縛る

 朝だっていうのにどこか何かが憂鬱で、どこか何かが物足りなくて。

「今更なんだよ」

 高校生の頃は、ぬるま湯のような関係だった久坂とは、別々の大学に進学して別れた。

 別れた?そもそも付き合っていたのか、僕ら?

 なんでわざわざ呼び出されなきゃいけないんだ、同じ都内の大学でも別だっていうのに、なんて思いながら適当に身支度を整えて、メールを閉じて時間を見た。





「おまえに化粧は似合わんな」

 呼び出されたカフェで開口一番そう言われて、水をぶっかけてやろうかと思った。
 コーヒーはまだ届かない。

「無理をしてブラックを頼むのも、化粧も何もかも」
「……今更なんだよ」

 だから朝に思ったことをそのまま口にすれば、久坂は笑った。僕はその笑みが好きだった。
 だった?好きだと言えたらよかったのに、なんて思いながら。

「明確な何もなかったから、と言ったら怒るかもな」

 久坂がそう言ったタイミングで、ブラックコーヒーが二つテーブルに置かれる。伝票もついでに置いていかれて、二人で来ているんだと何故かそこで改めて僕は思った。

「剣道しながら軽音楽をやって、はしゃいで、それでもずっと横にいてくれたおまえに甘えすぎた、と思ってな」
「……は?」

 コーヒーを一口飲もうとしたらそう言われる。何言ってんだコイツ。

 別れた?そもそも付き合っていたのか、僕ら?

 朝と同じ思考が頭をよぎる。何言ってんだコイツ、と再び思ったところで、ふとカップに伸ばそうとした手を取られた。

「なに?」
「サイズが分からんから指輪はまた今度」
「は?」

 間抜けた声を出せば、銀色の細いブレスレットを手首に巻かれる。
 ……意味くらいは分かるけど、と思ったら妙に恥ずかしいような、それでいて苛立ったような、それでもやっぱり恥ずかしくて嬉しい思いがした。

「久坂はいつから僕とお付き合いしていたつもりなんだよ、今更過ぎてぶん殴るぞ」

 脈絡のないそれさえも分かってしまうほど、付き合いが長くて、距離が近くて、何もかもが狂っていたことを後悔するように、たしなめるように言えば、やっぱり彼は脈絡なく言った。

「おまえは笑っていた方が似合うぞ、晋作」

 言われて恥ずかしくなって一口飲んだブラックコーヒーが苦い。

「やっぱり何か適当に頼めばよかった」
「じゃあ飲み終わったらどこか行くか」
「デートじゃん」
「最初からそのつもりだが?」

 言葉が足りないんだよ、おまえは、と思ってもう一口コーヒーを飲む。
 言葉が足りないんだよ、僕は。
 分かるワケないじゃん、あんな曖昧な関係。
 言葉にしなきゃ伝わらないじゃん、何もかも。
 だけど伝えてほしくなかったのもどこか本当で、いつかどこかで振りほどかれるのが怖かったのも本当だから。

「デートならもっと雰囲気作れよな」

 そう悪態をついて、僕はその気持ちを誤魔化した。
 ブレスレットに縛られたように、彼に縛られたように。


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2023/5/5