は八百造が、囲碁は蟒が勝って、互いに美味い酒を飲んだ。
 次の日、片付けぬまま置いてあったそれをじっと見詰めた息子、柔造は、神妙な顔で『猫』と言った。

『仔猫がおって、人にあげるとして』
『え、ちょ、うちは猫とか飼う余裕ないねんけど』

 使い魔でも却下!と八百造は言ったが、柔造は神妙な面持ちのままである。

『うん。金はあんまり掛からんようにする』
『え、ちょ、ほんまに飼う気なん?やめや!おかんキレる!』
『仔猫は基本的にな』

 八百造の言葉を完全無視して、柔造は続けた。

『趣味の合う人にあげると思うんよ』
『え…うん』

 もう先程から、「え」と「うん」以外の相槌が打てない内容しか息子がしゃべっていないことに、八百造は頭を抱えたかった。話を聞いてくれと思った。

『つまりや!俺が囲碁上手くなれば蟒様は蝮を俺にくれる!』
『……………お前ほんま阿呆やな!』





 嗚呼、せめて次男だけは阿呆じゃなく育っていると思っていたのに、この有様だと思いながら、八百造は次に打つ手を考える。
 気の合う人に猫をあげる、ってことは蝮もらえる!という短絡どころでは済まされない理由を掲げて、囲碁を教えるようにせがんできた息子に、八百造はいっそ哀しくなった。

「あれやん」
「なに?」
「蟒に直接言うたらええやん。「囲碁教えてください」って。素直な感じでええんとちゃう?」

 面倒の極みに達したので、当事者である蟒を出しにしようという倒錯的発想を提案した八百造だったが、柔造は神妙な面持ちだった。

「駄目やと思う」
「なんで」
「下心ばれた」
「実行済みかこの阿呆!」

 だって、とか、でも、と言いながら言う彼の言い訳を聞けば、「うちの子は猫とは違うんよ」と言われたらしい。純真無垢を装って蟒に特攻したそこだけは褒めてやりたいと八百造はぼんやり思った。どうして蟒が、柔造が純真無垢に囲碁を教えてくれなんて言うと勘違いするのだろうと思いながら。
 だってそうだろう。件の後に目の前で結婚宣言までしたのだから。まあそれはいい。その場では蟒も認めた。だが、蝮が首を縦に振らないのだとしたら、蟒も無理には結婚しろと言えないし、そうして同時に、柔造が外堀を固めに来るタイプの男だということも承知済みだ。
 固め方がここまで短絡的発想だとは八百造も考えていなかった訳だが。

「やからお父に頼んでんやん!」
「ほんまド阿呆やな!」

 八百造は思わずガチャッと派手に碁石で音を立ててしまう。それからハッとしたように碁笥から指を引いた。

「打たんのか?」
「こういうのが蟒には……いや、なんでもない」

 本当を言えば、柔造と蝮は早く結婚してほしい、というのが八百造にしろ蟒にしろの願いだった。柔造が蝮を思っているのは間違いないし、それは蝮だってそうだ。照れはあれども、二人は幸せになるだろう、と思う。
 だが、柔造にはこの思考回路を何とかしてほしい。スイッチが入ると脳内に「蝮」以外なくなる辺りが大変残念である、というのが八百造のごく個人的感覚である。

「蟒様!?なんなん!?何が駄目なん!?」

 食い付いた柔造にげんなり息を吐いたその時だった。玄関の方から妻と、そうして幼馴染の可愛らしい声がする。

「あ、まむし!」

 簡単に気を逸らして光の速さで走りだそうとする柔造の足を思いっきり引いてびたーんと倒す。いい音がした。

「お父、何すんねん!」
「お申、阿呆みたいやな」

 強か打った額に手を当てて抗議する柔造と、それにため息をついて応じた八百造のところに、蝮がやってくる。八百造のそれは、どうせこちらに来るのだから、という制止だった。押してダメなら、というか、最近押すこと以外知らない風情の柔造を止めるのでいっぱいいっぱいではあるが。

「蝮ちゃん、おはようさん」
「おはようございます。昨日は父がお邪魔して」
「ああ、楽しかったえ」

 膝をついて挨拶をし、柔造を一瞥すると、蝮は八百造に封筒を差し出す。寺の集まりの知らせらしかった。

「来週に一度集まりが。向こうさんで講もありますし、そのついでに明陀からも誰かという話です」
「せやなあ。ちゃんとしたの出られたらその方がええやろね」
「一度八百造様にも計るようにと和尚様が。あと、出張所の兼ね合いも…」

 そう言い差して、蝮は言葉を濁す。彼女が今持ってきたのは、寺の方の書類だ。祓魔や出張所とは関係のない部分だった。そういった部分を切り取られる、切り取らざるを得ないながらも、彼女を大事にして、信頼しているからこそ、こういった仕事を頼む彼女の父は、やはり優しかった。

「うん。目、通しておくわ。体調良かったら蝮ちゃんに行ってもらうかもしれん」

 ここの講やし、と続けたら、蝮はきっかり頭を下げる。

「その時は有り難く」
「そう堅くならんと」
「どこ?俺行ける感じ?」

 ついてくる気満々なのと、会話が自分を素通りするために柔造が声を上げたら、蝮がやっと振り返る。だが、言われた言葉に柔造は沈まざるを得なかった。

「連れてくなら金造がええわ」
「なんで!なんでや!?裏切りなんか!?」
「違うわ!うるさいお申や!ここの講は声が言い者が行くのがええのや!」
「金造のあれは声がええとかと違うわ!」

 ぎゃんぎゃん吠える柔造に、八百造は本気でため息を大きくついた。そうしてそれから、二人が言い合いをしているうちにふと盤面を見遣る。そういえば忘れていたが、囲碁の対局の途中だった。

「志摩、あんた碁なんぞ出来るんか」
「え、あー、その、あれやな」
「あんまり八百造様を困らせるんやない」

 ほれ、と蝮は盤面を指差す。

「八百造様はお優しいから手加減なさる」
「へ?」
「ここの石、一手で死ぬわ」

 基礎的な知識しかない柔造に、石の生き死になんてなかなか分からないもので、八百造は大量に地を取ってしまうそれを避けていた。さすがにやり過ぎなような気がしたからだ。そんな自分よりも強い蟒といい感じに打てる日なんて、当分来ないだろうと思いながら。

「……せや」

 八百造はふと呟くように言った。

「え?なに?」

 不思議そうにきょとんとする息子に言う。

「蝮ちゃんに習ったらええやろ」

 馬に蹴られるのは御免だ、と思いながら、八百造は自分の言葉に頬を真っ赤に染めるうぶな二人の若人に、ひらひらと手を振った。




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丁々発止の恋なれど、岡目八目、惚れたが負けか

2014/03/24