風邪
ぼんやりする頭で、部屋に誰かいる、と思う。
キッチンから音がする。お湯を沸かす音だ、と気が付いた。
「……」
しばし無言で考えていたら、コンロの火を消す音がして誰かが歩いてくる。そんなこともはっきりしない程にぼんやりしているのは熱のせいだ、とそこまでは思考が回った。
「風邪……」
「そうですよ。メールを送ったころはまだはっきりしていたようですね」
「せんせいっ!?」
掛けられた言葉に驚き過ぎて叫んだら、ベッドサイドのそこには松陰先生の姿があった。
「あ、あの!」
「騒がない。寝ていなさい。今身体を拭きますから」
そう言って温めたらしいタオルが体に当たる感触がして、僕は今日は先生と会うつもりだったのに、急に熱が出て、多分風邪だし先生にうつせないから、と朝にメールしたのを思い出す。当日に断りを入れるなんて最低だ、と思ったけれど、風邪をうつす方がもっと最低な気もして……
「どっちがわるいだろ」
「……ハァ」
ぼんやりと身体に浮いた脂汗を拭いてもらっている感触を感じながら呟いたら、先生から溜息をつかれた。え?
「当日に断るのも、風邪をひいたら当たり前です。風邪をうつすとかどうとかは病人が考えることではないと何度言えば分かる」
回らない思考回路で考えていたことをぴしゃりと言われて、僕はうっと言葉に詰まる。
「君はもう少しこちらの身にもなってくれませんか」
そう言ってタオルを片付けた先生が真剣な目で見つめてくるから、ベッドに横にならされたまま、よく意味が分からず見返せば、先生はまた溜息をついた。
「晋作が苦しんでいるところを見て楽しめるほど猟奇的な恋人ではありません、僕は」
「こっ、こいっ!」
「違うのですか?」
あくまでも平静なままそう言われて、僕は言葉を失ってしどろもどろになっていたら、先生から目許に手を当てられる。
「寝なさい、良いから。傍に居ますから」
そう言われてゆったりと撫でられたら、なんだからとろんとしてきた。疲れて、た?ねむ、い?
「あの……」
「治ったら、ね?」
先生にそう言われて、先生の大きな手が作り出した闇に、僕の意識は溶けていった。
*
「ふむ、熱は下がりましたね」
「あの、先生、申し訳ありませんでした」
次に目が覚めた時には夕方で、飛び起きたらずっと横で本を読んでいたらしい先生に制されてそのまま熱を測られた。え、朝からっていろんな意味でヤバくないか?
とりあえず謝罪して、次に何を言えばいいのか、と思っていたら、先生に引き寄せられた。
「え?」
「口を開けて」
「あの、せんせ、かぜ……」
うつる、といくら熱が下がっても、まだうつるかもしれない、と言おうとしたら、先生が眼前で笑う。
「僕にうつして晋作が楽になるならいくらでも」
「あ……」
その言葉と視線に、何を言ったらいいのか分からずぼんやりと小さく開いた唇の隙間から、先生の舌が意図も容易く入り込んできて、それから唇がぴたりと重なる。
「んっふぁ……」
ぴちゃりぴちゃりと淫猥な水音が、いつもよりもずっと激しく頭の中に響いて、そうして先生の舌がふれるところ全部が熱くなる。
「ふぁっ……んぁ……せん、せ」
「もっと力を抜いて」
先生からそんなことを言われるのは初めてのような気がしたが、力を?そんな余裕もうない、と思ってくたりと先生に身を預ければ、口中を暴くように何度も角度を変えて深く、呼吸を奪われる。
「んっ、ひぁっ……ふっ……」
「可愛らしい」
狭間にそう言って、先生はもっともっとと言うように僕をそのまま抱えて口付ける。
熱い。全身が熱くて仕方ない。
ぴちゃ、と音がして、唾液を交換する。先生の味がする。
「ふっ、んぁぁ……や、らっ、あつ、い……んっ」
音も、熱も、感触も、何もかもがいつもよりも鮮明に感じるのは体調が悪いせいだと言い訳して、僕は先生に身体を預けたまま先生から与えられる口付けの快楽にどんどん堕ちていった。
そうして最後のように先生の舌が僕のそれを絡めて吸って、唇が離れる。つうと銀糸が伝って、僕は酸欠気味で、それでももう全身が熱くて。
「せんせぇ、つづき」
ぼんやりする頭でそうねだったら、先生はそのまま僕をベッドに戻して、そうして僕を抱えるようにして先生自身もベッドに入る。
「続きは元気になってから」
そう言って先生はとんとんと僕の背を叩いた。その感覚も、体の中を暴れ回る熱も、何もかもが僕のもので、僕のものなのに、先生は。
「いじわるしないで」
「晋作がしっかり休んで元気になったら、たくさん褒めて、たくさん可愛がってあげますよ?」
そう言って抱き締められたら、こんなにぐちゃぐちゃなのに、僕に抵抗できるはずなんてないと知っているんだ、この人は。
だけど、でも、そういうところが。
「大好きです」
笑って言って、僕は先生に抱き着いた。
「僕も大好きですよ」
応えに僕は笑って、そうして先生の腕の中で意識は静かに落ちていった。
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2023/4/23