梅の花


 先生が召喚されてからどのくらい経っただろう、なんてぼんやり考えながら、シャワーを浴びる。再臨していると髪が長いからちょっと面倒なんだよなぁ、と思いつつも、清少納言君が選んでくれたトリートメントを流した。というか、カルデアの購買ってどうなってんだ、とか、あの清少納言にシャンプーとトリートメント選ばれるって面白過ぎる状況だろ、とか未だに思うが。
 あの特異点であったこと、全てを飲み込んで、互いの道を歩みながら、そうしてそれでもまた再びカルデアで先生に出会えて、そうして世界というものを救う旅路を今度こそ共に歩めるのは本当に嬉しかった。そうざぁざぁと髪を流しながら思う。

「そろそろ買わないとな」

 そうしてその思考とは全く別のことを呟いた。再臨しているときは髪を染めているから、ダメージが云々と清少納言君に言われて買ったこれはずいぶんいい具合で、明日にでも購買で詰め替えを買おう、と思った。





「ああ、お帰りなさい、晋作」
「はい?」

 自室に戻って髪を乾かそうと思ったら、ベッドで先生が本を読んでいた。何だこの状況、と思ったら、掛けられた言葉にも間抜けな返答しかできなかった。

「髪をもっとしっかり拭きなさい。風邪を引きますよ、君は身体が弱いのだから」

 そう溜息をついて言われて、手に持ったドライヤーを取り落としそうになる。そう呆けたようにしていたら、手元の本に丁寧に栞を挟んで、先生はベッド脇の机にそれを置いた。

「少し寝台を借りていました。あの紫式部殿が司書とは贅沢過ぎる」
「は、はぁ……」

 いつもなら飛びついて喜びたいところだが、今は髪が濡れているし、そもそも先生の方から部屋に来ているという状況が呑み込めず、驚いていたら、先生がトントンとベッドの自分の横を示す。
 その動作に驚きはあるものの素直にそこに行って座ったら、先生の武骨な指が濡れた髪を撫でた。

「先生、濡れます。今乾かすところなんです、駄目です」

 思わずそう言ったら、先生は僕の手からドライヤーを取った。

「僕が乾かしますよ」
「へ?」
「駄目ですか?」

 そう言われて、僕の返答を聞く前に先生はドライヤーを電源に接続していた。





 派手な音と、緩やかな温風が髪に当たる。先生の手が丁寧に髪を梳いて、そうして長い髪が少しずつ乾いていく。
 自分でやっても時間が掛かるのに、先生に手間を掛けさせてしまった、などと思いながらも、その状況がよく分からず、そうしてどうにも先生の指が髪に当たるたびにどこかなにかふわふわして、こんなの駄目だと思いながらも大人しくしていたら、パチンとドライヤーの電源を切る音がした。

「終わりました。待たせましたね」
「いえ、ありがとうございます」

 そう言えば、笑った先生は丁寧にドライヤーを片付けて、それから僕の伸ばした髪に触れた。

「先生?」
「染めている、と言っていましたね」

 乾いた髪を手で梳きながら、先生はそう言った。その手つきと声がひどく心地好い。

「一臨の時は、昔のままですが再臨している時は染めています。少し軽い色にしようかと」

 だから高鳴る胸を見て見ぬ振りするように、そうしてそんなことあってはならないと思うように、正直にそう応えれば、先生は頷いた。

「よく似合っている……晋作は梅が好きでしたからね」

 そう笑って言って、先生はくすぐるように髪を撫でる。その髪から伝わる指先の感触と、耳に響く低い声に、全身の感度が上がったようになって、僕はだけれどそれでも、この人はそういったことに一切興味がない人だから、そんなことを思ってはいけない、と思いながら、それでも、この髪の色の意味に気が付いてくれたことも嬉しくて、素直に頷く。

「梅は……美しいですから」

 どんな花よりも、と思ってそう応えれば、先生が緩く撫でていた手で軽く引き寄せた髪の先に口付けた。

「君も美しいですよ、梅のように」
「へ?」

 言われた言葉の意味が分からず、そうして先生の行動の意味も分からず、もう限界近くになっていた僕の身体はびくりと跳ねた。

「儚くはない強さがある。それでいながら、散る時には美しく散る。君のように、晋作」

 名を呼ばれて、そうしてもう一度髪を梳かれて、それからゆっくりと口付けられた。先生が眼鏡を掛けていないことにその時に気が付いて、目を開いたまま口付けられて間近に見た愛する師の顔に、唇を離してからしどろもどろに言った。

「先生、その、あの!僕、何かしましたか!?」

 そう必死になって言えば、綺羅星のような瞳が僕を真っ直ぐに見つめる。

「おや?僕よりもずっとそういった経験の豊富な君がここまで取り乱すとは面白い」
「あ、の……」

 言葉の意味を咄嗟に理解して、顔を赤らめて生娘の様な態度をした僕に笑って、先生はもう一度口付ける。ゆったりとしたそれがひどく心地好い。

「こんな時間に、部屋まで訪ねる理由などそうないでしょう?」

 先生は笑ってそう言った。何と答えていいか分からず俯いた僕に先生はやはり笑う。

「どうしました、晋作?」

 問いに答えられぬまま、僕は先生の手に小さく触れた。


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2023/4/12