ややこしややこし


 金造は、虎屋の縁側でぼーっと庭を眺めていた。紅葉が進みつつある京都の坪庭、風情があるなと特段の感慨を抱いたわけではないがそのようなことをたまに思い出しながら、ぼんやりと庭を眺めていた。
 隣の広間からは聞き馴染んだ二家族分の声がまだ聞こえている。
 今日は兄である柔造とこれから姉となる蝮の結納の席が虎屋の一室に設けられていた。
 その席から抜け出して、それから。

「ややこしなあ」

 ぼんやりと庭を眺めて、彼はつぶやく。
 不浄王との戦いが終わって、ずいぶん長い時間が経ったように彼は思っていた。
 万が一、蝮の復活させた不浄王をあのサタンの落胤である奥村燐が倒せなかったら、こんな席はなかった。こんな平和な日常はありえなかった。
 しかし現実にはすべてが丸く収まった。そうだというのに、いや、そうだからこそ、この現実が金造にはどうにも腑に落ちないところがあった。

「明陀の男として、散る」

 ぽつんとつぶやいて、それから脳裏をよぎったのは幼いころに見た矛造の姿だった。と言っても、彼との間に金造はそれほどの記憶を持ってはいない。むしろ、その長兄について柔造や剛造、蝮や盾から聞くことの方が多く、それはどれも英雄的な話として、誰かの中ではスーパーヒーローのごとく、誰かの中では記憶が美化されていたような気が、金造にはする。
 だけれど、語る人皆の中で共通しているのは、明陀のために散ったのだ、というその一点だった。
 だから、金造にとって「明陀の男として華々しく散る」というのは矛造から受けた影響のように思う。

「よう知らん矛兄も、明陀も」

 ぽつりと呟いたら、墨染の衣を翻して柔造が歩いてくるのが見えた。

「あれ、終わったん?」
「途中で抜け出しおって!」
「ったあ!暴力反対やほんま」

 首だけで振り返って問いかければ、思い切り殴られて、金造は今度こそ立っている柔造を見上げた。

「終わった、ちゅうかお前もどうせいつも通りの雑談面倒で抜け出したんやろ」
「まー、おとんと蟒様とおかんとおばさんの雑談なんぞいつもやっとることやん?顔合わせなんて見飽きた蛇やし!あ、蟒様とおばさんはちゃうよ!あの蛇姉妹どもやからな!しかも式の調整とかよう分らんし」
「まあ、そりゃそうやけどな」

 そう言って、柔造はどっかと金造の横に座った。そして、金造の染められたくせ毛をわしわしと撫でた。

「なんやねん、子供ちゃうわ」
「俺と蝮から見たらお前はいつまでも手ぇのかかる子供で弟や」
「あっそ」

 素っ気なく返されたそれにも構わず、柔造はいつも通りの笑顔のままだ。そこがまた腹立たしくもあり、心強くもあるのが悔しかった。

「なー、俺明陀の男になれとる?」

 だから、その心強い兄に、彼はぼんやりと訊ねた。

「明陀の男かぁ。むつかしいこと言うなあ」

 柔造は文武に長け、志摩家の総領息子としての務めをしっかりと果たしている。明陀の男、と言われて金造が思い浮かべるのはたぶん柔造だった。

「和尚様守って、坊守って、みんな守って。そういうのが明陀の男なんやろ。柔兄見とるとそう思う」

 そう言ってみれば、柔造はどこか恥ずかし気に、あるいは気まずげに頭の後ろを掻いた。

「俺はそこまで明陀に尽くしとらんからなあ」
「はあ!?んなわけないやろ!?」

 そう言った金造の頭を柔造はぐしゃぐしゃにかき混ぜる。

「俺は自分の見える範囲、知っとる範囲、手が伸ばせる範囲しか、守れやせんから」
「それって家族やろ、明陀は家族やから、柔兄は守ってるやん」

 そう静かに言ったら、柔造は微笑んだ。

「お前の中にある『明陀の男』は俺だけやないんやろ?」
「……」
「俺は家族を守りたい。守りたいけど、もっと守りたいもんがあったとして、それが明陀のためにならんくても、何かやってまうかもしれんといつも思っとる」

 蝮のことやろうか、とぼんやりと金造は思う。だけれど口には出せなかった。

「明陀の、血のしがらみがどうしようもないほど疎ましい時が、あった。今もたぶん、ある。それをそれでも俺は壊せんかった。壊す勇気がなかったんやろなあ」

 柔造は自嘲気味に笑って、秋晴れの空を見上げた。
 その時だった。

「二人ともこないなとこで。風邪ひくえ」

 聞こえた声の主は着物姿の蝮だった。いつもよりも明るい色目の着物は結納の席ゆえだろう。

「おー、蝮、式の段取りとか料理決まったんか?」
「虎子様と志摩のおば様と母様がもう大盛り上がりやからお任せしますで逃げてきた」
「なんや、俺も柔兄も蝮も似たようなもんやん」

 柔造と金造に言われて、蝮が苦笑をこぼすと、柔造と金造は隣り合って座っていたその間に蝮の席を用意する。そうしたら、面映ゆそうに蝮はそこに腰を下ろした。風邪を引くと言いながら自分もこれでは形無しだと思いながら。

「なー蝮。明陀の男ってどういう意味やろ」
「藪から棒に、どないしたん?」

 隣の金造に言われて、蝮がきょとんと振り返ると金造はその蝮の右目の眼帯をしげしげと眺めた。

「あー、せやなあ。蝮も俺にとっちゃ明陀の男やな…女か」
「はあ?」

 蝮が怪訝そうに眉を顰めれば、金造は小首をかしげながら言った。

「なんちゅうか、明陀を変えたり、明陀のために命かけたりって、矛兄も柔兄も剛兄も、坊もやっとる。盾姉かてきっとそうや。でも、俺な、蝮が右目盗んで、目ぇに入れて、そんで帰ってきたときな、ああ、蝮はほんまに明陀のことしか考えとらんかったんやなって思うたんや」
「金造、それは違う。あてのこれは赦されたり理解されたりしてええことやない」

 強く制した蝮の、縁側に置かれた手を、柔造がぎゅっと握る。それに蝮は安堵しながら後悔していた。

「違わんのや。これ言うたら蝮が怒るんやろなって分かっとる。分かっとるけど、明陀のために華々しく散るとか、戦うとか、そういう言葉でごまかして、見なきゃならんことから目ぇ逸らすんも、明陀のためにならん。蝮も坊も、そうやった」
「金造、あんな」
「あー、言わんでええわ。どうせくっらい言葉しか言わんやろから」

 その言葉に蝮は俯く。その銀糸のような髪を金造はひと房指に絡めて言った。

「俺の中には、柔兄と蝮と、両方の明陀が入っとるんや」

 その言葉を、蝮と柔造は静かに聴いていた。

「座主のために、明陀のために、戦う、命を懸ける、どこまででも尽くす、何かあれば正す。二人を見て、俺は育ったから」

 その言葉に、蝮が震えるのを見て、柔造は彼女の肩を抱いた。
 震えて、それから嗚咽が聞こえた。

「金造、ありがとうな」
「別に礼言われるようなことちゃうわ」

 ぶっきらぼうに、彼女が泣いているのを知らないふりをして金造が言えば、蝮は柔造に抱き着いて、涙を流した。

「あては、もう明陀のために戦えんけど、あんたが継いでくれるんやね」
「おう!任せろ」
「俺にははよ追いつけるように努力せえよ」

 柔造の言葉にも、彼は挑戦的な目でうなずいて見せた。

「これからの明陀を任せるえ」

 嗚咽交じりの蝮の言葉にうなずいて、さて馬に蹴られる前に帰るかと立ち上がった金造の衣の裾を、ハッとしたように蝮が引っぱった。

「うおっ!こけるとこやったやろ!?」

 体勢を立て直して蝮を振り返れば、柔造と蝮が可笑しそうに笑っている。

「まだ帰ったらあかんよ」
「はあ?まだなんか結納のなんか残っとんのか?」

 俺はええやろ、と言った彼に、柔造と蝮は顔を見合わせて笑った。

「なんやねん、気色悪いわぁ」

 悪態をついた金造に、二人の笑いは止まらなくなる。
 今日を結納の日に選んだのは二人なのだ。
 日取りも日柄も良かった。だがそれだけではない。いや、むしろこの日が吉日で良かったと二人は思っていた。

「虎屋に一席設けるから、お前絶対すっぽかすなよ」
「はあ!?まだなんかあるんか!?」
「なんかっていうか、あんたが主役や」

 二人に言われて金造は首をひねる。

「主役はそっちやろ?」

 心底不思議そうに言った金造に、柔造と蝮はやはり顔を見合わせて笑った。

「ややこし男やなあ」
「ほんまにね」

 これから夫婦になる仲睦まじげな二人に、金造はなんのことかと立ち尽くしていた。
 彼は、今日が自分の誕生日だなんてすっかり忘れていたから―――




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金造くんおたおめ!

2017/11/17