白。
 それが僕が先生に抱いた全てだった。

「勝手に行って、勝手に死んで」

 その首を抱いた僕のことなんて、何も知らないように白く美しいと思った。きっと、その首だけを美しいということは間違いだと知っていたのに、美しいと思った。
 白。

「先生は、どんなことにも」

 どんな教師も、どんな大人も答えてくれないことにすら、きっぱりと答えてくれた。応えてくれた。
 星のような瞳も、はっきりとした声も、或いは、こちらに問い掛けるその声すら。
 白く、輝いて見えた。

「だっていうのに、こんなに遠くに、勝手に行って、勝手に死んで」

 口から出てくる全く反対の罵詈雑言に、自分でも呆れる。
 そうだ。本当は、忘れたかった。
 先生も、仲間も、みんな。
 此れ以上抱えていたくなかった。

「疎ましい、痛ましい、悲しい」

 悲しいなんて感情が、自分自身に残っていたことが不思議だと思いながら、その部屋の一画の襖を開ける。濡れ縁に出て見れば、桜はもう散り、季節は初夏で、晴れ渡った空が憎らしくて疎ましかった。

「ねぇ、先生。好きでしたよ」

 好きでした。愛していました。
 好きです。愛しています。

「面白くもなんともなかった世界を、貴方は面白くしてくれた」

 だから、その白に満たされて、その白を塗りつぶして。

「今、行きますから」

 お願いだから待っていて。





 それが言いたかっただけかと言われた時に、正直に言えば戯言だ、忘れてくれと言う前に言いたいことは百も二百もあった。違う、そうじゃない、と言い訳のように言い募りたかった。

「貴方の白に憧れた。貴方の白が疎ましかった。貴方の白に救われた」

 だから、貴方の白を汚すすべてが憎らしかった。

「それは、俺もそうだろう」

 貴方の白を、自分自身さえも穢してしまったことを知っていたから、だから、それは戯言だった。

「晋作、ここにいたのですか」

 食堂の端で茶を飲んでいたら、このほど召喚された先生にふと声を掛けられる。
 あの長州での記憶も、サイタマでの記憶も持った先生から。

「ああ、先生ですか」

 ゆっくりと答えたら、先生もゆっくりと眼前に座って呟くように言った。

「今日は五月の十七日でしたね、地球がまともに動いていれば」
「……え?」

 言葉に何を言われているのか分からずぼんやりと返せば、先生は笑った。笑って、言う。

「よく生きた、晋作」

 言葉に、感情が堰を切ったように溢れだした。貴方は勝手に死んだ、勝手に行って、勝手に死んだ。仲間たちも、みんな。貴方の白を、僕は血の赤で穢した、守る事さえできなかった。


 疎ましい、憎らしい、悲しい。


 感情は言葉にならないままに涙になって机に落ちた。

「生きてなど、いない。貴方のいない世界なんて、面白くなかった」

 途切れ途切れに言った言葉に先生の武骨な指が僕の頬を拭ってくれた。
 悲しい。こんな感情がまだ自分の中に残っていたなんて、ともう一度僕は思った。

「待たせましたね、晋作」
「……あ……」
 言葉に、白に、僕は、いったい何が出来たのだろう。


 白。
 それが僕が先生に抱いた全てだった。


「待たせた、本当に」

 繰り返した先生は、白く美しいと思った。あの日と変わらないままに、首だけの姿とすら変わらないままに。

「待っていてくれましたか?」

 問いに、僕は笑った。

「貴方を、先生を待たないなどあり得ない。それに」
「それに?」

 あまりにも、その日々が長かったから。
 あまりにも、ひとりで空を見上げ続けたから。

「待つのには慣れているんですよ、こう見えて」

 そう微笑んだら、先生はゆっくりと僕の髪を撫でた。

「もう待たせたり、しないから」

 ……白い。眩しい程に、白い。


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2023/5/17 高杉晋作忌日