なんでこの人と飯食ってんだろ、と思いながら食後の茶を啜る。

「アンタ、飯食うの遅いんすね」
「いや、今日のA定ハンバーグだぞ?よく蕎麦で満足出来るな、君」
「食細いくせに無理すんなや」

 そう言って眼前の男がやっと最後の一口を食べ終えたのを見た。そうしたら、彼はテーブルに肘をついて此方を見る。

「前から思ってたが、沖田君は労咳で死んだそうだね。今も血を吐くとか」
「……それが?」

 茶を飲みながら至極曖昧に答えれば、彼は笑った。笑って続ける。

「君さぁ、沖田君やら土方だの山南だのに嫌われたくなきゃ、僕を見てるその目、やめた方がいいぞ?」
「はい?」

 言われた意味が分からず、そうしてその笑みの意味も分からず間抜けに問えば、彼はケラケラと更に笑った。

「僕の師匠は志を通した結果打首でね?友人も自分を貫いて腹を切ったな」

 知っている、と言おうとしたのに何故か彼の笑みに言葉が止まる。

「僕も色々やったが、労咳で死んだな」

 それがどうした、と言おうとした言葉が喉に詰まった。

「ああ、それ。君さ、沖田君も同じ目で見てるが、あの時代を生きて死んで、碌なことなんざひとつもないが、憐れまれるのは心外だ、クソガキ」

 ケラケラと笑いながら男は言った。

「な、にを……」
「憐憫の情なんぞ要らんってことさ。だって君」

 やめろ、と喉元まで出かかった声に被せるように彼は言う。

「長生きしたんだろ?戦も自害も選ばずに、あの時代を生きたんだろ?」

 違う、俺は沖田も山南さんも副長も。

「そんなやつに、僕『ら』を憐れむ権利も資格もないよ」

 男はそう言って笑った。

「そんなことも分かんないなら、一遍沖田君に首飛ばしてもらえば?」

 笑いながら食器を返却口に片付ける男の後ろ姿を、俺はただ眺めていることしか出来なかった。

 それは、憐憫だろうか……死に損ねた自身への。





 違う、違う、違う。
 憐れみじゃない。



「本当に憐れなのは」


 大きく息を吸い込んで、自分『達』と敵対していた維新の英傑に、長州の男に言われた言葉を思い返す。
 芹沢局長を斬った。
 山南先生が腹を切った。沖田が首を落とした。あれを山南先生は幸せ者だと言う。
 あの時、組は変わらなかった。俺は近藤局長と副長に着いた。
 沖田の顔は冴え冴えとして、そのまま病を得て刀を放した。

『悔しい、私はまだ剣なのに』

 血を吐きながら叫んだ沖田の背を撫でながら、何を言っているのか俺は分かっていなかった。

『俺はあんたの配下じゃない。同志だと信じていた』

 永倉さんが吐き捨てた。吐き捨てて言った。

『一は来る?』

 俺はその問いに答えられなかった。
 近藤局長の首が落ちた。俺はまだ副長が、土方さんがいると思った。その死の意味など分からなかった。

『来るか、斎藤』

 蝦夷に行くと言う副長に、死場所でしかないと言った。土方さんはただ笑って俺に背を向けた。
 そうして俺は、最後まで生きた。
 そのひとつひとつに抱いたのは、間違いようもなく憐憫だった。

「クソガキ……」

 高杉に言われた言葉を繰り返す。
 誰かにすがって生きていたのに、自分が生きた、生き残ったことをいつか何処かで当たり前にすり替えて、俺は『仲間』を『敵』を『志士』を『同志』を憐れんだ。

「本当の本当は」

 死に損ねただけなのに。

 憐れみの視線に、みんな透明な鏡のような視線を返して苦笑する。

「大義も何もなかったから生き残った、死に損ねただけなのに」

 ああそうだ。誰ひとり、俺に後を頼むとは言わなかった。

「ガキどころか、死場所ひとつ、理解できないこんな馬鹿野郎を」

 腹を切った山南先生の、血を吐いた沖田の、背を向けた土方さんの、両の眼は、いつも俺を憐れんでいた。

「俺は、憐れまれる側だ」

 何ひとつ、分からないままに。





「つまらん、実に」

 あの斎藤とかいうクソガキは、当たり前のことのように、僕も、坂本君たちも、何なら沖田君たち新選組の面々さえ、『憐れんで』いた。

「ロクなことはなかったよ、確かにね」

 だが、気が付いてるなら言ってやれよというのが僕の意見だ。

「まあ、私は沖田君に首を落としてもらえましたから、貴方や土方君よりは幸せかな」
「だーかーらー、『落としてもらえた』って発想自体出来ないクソガキを放置するのはつまらんよ、山南君」

 菓子をつまみながら新選組総長殿と飲む昼下りの茶の方がずっと面白い。

「本懐を遂げよ。君も久坂も何かあるから腹を切ったんだろうに」
「犬死にでもかい?」
「そんなもんは実際どうだっていいのを知ってるだろ?」
「死に意味を見出だす意味、か」

 そう言って彼は茶で唇を湿らせた。言葉を間違わないようにするように。

「彼はそうだな。生きるも死ぬも知らないのですよ」
「だからつまらんし、僕が言うのも何だがあの斎藤君、かなり憐れだぞ」

 そうだ、憐れむ権利も資格もないんじゃない。

「死ななかった、死ねなかったなら意味を見出だせ。生き時も死に時も知らんまま、惰性で生きて『しまった』自分に気付いてないくせに、周りを憐れむのはガキと言うより」

 ただ単に。

「鏡を見ているだけ、か」

 僕の言葉を引き継いだ察しのいい男に溜息が出る。

「そこまで分かってるなら、優しくしてやれよ」
「優しく突き放せれば、良いのだろうけれどあの子はね」

 人当たりの良い顔で笑った山南君でさえ腹を切れて、沖田君でさえ最期まで血を吐いて、土方君でさえ死場所を探したのに、鏡に彼は映らない。

「鏡は覚りの具にあらず、迷いの具なり」

 だから僕は鏡に吐き捨てた。それを彼は苦笑して受け止める。

「瞥見すべし、か。確かに」

 そうだ、確かに僕らの生き様は、憐れかもしれない。だけれど斎藤君、君はそれを覗き込んで、「憐れだ憐れだ」と言い募るだけなんだ。

「映っているのは、君なんだぞ」

 ほかの誰でもないんだぞ。





「何人か鏡を把りて魔ならざる者ある。魔を照すにあらず造る也。即ち鏡は瞥見す可きものなり、熟視す可きものにあらず」
「え?」
「鏡を覗き込んで、憐憫の情を自分自身に垂れてる君を、誰も何も言わない」

 高杉に言われて思わず黙る。その言葉の意味が、俺に分かるだろうか。

「分かっているのに誰も言わない。新選組ってのは仲間思い過ぎて逆に残虐だな」

 それは、俺が何も分かっていなかったからで、だから。

「みんな、分かってる」
「分かっているのに言わないからと言っているだろう。そんなことは知っている」

 呆れたようにその男は言って、饅頭を食べた。

「だからみんな、君と違って一瞥して『諦める』のさ。そうして『明らめる』。君のように相手を熟視して、呪うように、呪われたように自分自身を憐れむのは馬鹿だと僕は言っている」

 ああ、ひとつひとつの仲間の視線は、すべてが諦めだった。それは自身への諦めであると同時に、俺への諦めだった。

「なあ、饅頭美味い?」
「はあ?在庫過多ってか交換も出来ないってマスター君に怒られて、特異点消えてもひとりで茶の時間に処分してる僕の身にもなりたまえよ」

 そう溜息をついた彼の手元の箱から饅頭をひとつ取る。

「……甘い」
「そりゃそうだ。饅頭だからな」

 口に放り込んで呟いたら、男は薄らと笑った。

「アンタは俺の鏡だが、鏡じゃない」

 そう言えば、彼はもうひとつ饅頭を取って茶で流し込むように食べ、こちらを見る。

「俺は鏡を見て、見続けて、その写し身を憐れみ続ける」

 言葉に男はひどく可笑し気に笑った。

「そう。君はそちらを選ぶのか」
「アンタの言う通り、生きた俺には返せるものがないからな」

 高杉は笑って饅頭をひとつ寄越す。

「なら手始めに長州一イケてる男が作ったこれをひとつやろう」
「甘いんだよ、馬鹿が」
「大福ほどじゃあないね」

 言葉に俺は、その饅頭を一口で食べた。

「アンタも鏡を見るのに飽きたんだろう?」

 その言葉に、男は相変わらず薄く暗く笑った。

「大福は、実は饅頭よりも食い飽きててね」

 ……悔い飽きててねと、何故か聴こえた。


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2023/4/29