秋の日は釣瓶落とし。  その歳月も、まるで釣瓶が落ちるように―――


釣瓶落とし


 あの日からずっと、歳月は驚くほどに早く、私には到底追いつけやしないスピードで過ぎて行った。あるいは、物事は驚くほど速く、私には手の届きやしないスピードで消化されていった。
 あの日―――あの日とはいつのことだろうと私は思う。
 兄様が死んでしまったあの悲劇の日?
 それとも明陀が聖十字騎士團に参画した日?
 幼馴染に私の声が届かなくなった日?


 違う。全部違う。全部違うのに、全部そうだ。
 全ての日々が、全ての歳月が、私の中のあらゆる事象のスピードを加速させていた。
 そうだというのに、私にとってその日々は無色透明だった。

「それも今日で終わる」

 感慨を込めたつもりだったのに、その声はやっぱり無色透明で無味乾燥だったように私には思えた。

「これさえ、安全な場所に運べば、明陀は目を覚ます」

 自身を叱咤し、奮い立たせるように言った言葉だったのに、私の脳の中のどこか冷静な部分がそれを俯瞰していた。その思考を振り払うように、私は踏み出した。
 許されることのない、裏切りへの道を踏み出した。





 熱い、熱い、熱い。
 その傷がじゃない。
 彼の腕の中にいることが、その歳月のうちで、もう分かり合うことが出来ないと諦めていた幼馴染の腕の中で、和尚様の無事を、私が愚かにも復活させた悪魔を滅することが出来たことを噛み締めたら、その私の日々が、諦念が、絶望が、熱く私を苛んだ。

「ごめんな」

 私は意味のない謝罪を幼馴染に繰り返した。
 あまりにも日々は早くて、私は暗い井戸の底に落ちてしまっていた。
 その暗がりから私を引き上げてくれたの志摩だったことが、どうしようもなく嬉しく、苦しかった。
 分かり合えないと思った日々が、静かに私の中に落ちた。





 秋の日は釣瓶落としとはよく言うたものやと思う。
 秋。不浄王との戦いが終わり、俺が蝮にプロポーズしてから2ヶ月ほどが経っていた。

「それ以外やったら、俺も納得するねんけどな」

 ぽつりとつぶやいた言葉に自分自身自嘲気味に笑ってしまう。
 蝮は、俺のプロポーズを人前では荒々しく遮るが二人きりになればその真意が知れた。曰く、自分などと結婚しては志摩家の格を下げる、とか、罪の償いにならない、とか。
 俺にしてみれば至極どうでもいい類のことなのだけれど、彼女にとっては自身の犯した罪の意識が深く根付いていることは明白だった。

「あん時、俺は蝮を救えなくて」

 救えない?違う。
 救うなんて偉そうなこと言えない。
 ただ単純に、俺は彼女の言葉を、苦悩を、思いを聞こうとしなかった。

「それはきっと―――」

 それはきっと、俺の罪だから。
 それはきっと、彼女の罪ではなく、俺の罪だから。





 志摩はいつも、私の家に求婚に来る時に花を持ってくる。
 似合わんなといつも思っている私は、その時確かな幸せを感じている。
 可笑しいような、面はゆいような、初々しい幸せ。だけれどその中に身を投じることが、本当に許されるのかと問い掛ける自身に逆らうことも出来なかった。

「竜胆……」

 今日もやってきた志摩に渡された花は、いつになく大きな花束で、そうだというのに一種類だけの花の、鮮烈な青をした竜胆の花束だった。

「明陀でいろいろと入用の時に世話なっとる花屋あるやろ。ちょうど今日届けてもろてな。そん時、竜胆が綺麗やってん。やからあとから行って一束買うてきた」

 微笑みながら志摩は言った。
 竜胆。
 仏花だ、と私は最初に思う。私たちにはひどくなじみのある花だった。
 だけれど、こうして束になっているのを見ると、その青が染み渡るように目に入ってくる。
 ずっとずっと、この花は私たちが過ごすお堂に、祭壇に、飾られていたのに、その日々に見てきたものとは全く違うようにそれは見えた。

「なあ、蝮」

 私が竜胆に目を奪われているうちに、静かに私を見据えて志摩は言った。私はそれにハッと振り返る。そのまなざしはいつになく真剣だった。

「俺は、お前の罪を罪と思うとる。思うとらんと本当は言いたい。そやけど、思わなならん。これは俺のエゴや」
「そらそうや。当たり前や。あての罪は罪に決まってる。どんなことがあっても許されへん」

 反駁した私に、彼は首を横に振ってそれを否定した。

「違う。これは俺のエゴや。お前の罪を罪やと認めることでしか、俺は俺の罪を認められんから」
「……え?」

 彼の、罪?志摩の言葉の意味が分からず目を見開いて短く返したら、彼は静かに言った。

「あの時、お前に寄り添って、お前の苦しんでたことをちゃんと聞いてたら、今回のことは起こらんかった。だからもし不浄王を復活させたことでお前に罪科があるなら、それは俺の罪科に等しいんや」
「そんなこと!そんなことあるはずない!これはあての罪や!あんたが、あんたに背負わせてええようなもんやない!!」

 彼の言葉は、私には受け入れがたい言葉だった。叫ぶように言えば、彼は花束ごと私を緩く抱きすくめた。

「うん、蝮ならきっとそう言うって知ってた。やから、これは俺のエゴ。ずっと一緒にいたのに、その月日をお前に寄り添うこともしないくせに、好きや好きやとそればっかり子供みたいに考えとった俺のエゴ」

 ああ。
 それは志摩のエゴなんかじゃないと私は思う。
 そうやって、暗がりから私を引き上げようとしてくれるんだと私は思う。

 ああ。
 この幸せに身を任せてもいいだろうか。
 許されるだろうか。

 あまりにも早すぎた日々が私の中で回転した。
 まるで釣瓶を落とすように、秋の日が暮れていくように、早すぎた日々が。
 今度こそ、幸せも、苦しさも、悲しみも、喜びも、寄り添いながら彼と日々を過ごしたいと願う。
 早すぎたその日々に、私はやっと別れを告げることが出来るのかもしれない。




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柔蝮で釣瓶落とし。
竜胆の花言葉は「あなたの悲しみに寄り添う」