「あれ?阿近さんまだ?」

 特別棟の階段の踊場は、彼らのミーティングの名を借りた昼の溜まり場だった。

「阿近くんなら購買」

 檜佐木の声に応えたのは荻堂だった。その横に腰掛けて、弁当をかきこむ黒崎。
 彼ら―彼らは結成二年目に入るバンドのメンバーだった。

「阿近さんも檜佐木さんもいねーから話進んでねーの」

 黒崎の言葉に、檜佐木はわりぃと応じて向かいに座る。
 今日は珍しくまともなミーティングの日だった。

「なあなあ、阿近さん来るまでちょい面白い話あるんだ」

 檜佐木は弁当を広げてにやりと笑った。

「なんだよ」
「阿近さんの噂」
「あー…知ってっかも。一年の美人と付き合ってるってやつだろ?」
「え、知らない。なんてコ?」
「お前が言うとナンパ目当てみたいだよな、荻堂」
「いいじゃない」
「確か、涅さん、だろ?」
「うえ、阿近くんやるなあ。クールビューティーだ」
「…知ってるお前が俺は怖いよ」

 調査済みーとピースして荻堂は笑う。

「涅ネムちゃんねー。2組だったかな。でもさー、ハードル高くない?ありゃスーパークールって感じらしいよ?もう人を寄せ付けないってさ。あ、でも阿近くんと似てるかも」


「さあな」

 突然降って湧いた声に、一同がビクリと肩を竦めた。

「うおっ!阿近さん!」

 現れたのは、渦中の人、浦原阿近だった。

「阿近くん、購買混んでた?」
「無駄に笑顔貼っ付けてんじゃねーよ」

 ギロリと睨まれたが、荻堂はどこ吹く風という体で笑う。

「え、じゃあ聞いちゃうけど、涅ネムちゃんと付き合ってるの?」
「荻堂!!おまっ!」
「さあな」

 彼は何食わぬ顔で言って購買で買ってきたパンの包みをガサガサと開く。

「それより、ミーティングじゃねーのかよ?」
「あ、それそれ。こないだライブハウスで一曲やったでしょ?あれ好評だったみたいでさ。阿近くんが作った曲だったでしょ?」

 荻堂が言っているのはこの間ライブハウスでやった、阿近の作ったバラードのことだった。
 基本的にこのバンドでは、荻堂と阿近が作曲をする。

「で、あれが好評だったから次は阿近さんが歌ったらいいんじゃないかって、今話してたとこだ」

と黒崎が続ける。

「檜佐木でいいだろ」
「いや、俺もたまには阿近さんが歌うの聞きたいッスよ。いわゆるイケメンボイスじゃん、阿近さん」

 その言葉に、阿近は渋面を作る。ヴォーカルとギターの檜佐木がいつも歌うのだが、月に何度か阿近はステージで歌う。
 彼はそれが嫌いだった。だが、彼の声の隠れファンは案外多いらしい。

「ってことで多数決採るよ。次のライブ、ヴォーカル阿近くんがいい人」

 結局、荻堂の声に阿近以外が全員挙手して、阿近は溜め息をつきつつ、ボイストレーニングの計画を頭の中で立てた。

「ったく。なんでベースが歌わなきゃならねーんだよ」

 そう言いながら、阿近はパンを持つ手とは逆の手で携帯をいじる。

『今日、当直だろ?』

 簡潔な文面を送信しようとしたところで、ズズズッと紙パックのイチゴ牛乳を啜った荻堂が、不意にそれを覗き込む。

「『今日、当直だろ?』って!もしかして阿近くん年上のお姉様にメール!?」
「見てんじゃねーよ」

 凄んだが、大した効果はない。それどころか、周りは好奇心に満ちた目で阿近を見た。

「え、てことは一年の美人と付き合ってるってやっぱりガセかよ!」
「うわ、仕事持ちってことは社会人かあ!さすが阿近さん。年上キラー」

 好き勝手言っている連中に、彼はやはり「さあな」とだけ言って、メールを送信した。




 放課後、校門から少し離れたところに、少女が独り佇んでいた。

「悪い、待ったか?」

 彼女に阿近は声をかけて近寄る。

「いえ」

と言葉少なに応えたのは、件の一年生、涅ネムだった。

「今日はお世話になります」

 律儀に頭を下げた彼女の髪を、阿近は優しく撫でる。

「畏まらなくていいっていつも言ってるだろ。涅先生、今日、病院の当直なんだから。年頃の女が家に独りでいるもんじゃねーよ」

 そう言って、彼女の手を取る。

「行くか」


 連れ立って歩いている間中、ネムは彼の手の温度に甘やかなものを感じていた。無論、阿近もそうだ。

 学校から徒歩で行ける阿近の家をすぐには目指さず、駅前のこじんまりした喫茶店に入る。恒例のことだった。
 その喫茶店はケーキと種類豊富なコーヒーが売りで、ネムはじっとメニューを眺めてケーキを選ぶ。これも恒例のことだ。彼女は甘いものが好きだった。
 阿近はというと、すっきりした飲み口がいいと考えて、今日はマンデリンに決めた。だが、彼女がケーキを決めるまでにはまだ少しかかるだろう。
 無表情に見えるその眼差しでメニューを追う姿が、実はとても楽しんでいるのだと知っている阿近は、それが堪らなく愛おしかった。

 結局彼女は洋梨のタルトと紅茶のセットに決めて、それを小さく切り分けて食べている。マンデリンを飲みながらその姿を盗み見て、嬉しそうな姿に彼は口の端を上げる。

「一口」

 一言そう言うと、ネムは切り分けたタルトにフォークを刺して、阿近の開いた口にそれを運ぶ。

「甘いな」
「はい」

 微笑むと、彼女も微かに笑った。


話なんて
実は
が知っていればいい



「ネムさん、いらっしゃいませ〜」

 帰路についた二人を、阿近の父が出迎えた。




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学+バンドパラレル第一話。ラブラブ阿ネム。