「蝮ー?起きてんかー?」
「なんや」
ガラッと襖が開く。そこにいたのは志摩家の四男だった。
「おう。おはよ」
「なんね、仕事は?」
「非番や非番」
そう言って、金造は蝮の枕元に座る。蝮は身体を起こして怪訝そうに彼の方を見た。
「起きんでええのに」
「お前が怪しいからや、志摩」
不浄王との戦いののち、擦った揉んだの末に、蝮は志摩家で引き取ることに相成った。―擦った揉んだの内容が内容である故、未だに職場に行くと彼女の妹たちの視線が痛い。ついでに言えば、彼女の父の視線もたまに冷たいが、蟒はよく蝮の体調を金造に聞いていた。だが、大事なのはここである。蟒が、蝮の体調についても、彼女の様子についても、柔造と八百造にだけは聞かないことを、金造は気がついていた。
まだ本調子ではない蝮は、志摩家の一室で横になっていることが多い。
「お前なあ!ていうかや、いい加減名前で呼びて言うてるやろ!お父も、俺も、廉造も、みーんな志摩やねんから」
そこで金造は、その擦った揉んだの核心を口にする。
「お前、うちの嫁さんになるんえ?」
嫁さん
『むっ…娘さんを俺にください!』
明陀の総会で、なぜか父が座るはずの席に座った柔造は、明陀の役員幹部、当主僧正全員の前で、そう叫んで蟒に向かって頭を下げたらしい。
それで、案の定殴られたらしい―彼女の父からだけでなく、実の父からも。
『何考えとるんじゃボケがあああ!お前が大事な話ある言うから総会開いたんやぞ!?お前もやっぱり阿呆なんか!?弟どもと一緒なんか!?』
その話を聞いて、金造は真っ先に言った。
「お父ひどい。一緒ってなんね。柔兄はほんまもんの阿呆やねんぞ?俺に廉造なん、すっ転ぶくらい阿呆やねんぞ!?」
「…蝮に対してだけやけど」
そう付け足すと、八百造はガクッとうなだれた。その後柔造は、『蝮にも話は通してある』とか、『とりあえず魔障が治るまで!』とか、相当ごねて、結局魔障が治るまで、志摩家で預かるという形で落ち着いたのが一週間前。だが、連れて来られた蝮は八百造の寿命を一気に縮めた。
『よろしゅうお願いします』
『うん。ゆっくりでええから、身体休めてな』
『せやけど…』
『遠慮せんでええ』
まむし、まむし、と後ろに控えていた柔造が彼女をつつく。すると、蝮は真っ赤になって、小さな声を出す。
『あ…の…』
『どないした?遠慮せんでええて言うたやろ?』
優しく言うと、蝮は、蚊の鳴くような声で言った。
『お義父さんて…呼ばなあかんですよね?』
その一言に、柔造はありえないほど喜んだ。八百造はありえないほど固まった。
金造は素直に「逆ちゃうか?」と呟いておいた。順番がすっ飛びすぎであるが、もう引き返す道はない、と金造は腹をくくったのだが、蝮を連れて柔造が部屋から出ると、八百造は真っ青な顔で彼に言った。
『これ…蟒に言わなあかんかな』
『そら言わな、蟒さん怒るやろ。やって約束では魔障がようなったら帰す言うたんやろ?』
『蟒に、殺されんかな?』
『………なんちゅーか、ドンマイ!お父!』
次の日、なんだか縮んでしまった父親に、金造が言えることは、やはり変わらなかった。
『ドンマイ、お父!』
それに、いっそ殺意が湧いた八百造だったが、どうしようもないことだった。
「嫁さん」という単語にピシッと固まってしまった蝮のおかげで、金造は、かなり長いこと、具体的にこの一週間を振り返ることができた。
蟒の怒りは凄まじいものだったが、とうに話がついているものと勘違いしていた(正確には勘違いさせられていた)蝮からの電話で、本人が一番本気なのを知って、蟒も付き合いを許したらしい。
だが「許したんは、付き合いだけや」と、八百造と柔造が言われているのを見て、金造は遅まきながら固まった。
(蟒さん、超絶の笑顔や…!)
だがまあ、何だかんだで、蝮はもはや、志摩家公認の婚約者なのである。
「蝮ー?まーむーしー?戻ってこーい」
ひらひらと顔の前で手を振ると、彼女はハッとしたように肩を揺らした。
「ま、まだ嫁やないやろ!」
その言葉に、嫁さんになる気はあるんやなあ、と、金造はしみじみ思う。
「せやけど、嫁に来てから『志摩』なん呼ばれたら傷つくわ」
「そっ…そういうお前かて、ねっ…義姉さん呼び捨てにすな!」
真っ赤になって言われたそれに、柔造の根回しを感じ取って、想像以上の『蝮嫁入り計画』の進行に、薄ら寒さ半分、だが、嬉しさも半分やってきて、金造は笑ってしまう。苦笑が混じっているのも、この際愛嬌だ。
「はいはい義姉さん」
「っ!…やっぱし、嫌や。恥ずかしい」
その小さなつぶやきに、やっぱりな、と金造は思う。
「えー?なんでなん?義姉さん、俺のこと嫌いなん?」
からかうように、殊更甘えた声を上げて後ろから抱き着くと、蝮はびくびくと震えてしまう。
「なあ?嫌い?」
すりすりと肩口に顔を擦り付けられて、蝮はふるふると首を振った。
「そんなこと、あらへん…その…好きやよ、金造」
(………なんやこの生き物、可愛すぎやろうが!)
「金造」と呼んだ名前だけ、声が小さくなってしまったのも、恥ずかしさに震えているのも、どれも今まで見てきた彼女ではない気がして、金造は、彼女が兄の嫁になることなど忘れて、真っ赤になった耳に思わず噛み付く。
「ひゃあ!やめえ!なにすんのや!」
それに、蝮は驚くほど大きく反応した。あまりに初な反応で、金造は楽しくなってしまう。
(これはもっとからかわんといけんよなあ…義弟として)
にやりと笑って、それから彼は、彼女を抱きしめる腕にグッと力を篭めた。
「なあなあ」
彼女の肩に顔をのせたまま、金造は声を上げる。
「なん?」
「柔兄てエッチ上手い?」
「な、な、な!」
「やって、柔兄、帰ってくるとすぐここ来るやん?してへんの?」
そう言うと、彼女は真っ赤になってぶんぶんと首を振った。
「そんなん、するわけないやろ!まだけっ、結婚もしとらんのに!」
「ほんまぁ?けど付き合うとるんやろ?」
にやにやと笑いながら言うが、そんなのは予想の範疇の返答だった。
「しとらん!」
震えながらも、きっぱりと言われて、金造は心中、「柔兄、かわいそー」と思ったが、口には出さず、次のからかいを用意する。
「せやんなーおかしいと思たわー。蝮、3年くらい胸のサイズ変わってへんのやもん。柔兄、テクニシャンやで?もしやってたら今頃もっと大きゅうなっとるわ」
「な!なんやの!」
「え?試す?実は俺も上手いねん」
そう言うと、金造は、浴衣の前袷からぬっと腕を差し入れる。
「ひゃあ!や…やめ」
「えー?蝮、ブラ着けてへんの?形悪なんで」
浴衣の下の肌着越しに触れた胸を被うものがなくて、彼女の抗議など聞こえないというように、非難めいた声を上げると、蝮はひっと息を呑む。
「まだ、苦しいさかい…着けてへんだけ…や、から…やめえ」
「ええやんか。ただのスキンシップや」
「あっ、阿呆!こないなスキンシップ、あるかいな!…やぁ…ぁっ」
さわさわと手がはい回ると、浴衣の上が完全に肌けた。だが彼は手を止めない。
「な?気持ちええ?」
「はっ…はあっ…あっ…やめえ…やぁ!」
涙目になった蝮に、余計煽られて、彼は耳元で囁く。
「柔兄、もっと上手いで?」
「っ!?」
「お前、胸小っさいから、絶対感度ええて…ほれ」
「ひぁっ!」
「お前ら何しとんのじゃあああ!」
スパンと、金造が入ってきたのと逆の襖が開いた。
「…来おった」
「柔…ぞ…助け…て」
「金造!お前何しくさってんねん!」
柔造は、ばっと走り込んできて、金造を押し退け、すぐに蝮の浴衣を直す。
「大丈夫か?ほんま、金造何考えてんのや!シバき回すぞコラァ!」
「…いや、むしろ俺がシバくえ、柔兄」
「んやと!お前、ずっと狙っとったのやろ!?そうやろ!?抵抗できんからてなんちゅーことしてんのや!」
蝮を大事そうに抱えて、柔造は叫んだ。彼女は彼女で、安心しきったように身体を預けている。
その姿に、金造は一つ息をついた。
「どうでもええけど、柔兄、鼻血拭けや」
「は…?」
「どうせ、非番やから聞き耳立てとったんやろ、変態が」
侮蔑に似た眼差しを向けてから、金造は開けっ放しの襖の向こうに目をやる。そこは、柔造の部屋だった。
蝮の寝起きする部屋は、柔造の隣だった。「夫婦やし!」と、兄が輝く笑顔で言っていたのは覚えていたが、どうせこんなことだろうと思っていた金造だ。
「柔…造…」
ずずずと音がした気がして、金造は、おお、と声を上げる。
「蝮…サン…?」
顔を上げた蝮の眼差しの向こうで、柔造はまだ鼻血を流している。
終わったな、と金造は確信した。
「この申が!蛇の餌になりたいんか!」
ゴシャッと鈍い音がして、柔造が吹っ飛んだ。
「金造!それどっか見えんとこに持っていき!」
肩で息をしながら言われて、金造はへらりと笑う。
「はーい、義姉さま!」
「柔兄、失策やで」
「何が!おかしいやろ、なんでお触りしたお前は許されて、俺が殴られてん!」
「お触りて…あんたやっぱり変態やな」
「うるさいわ!」
「…純粋培養計画も程々にせんと、結婚しても一ミリも触らせてもらえんかもしれんよ」
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2012/2/7
2012/7/31 pixivより移動