未知生、焉知死
自身が死んで後の歴史を知るということは、興味深いと同時にひどく重かった。
聖杯から得た知識、その一端。久坂君の死、大事な弟子たちの死、そうして晋作の死。
それらすべてがこの国を変える切っ掛けになったのだ、と僕はどうしても信じたくなかった。諦めからは何も生まれないかもしれない。だけれど、その死から何かが生まれたと信じるのは、ひどく辛かった。
『戯言です。忘れてください』
そう、勝手に死んだ僕への、仲間たちへの慟哭を漏らした晋作に言われて、ずきりとどこかが痛んだ。
彼は、僕の死後に僕の首を故郷へと持ち帰ってくれたということも知っていた。
諦めてなどいないことを知っていたのに、諦めからは何も生まれないと、何も成せないと晋作に言った自分こそ、諦めしかなかったのではないかと思い、ふと叫び、血を流した彼が逃げ切ってから、その記録を辿った。
『どんなお姿でも、どんなに辛いことがあっても、この晋作は先生をお慕いしています』
晋作は僕の首を抱えて言った。首だけになったそれはひどく無様で、だけれど彼は大事にそれを抱えて、そうして言う。
『愛していました、誰よりも。いえ、愛しています、誰よりも。今更になって本当に申し訳ありません。僕は……俺は、戦います』
言葉に目を伏せて聖杯からの知識を途端に切り上げてしまった。諦めたのは君ではない。君たちを、君を生かすことも出来ず、諦めたのは、僕だ。
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
一言ふと呟く。何も知らないままに諦めて死んだのは、僕だ。
*
だから、カルデアに自身が招かれて、『世界』というものを救う旅路を手伝ってほしいと改めてマスター君に言われて、それを了承し、あのサイタマという都市であったことすべてを覚えていながらここに来た僕は、それでもずっと避けているものが一つあった。
「愚かだな、僕は」
ぼんやりと呟く。呟いて、ふらりと自室に戻った。
*
「せーんせ!」
自室に戻った瞬間、飛びついてきたその姿に、僕は心臓が止まるかと思うほど驚いていたし、そうして自分がずっと避けて、言葉を交わすことすらしなかった愛弟子がそこにいたことに、どうすればいいのか、正直に言えば分からなかった。
「……晋作」
それでも静かにその名を呼べば、嬉しそうに彼は笑った。
「はい!高杉晋作、ここに!」
いつかのように元気に言って飛びついた彼をいなすように寝台まで運んで座れば、隣に正座した彼の姿は、長い髪でそれを赤く染めている。それでも、その強い意志を宿した瞳は、変わらずに晋作そのものだった。
「どうしました」
「いえ、先生が召喚されたのは知っていたのですが、ご挨拶していなかったので」
笑って言われて、あのサイタマであったことすべてを覚えているとマスター君から聞いていたから、だから、あそこで互いの道を、彼自身の道を歩むと、互いに別れをしっかりと手にしていたのだから、きっと彼ももう、と思っていた僕は何を言えばいいのか、本当に分からなかった。
「……もう、会いたくなかったですか?」
そう思って言葉を失っていた僕に、晋作が静かに、それでもはっきりと訊く。僕のその胡乱で醜い思考を見抜いたように。
「そうでは、ありません」
「では、僕は先生のお邪魔ですか?」
静かに問われて、その瞳に僕の口からは勝手に言葉が滑り落ちていた。
「僕の首を、運んでくれたのは君でしたね」
「……はい」
応えた彼に、僕は続ける。
「諦めたのは、僕の方です。君の言う通り、勝手に死んだ。それで何かが変わるかもしれないとは思いました。だけれど、僕は」
そう言った瞬間に頬に緩い痛みが走った。強くはない。撫でるような、それでいてどこか力のこもった晋作の手が、僕の頬を張っていた。
「諦めからは何も生まれないと仰ったのは先生です」
怒りではない。悲しみだ、とすぐに分かるその目で僕を見据えて、晋作はそのまま緩く僕の頬を撫でたから、僕もまたその悲しみに揺れる瞳を止めたくて、その晋作の輪郭を確かめるようになぞった。
「先生の首を持ち帰ったのが僕だと知っているのなら、先生は僕の言葉も、僕の心も知っているはずです」
柔らかな晋作の頬に、顎に、涙の落ちる眦に触れて、そうして自身の顔に添えられた晋作の温かな手に触れる。
「僕を、愛してくれるのですか?こんな姿でも」
「言ったでしょう、どんなお姿でも、この晋作は先生をお慕いしています。それだけで僕は何でも出来る。出来たはずだ」
彼の言葉に、あの特異点でその事実を知った時に呟いた言葉を、再び小さく呟く。
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんや」
「そうです。僕は先生と生きたい。生きて生きて、そうして最後は先生と死にたい。そのどちらも知らないのだから」
打てば響く様なその返答に僕は晋作を抱き締めていた。彼は何も言わずに僕を抱き締め返した。
「晋作……すまなかった」
「何を謝るのです?先生は何も悪くない。先生は先生だけなのだから」
笑って言ってくれた晋作にふと愛しているという言葉を思い出し、問いかける。
「見よう見真似になってしまいますが、口付けてもいいですか?」
「え?」
不思議そうな声を出した晋作に、ゆったりと口付ける。その唇の感触がひどくやわらかで、生きている晋作に、生きているうちにそうできたことに、僕は喜びを感じていた。
生きることを、彼に教えられたように。
「僕も、愛しています、晋作」
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2023/4/14