諺
朝食の席で、笑いながらマスター君に何事か言っている愛弟子を見つけて、ふと眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。
「でねぇ、だからさ、僕も」
「社長来るんですか?でもこの頃周回付き合ってもらってばっかりだったしなぁ」
マスター君が少し渋るようなことを言えば、晋作は彼の肩を抱いて言った。
「いいだろぉ?そんな楽し気なことに僕を誘わないなんてズルいぞ、マスター君?」
「うーん」
ああ、そういえば、どこかに微細な特異点が出来たと昨日ダ・ヴィンチ殿が言っていたな、と思い出し、大体のことを把握した。成程。晋作はその特異点に着いていきたい、と。
確かに面白そうだと言えばそうも言えるような、「ふざけた場所だ」とダ・ヴィンチ殿が言っていたのも思い出す。そうして、それからふと食べ終わった朝食を返却口に片付けて、マスター君と晋作のところに歩いていく。二人とも朝食は食べ終わっているようだった。
「おはようございます」
「あ、おはようございます、吉田先生」
「おっはようございます、先生!先生も聞いてます、この特異点!」
挨拶をしてから、わくわくした様子で続けた晋作に、笑い掛ける。
「西洋の諺、というのをこの間、ゲオルギウス殿から聞きましてね?」
その朝の挨拶とも会話とも全く関係のない言葉に、晋作はぽかんとした。
「へ?」
「とても興味深い内容でした」
そう言えば、何かを察したのだろう晋作の顔が一瞬引きつり、そのままマスター君にくっついて、そうして言う。
「あー、その、マスター君?この話はまた後でというかなんというか」
「社長、後からなら何でくっついて?」
そのマスター君の耳元で「連れて行ってくれ」とでも囁いて逃げるつもりなのだろう、と判断して、僕は続けた。
「幸運が三度姿を現すように、不運もまた三度兆候を示す。見たくないから見ない、気がついても言わない、言ってもきかない。そして破局を迎える」
「あ、の……」
「それが今の君です、晋作」
にっこりと笑って言えば、引きつった笑みを浮かべた晋作が逃げ出そうとするが、逃がすほど僕も不出来な教師ではない、と思いながらそのまま掌底を彼の腹辺りに打ち込む。
「カハッ……」
「部屋で寝ていなさい、慮外者が」
「ちょっ、吉田先生!社長、血が、え、これ、な、なに!?」
混乱しているマスター君に簡潔に説明した。
「君に微小特異点に連れていくよう強請っていたのでしょう、この馬鹿は。軽いこれで血を吐くほど弱っているのですよ。困らせて申し訳ありません」
血を吐いて意識を失った晋作を抱えてそう言えば、マスター君はどこか何か怯えるように続けた。
「あ、の?社長大丈夫ですよね?」
「この程度では死にませんし、馬鹿は死んでも治らないですよ」
さらりと答えたら、マスター君は後は僕に任せてくれるのだろうという感じでひらひらと手を振った。
「では、社長と先生はメンバーから外すということで……」
「はい、了解しました」
そう返して、僕はそのまま晋作を抱え上げて食堂から出た。
*
「…………せんせい、の、匂いがする……」
「そんなことを言えるなら元気な方ですね、馬鹿者」
そう言って額を撫でれば、じゃれつくようにその手に晋作の手が絡んだ。まだ意識がはっきりしないのだろう、と思ったら溜息が出る。あの程度の掌底で血を吐いて、もう二時間ほど寝ていたことになる。それ程までに弱っているのに、何事か出来ると思っていたのか、それともどれだけ無理をしていたのか、と思い、朝、顔を見ただけで十二分に体が弱っていることが分かったくらいだから、と思い直した。
晋作は、いつも。
そう思ったら言葉は上手く出てこなかった。
「もう少し寝ていないさい」
「んー」
その手を取って、そのまま顔を撫でてやれば安心したような顔で晋作はそのまま眠りに落ちた。
ほっとしている自分が、こうなるまで何も出来なかったことがどうしようもなく、憎らしかった。
*
「せっ、先生!?」
夜。ずっと寝ていて寝台を晋作に占拠されていたし、何より僕ももう明日に備えて寝なければ、と思い、彼の横に入って、抱えて寝ようと思った時だった。
「ああ、起きましたか」
目を覚ました晋作の顔が赤くなり、そののちに一瞬で真っ青になる。
「あ、の……違うんです、本当に、ちょっといろいろヤバそうな特異点で、ダ・ヴィンチ君はふざけたとか微細だと言っていましたが、ちょっと面倒な感じで」
朝の特異点についてだろうことを口にした晋作に、それが嘘でないことは分かった。純粋にマスター君が心配だったが、それをいつものふざけるようなそれで誤魔化して、最近の働き過ぎも無視して着いていこうとしていたのだろう、と分かったら、深い溜息が出る。
「君のそういうところが駄目なんですよ、晋作」
「……」
「口にしなければ分からない。自分一人ですべてやろうとするのもいただけない」
そう言いながら眼鏡を外し、そのまま晋作を抱き締めると、腕の中で俯いた晋作がひどく弱っているのも分かって、どうしようもなく遣る瀬無くなった。
「今は、マスター君は他のサーヴァントの皆さんに任せましょう。気になる点があればダ・ヴィンチ殿に報告すればいい」
「でも……」
「今は」
聞き分けのない、手の掛かる晋作にもう一度繰り返し、言う。
「君の方が優先です。無理をしてはいけない。寝なさい、晋作」
「……はい」
やっと頷いた彼に安堵して、そうして縋るように抱き着いてきた彼を抱き締め返して、やっと僕は安心して夜を迎えられる、と思った。
「本当に、手の掛かる恋人だ」
「こいっ!?」
また騒ぎ出しそうになった晋作の唇を自身のそれで塞いで、僕はそのまま彼を抱き締めて眠りに落ちた。
*
「しんさく……」
夜半に目が覚めて、まだ晋作が腕の中にいることを確かめながらも、その顔が青いことにふと不安になる。小さく名を呼んだが、深く眠った彼は目覚めなかった。
いや、起こそうと思ったわけではない。だからいいのだが、それでも、と思った。
「こんなになるまで、いつも君は」
一人で無理をして、ひとりで誰かを庇って。
「困った子だ。そうして悪いのにいい子だ」
自身には勿体ない程に。
そう思いながらトンと軽く彼の背を撫でる。ゆっくりと、彼がそこにいることを確かめるように。
「血を吐くほど弱っているのに、君は何を」
何をしようというのです、と問い掛けようとしてから、その問い掛けそのものが違うような気がした。
「ん、せんせ?」
半分眠っているような、覚束ない声でゆったりと目を開けた晋作の背をトントンと叩く。
「まだ夜です。寝なさい」
「んー」
意識がはっきりしないのだろう。疲れているのも分かる。そうしてすり寄ってきた彼の痩躯を抱き締める。
「寝てください、傍にいますから。僕の晋作」
「はぁい」
小さな返答と聞こえた寝息に、何よりも安堵した僕は……
「弱いな、とても」
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2023/4/15