甘やかす
「うーん、これは喘息だなぁ……」
ぽつんと呟いて、パジャマのまま吸入薬はいるかいらないか、などということをベッドの上で考える。朝目が覚めたら、というか目が覚めた理由が喘息の発作だなんて本当に面白くない。今日は休みだから久坂と遊びに行くって言ってたのに、と思い、吸入までは必要ないかな、なんて思って、それから僕は怠い身体を起こして、枕元のスマートフォンを取った。
「テキトーにメールしとこ」
幼馴染で恋人の久坂と約束していたことには違いないから、なんて思いつつデートって雰囲気にもならない朴念仁め、などということも考えながら適当にメールをする。今日はちょっと予定が入っちゃった、みたいに言っておけばまあいいだろう、くらいに彼にメールして、それからスマホの時計を確認すれば、もう朝の八時だった。
「げぇ、寝坊した。っていうかそれで寝てたのか」
寝坊した、と言いつつも、発作で目が覚めるほど弱っていたから寝坊したのだ、というところまでは頭が回って、思ったより疲れていたのか弱っていたのか、と思ったら余計に体がだるくなってきた。
「久坂との約束、九時だよな……」
断るのがギリギリになってしまったが、仕方がないと思いつつ、ぼんやり呟く。
「映画観たかったなぁ……」
ていうかその後でご飯食べながら感想言い合ったり、普段着るものに頓着しない久坂の服を選んだりってちょっと楽しみだったのに。いつもより甘い感じになればいいな、なんて思ってたのに、なんてひとりの部屋でぐちぐち思っていたら、スマホが着信を告げる。
「ふぇ?」
画面に表示された発信者の名前に驚いて、それでも出ないと、とすぐに画面をタップした。
『おはよう、晋作』
「お、おはよ、久坂。今日はごめん」
久坂から掛かってきたその電話に、思わずドキドキしつつ、それでも誤魔化さないと、という思考も働いて、適当に謝る。だって、久坂に迷惑かけられないし。
『……』
「あ、の」
電話越しで黙った久坂に、当日に断るメールなんて入れたから怒っているかな、と不安になって何か言わないと、と思ったら、電話越しに彼は深い溜息をついて言った。
『ハァァ……声が枯れている、晋作』
「え?」
『発作だな。なぜそうメールに書かない。熱はあるのか?飯は?というか食欲あるか?今起きたんだろう?』
子供のころからの長い付き合いだからと言うのもあるのだろうが、久坂には全部見抜かれていて、そう言われたら一人きりでいた部屋が無性に寂しくなって、それでいながら久坂の声が嬉しくて、ホッとしてしまったら咳が出た。
『晋作、少し待ってろ』
そう告げられた後に、ツーツーと通話終了を小さな機械が告げて、僕はまた咳込みながらその画面を閉じた。
*
がちゃりと部屋の鍵が開く音がして、合鍵を使った久坂だと分かっていたから、僕は怠い身体をベッドに転がしたまま、その音を聞いていた。結局迷惑を掛けてしまった、と思いながらも、彼が不調に気づいてくれたことに安堵している自分がいるのも確かだった。
「晋作、上がるぞ」
律儀に声を掛けて部屋に入ってきた久坂は、真っ直ぐに寝室に来る。パジャマのままで気怠さからベッドにいた僕は、それでも起き上がって彼を見たら、本当にホッとしていた。
「化粧もしてなくて悪いね」
そんな気持ちを誤魔化すようにふざけて言ってみたら、久坂があからさまに顔をしかめて、それでもベッドの僕の方まで寄ってきて額に触れる。
「化粧などしなくともお前は綺麗だ」
言われたその一言にドキリとして、それでもそれも誤魔化すように、さらにふざけるしかできない。
「褒めても何も出ませーん」
そう言えば、久坂は溜息をついて言った。
「僕がお前に嘘をついたことがあるか?」
至極真剣な顔でそう言われて、僕は思わず反発する。
「熱が上がったお前のせいだ」
「何を言っている、何を」
そう呆れたように言った久坂は、僕の額に当てた手をゆっくりと離して、それから続ける。
「熱がある。それに咳もしていたが、吸入薬は使ったか?」
「そこまでじゃないかなって」
そう言ったら久坂は眉を顰めて、そのままベッドサイドの引き出しを漁ると、吸入薬を取り出して手慣れた感じで僕に宛がった。
「ほら、ちゃんとしろ」
背中をとんとんと撫でられて、慣れた様子のそれに自分で出来ると言おうかとも思ったけれど、その大きな体に支えられているのが心地好くて、そのまま薬を吸い込めば、ようやく久坂が少し笑ってくれる。そうして彼は薬を片付けて言った。
「まったく、お前は本当に……」
「……ごめんなさい」
「謝らせたいわけじゃない、今のはこちらの言い方が悪かったな」
クソ真面目に言ってきた久坂に、それでも迷惑を掛けてしまったし、デートも不意にしたし、と思ったら段々と罪悪感が増してきて、ぽろりと泣いてしまう。体が弱ると精神も惰弱になるのは本当に頂けない、と思いながらも、久坂の腕の中があたたかくて、そうして安心と罪悪感とでいっぱいになった頭では、もう泣くくらいしか選択肢がなかった。
「ごめん、くさか、ごめん」
「謝るな、馬鹿。苦しいのはお前なんだから」
「で、も」
「こんな時にも頼れないのか、お前の彼氏とやらは」
そう笑って言われて僕は彼の腕の中で真っ赤になる。そんなことを言われたら、許容量オーバー起こすだろうが!
「久坂ぁ……」
「いっぱい甘やかしてやるから、治るまで」
そう言った彼の腕に、僕はいつの間にかしっかりと抱き寄せられていた。
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2023/4/18