愚か者と誰かが言うなら、私は愚かで構わない。


愚者


「書類を」

 囁くように言って、私は阿近三席の研究室に入った。この時間、彼が寝ているだろうことは予測済みだったために囁くような声になってしまったのが自分でも可笑しかった。

「可笑しい…ですか」

 案の定寝入ってしまっていた三席の机に近づいて、散らばっている書類を整理する。

「可笑しい、楽しい、嬉しい……」

 乱雑に散らばる紙を整理しながら私はぽつぽつ呟いた。
 私は被造死神だ。
 マユリ様の作り出した、被造死神。
 その私に、このような感情は不必要かもしれない。
 だけれど、私はこの感情が好きだった。
 この感情たちは黒崎一護さんたちがやってきた戦い、そうして破面たちとの戦いの後からより強く表れるようになった気がした。
 そう思いながら、私はそうやって様々なことを学び取るようになっていった私のことを予言した方を見た。

「私はやはり、愚かなままではいられなかったのですね」

 三席は、幼かった私にそう言ってくださった。
 あの日私は、その意味など分かってはいなかった。

「んあ?」
「お目覚めですか」
「おう、ネムか」

 寝起き特有の掠れた声で言った三席を振り返る。いや、掠れた声はタバコのせいかもしれない。

「御煙草はあまりよくありませんと何度も申し上げました」
「寝起きにお前の説教は効くな」

 私の諫言など意に介さぬように、三席はグッと伸びをした。

「徹夜だったのですか」
「おーう、三徹目だったかな。お前は書類取りに来たのか」
「はい。ですがもう少しお休みになってはいかがですか?」

 まだ眠たそうな彼にそう提案すれば、三席は笑った。

「お前は相変わらず優しいなあ」

 笑ってちょいちょいと手招きされたので、近づけば、しゃがむように手振りが言うから、しゃがんでみたら彼にくしゃっと髪を撫でられた。

「あの…?」
「俺の自慢の死神だよ」

 その一言と、頭のてっぺんにある彼の手の感触に、頬がカッと赤く染まるのを私は感じる。

「ありがとう、ございます」

 恥ずかしさから辛うじて言えたそれだけの言葉に満足したように、三席は私の頭を抱き込んだ。それすらひどく恥ずかしいというのに、この方はいつもそんなことを恥ずかしげもなくやってしまわれる。

「なあ、俺も嬉しかったんだぜ」
「え?」

 彼は私に語り掛けるように言った。抱き締められているために至近距離でその声が響く。

「お前が成長して、飯食って、笑ってくれて、隊長だけじゃなく俺も、いや俺だけじゃない。あの頃からここにいた連中はみんなお前が育っていくのが嬉しかったよ」

 静かに、何かをかみしめるように三席は言った。私はそれが嬉しかった。
 マユリ様が、三席が、皆さんが、喜んでくださったというのなら、私にとってそれほどに嬉しいことはないのだ。
 そんなことを思っていたら、パッと解放されて、その先にいたのは楽しそうに笑う三席だった。

「その顔」
「え?」
「お前はずっと、俺たちのそばでそうやって幸せそうに笑っててくれよ」

 そう言って、彼はもう一度私の髪を撫でた。





 ネムが笑うようになった。
 向ける相手は限られているとはいえ、ネムは本当に奇麗に笑う。
 それを見るのが俺にとっての幸せだった。
 成長するネムを見て隊長が喜ぶなら、その一端くらい分けてもらいたい。
 俺にとってもネムは間違いなく自慢の死神だ。
 妹で、娘で、一人の女性で。

「ほれ、これ書類な」
「あ、ありがとうございます!」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にした彼女は、書類を受け取るとそそくさと俺の私室を後にした。どうやら相当恥ずかしがらせてしまったらしい。

「俺は―――俺たちは、愚かなのかもしれないな」

 彼女の成長する姿を、永遠にとどめられると思っている俺は、俺たちは、愚かかもしれない。形あるものは何時か壊れる。
 だけれど、形があるからこそ、彼女はこうして成長し続けて、こうして笑ってくれるのだから。

「愚かなりに、進んできたんだな」

 積み重ねた月日は、俺たちにたくさんのものを与えた。
 積み重ねる月日は、俺たちからたくさんのものを奪うかもしれない。

 だけれど今は。
 積み重ねた月日を思い、昔日の思い出に別れを告げる。
 今は、それだけで許されるだろうと愚かな俺は小さく目を閉じた。




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愚者、で阿ネム。