花火

 コホッと咳をした、昔から面倒を見ている隣の家の晋作の背を撫でる。

「吸入は?」

 問い掛ければ、晋作はすこし火照った顔で首を振った。

「発作じゃないですから」

 そうは言うが緩く笑う彼女の苦痛が和らげば、と何度も背をさすれば、落ち着いてきたのか呼吸がゆっくりになっていく。
 彼女との出会いは至極平凡なものだった。十近く歳の離れた女の子が隣の家に生まれ、歳が離れていることはそうだが、何というか真面目に見えていたらしい僕は、彼女が小学生になる頃「勉強見てあげて?」と親御さんに言われ、隣ということもあり引き受けたら、当の本人、晋作から懐かれた。以上。

「いや……」
「先生、すみません。もう落ち着きましたから」

 無理に笑って言う晋作の背を撫でて言う。

「水を持ってきます。少し待っていてください。台所お借りしますね?」

 言葉に晋作はこくんと頷いた。





「はあああ」

 使っていいと言われて何年経ったか思い出せない高杉家の台所で晋作のマグカップに水を汲みながら、盛大に溜息をつく。2階の自室にいる彼女には聞こえないだろう、と思いながら。

「そろそろ犯罪になる……」

 高校生で受験生の晋作の勉強を見ているが、「先生と同じ大学に入る!」と言って勉強に邁進する晋作の成績なら充分では、と思いつつ、今はその大学ではないところの准教授だし、自宅での研究が基本だから職務上は問題ないと言えばそうだが、しかし。

「女子高校生の勉強を見て、あまつさえ身体の不調まで面倒を見て、正気を保てるほど僕も強くないんです。そろそろ犯罪になりかねない……」

 ……それが晋作相手だから、尚のこと。





『せんせーのおよめさんにしてください!』

 自分が高校生の頃、晋作にそう告白された。子供特有の憧れのようなものだろうと思いつつ、だが晋作と打ち解けた頃で、可愛らしく思っていたのも嘘ではない。

『いいですよ?晋作が大きくなったらね』

 だから僕は今でもあの日の自分を殴り飛ばしたい。





 それから晋作は、ことあるごとに「およめさんにしてくれるって言った」「僕以外見ちゃダメ!」と迫ってくるようになった。中学、高校と年齢を経てどんどん色香が増していく「幼馴染」のような年下の可愛らしい彼女に、僕は頭を抱えていた。
 ……僕だって晋作は可愛い。好きだ。だが、この年齢差だ、きっと彼女の勘違いなのに、僕だけ舞い上がるのは馬鹿みたいだ、と。





「晋作、水を。ひとりで飲めますか?」

 そんな懊悩の末、部屋に戻り水を差し出せば、頷いた彼女はこくこくと水を飲んでくれた。

「先生、今日花火大会あるじゃないですか。先生と行きたい」

 水を飲み終えてそう言った彼女の頭を軽く叩いて撫でる。

「体調優先だから駄目です」
「ケチ……」
「僕の家のベランダから毎年見えますよ。それなら良しとしましょう」

 そう言えば、晋作の目がキラキラ輝く。可愛らしい、と思って追いやるように頭を振った。

「じゃあ夜にお邪魔しますから!」





「はい」
「杏飴……?」
「りんご飴は君では食べきれないでしょう」

 先生の家のベランダにお邪魔したら、先生がそう言って屋台の飴をくれた。

「少しは雰囲気がないと」
「先生大好き!」

 僕の言葉に困ったように先生が笑った時、ドンと夜空に大輪の花が咲いた。

「ねえ、先生」

 先生が買ってきてくれた杏飴を少しかじって、立て続けに開く花火を眺めて問い掛ける。

「お嫁さんにしてください」

 僕の言葉を横顔で聞いた先生のその流麗な顔が花火の光に一瞬照らされる。ああ、けっこう会場から近いんだ、なんてどうでもいいことを考えた。

「君は僕が男だと分かっていない」

 言葉に反駁しようとした瞬間に、頭を掴まれて唇を塞がれる。

「ふぁっ……」

 甘い飴の味と、先生の唾液が絡まって、またドンと咲いた花が僕たちを照らした。

「もう君以外見えていませんし、もう逃がしませんよ、僕の晋作」

 言葉に、僕は微笑んだ。

「もちろん、逃げるなんてあり得ません」

 初めてのキスは飴の蜜の味。


=========
2023/5/8