「運命、ね」

独り呟いた言葉は、思った以上に一人きりの研究室に響いた。その響きが、自分が呟いた言葉以上に虚しい気がしてひっそりと笑った。




 運命の成れの果て



先程松本に問いかけられた「運命はあるのか」という問いに対する自分の答えは迷うことなくNOだ。「運命」だなんて存在の不確かなものを信じて生きてきたつもりはないし、これからも信じることも認めることもないのだろう。
その考えが、自分が科学者である以上に、既に失ってしまったたった一人の少女が関係しているだなんてことは、一生気付かないふりをして生きていけばいい。

あの日、自分は出かける彼女に対して「気をつけて」だなんて一言も言わなかった。
喧嘩仲間とも言える自分たちの関係では少々気恥かしすぎる言葉であったことよりも、信じて疑わなかったのだ、彼女が無事に帰ってくることを。
「副隊長なんかやめちまえ」と、そう憎まれ口をたたいた相手の実力はよく知っていた。
だから――――



その後百年も消息を絶っていた彼女の事情も実情も、つい先日知ったばかりのそれらを「運命」なんて言葉で片付けるのはあまりにも残酷だ。
それら全てが「そうなる運命だった」だなんて茶番にもほどがある。運命なんてものがあったら、自分たちの全てが体のいい茶番劇にしかならないのだから。


あれは運命だったと、あれら全てが己の力ではどうしようもないことで、だから仕方なかったのだと、その弁が通って救われた気持ちになるのはどうしたって残された側の自分だけだ。当事者ではないからいくらでも理由を付けることができて、被害者ではないからいくらでも美化できる。
それを彼女が望まないことは誰よりもよく知っているつもりだった。

だから、自分は運命の存在なんて肯定はしない。
何より彼女のために。


きっと「運命」という言葉ですべてを片付けてしまいたいのは、松本より誰より自分だ。

だから、自分は運命なんてものは信じない。
何より自分のために。




同じような苦しみを抱えていながら、決して同じではない痛みを持つ松本との会話は己の傷口を広げるだけだと知っていた。知っていたはずだった。それでもあのとき話に応じたのは、自分の痛みを確認するためだっただろうか。
結局、傍にいてほしいと、なくしたくないと願ったのはあのときの彼女で、今の彼女ではないのだと嫌というほど思い知らされた。ただそれだけだったのに。

だからきっと
だからずっと

自分の時間は100年前から止まったままだ。


あのときに既に死んだのだ。自分の中の彼女も、自分と彼女の関係も。
もう一度やり直すためには100年は長すぎる。長すぎた、と言うべきか。

たとえこれから先、自分の進む道の先で彼女と再び相まみえたとしても、きっともうそれはあの頃の自分たちじゃない。
―――あの日の続きは、もう始められない。

100年前のあの日にずっと留まっていた自分が、留まっていたいと願った自分が、
それでも歩み続けた彼女に追いつくはずもないのだから。








なあ、ひよ里、それでも俺は

運命すら知らないこの世界の果てで、お前の幸せを願っている。



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「永遠なる喪失、あるいは停止」の続きというか、阿近さん視点ver.のお話でした。
前に書いた話では乱菊さんをクールかつドライ(当社比)に突き放してたはずだったのですが、思った以上に女々しくなってしまいました…。これ、前の続きのはずなんだけど、な……orz

最後の「この世界の果てで」、は“「この世界」の果て”でも、“「この」世界の果て”でも、お好きな方をどうぞ。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

雪灯

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という訳で、また雪灯様からいただいてしまったのです。「永遠なる喪失、あるいは停止」の続きということで。私たちの間で薄暗い阿ひよが流行っているのは120%私のせいです。

2012/11/7