甘い水
「帰りたいかも」
ぽつんと本日の主賓である景時はつぶやいた。
「何か言ったか?というか呑め、もっと!」
すっかり酔いが回っている九郎に杯を再び満たされる。
今日は景時の誕生日だった。
*
「景時さん、今日の夜なんですけど」
朝餉をよそいながら言った望美がどこかそわそわしているのに景時はその時まだ気づいていなかった。いつも通りの夕餉の時間やら、何か会議や宴がないかの確認だと思った自分が情けないと今になって景時は思う。
「あ、うん。今日は仕事終わったら九郎と弁慶に呼ばれてるんだ。京にいる頼朝様の郎党も集まる宴らしくて。だから夕餉は大丈夫だよ。オレはたぶんそんなに飲まないから早く帰れると思う」
そう、いつも通り決まっていた予定をつらつら話したら、望美はぽつんと「そうですか」とつぶやいた。そうしたら台所から汁物を持ってきた妹の朔はその鈍感な兄を思い切りにらむ。
「兄上、それはどのような宴で?」
「え?いや、なんか集まるから絶対来いって九郎に言われて。頼朝様から何かもらったんじゃないの?」
「そうですか、今晩は帰ってこなくて結構です。いくらでもお飲みになって?母上と私と望美の三人で過ごしますので」
「な、なんで朔はそんなに怒ってるの!?」
そう言った景時の前に、話は終わりだというようにカツンと椀を置いて、それから朔は話さなくなってしまった。申し訳なさそうにしている望美のことも気になるが、出仕までの時間はあまりなかったから、それを深く聞くことはできなかった。
*
「さーくー」
「兄上はほんっとうに鈍いわね」
「けっこう頑張ったんだよ」
「望美は悪くないわ。本当に…どういう了見なのかしら」
*
「え、今日はオレが?は?」
「お前、覚えてないのか?今日はお前の生まれた日だろう。譲が言うにはあちらの世界ではそういうのを祝うらしいじゃないか」
「それでそれを聞いた皆がお祝いをしたいと。まあ本心でしょうが、宴の口実にもなりますしね」
そこまで言われて景時はガツンと頭を殴られたような感覚に陥った。彼らが譲が言っていた、と言うように、自分が生まれた日を、「誕生日」と呼んで祝うという習慣があるというのを、一週間ほど前に望美に聞いたばかりではないか、と。もちろん自分の生まれた日を失念していたのもある。そうして、友人たちや部下がそれを祝ってくれるのもとても嬉しいしありがたい。
その一方で、それで景時は朝の望美と朔の妙な落胆ぶりを思い出す。
そのころにはすでに宴席は調えられ、景時の杯にはなみなみと酒が注がれていた。
*
「それより景時、お前、奥方はどうした」
自分以上に酔っている九郎がバンバンと背中を叩きながら問うてきたころには、景時の誕生日などということはみなどうでもよくなって、ただの宴席になっていたそこで、絡まれたそれに、景時は九郎を恨みがましく見た。
「望美のことだから今頃怒ってるんじゃないのか」
「この酔っぱらいは言いたい放題過ぎてどうにかなんないの、弁慶」
「そうですねえ。ですが譲君が知っていて望美さんが知らない道理はありませんからね」
そうだよな、と今日の宴をあっさりいつもの席だろうと受け入れた自分に落胆していると、弁慶は続ける。
「まあ、悪かったとは思っているんですよ。ただ、先のことが落ち着いて、鎌倉殿とのこともなくなりましたし、九郎も、それから郎党たちだって本当にあなたのことを祝いたい気持ちは強かったんです。そこは分かってあげてくださいね」
「それはもちろん分かってるよ」
ぶんぶんと手を振って、気持ちを無碍にするようなことを言ったことを詫びれば、弁慶はおかしげに笑う。
「分かっていますよ。ただ、今日はまだ早い。奥方様のところに帰った方がいいのでは?もうみな好きなように飲んでいますから。主役がいなくてもね」
その一言に、景時はハッとする。それから、酔いつぶれたりもう全然関係のない話をしている周りを見渡して、立ち上がった。
「ごめん、弁慶」
「謝るなら望美さんに、ですね」
*
梶原家の京邸に着いたのは、普段の宴がある日からすればまだかなり早かった。執務が終わってすぐに宴会になったからだ、といいのか悪いのか分からないことを思いながら門をくぐる。そうしたらすぐに、何かを焼いた甘い香りがして、そうしてそれから、そちらから妻の声がしたので、景時の足は自然とそちらに向かった。
「全部一人で食べてやるもん。景時さんのバカ」
剣呑な言葉にそろりと台所を覗く。そこには確かに望美がいて、そして、彼女の手元には景時には見覚えのない、焼いた甘そうな菓子があった。
「えーっと」
「!」
おずおずと声をかけると、望美が驚いたようにぱっと振り返る。
「望美ちゃん、それ、一人で食べちゃうの?」
そう言ってその顔を覗き込んだら、振り返った望美の目にじわっと涙がたまっていたのがはっきりと分かった。
「帰ってきてたんですか?」
「今弁慶に怒られて帰ってきました」
「じゃあ」
「誕生日、だよね、オレの」
「分かってたの?」
「それはちょっと違うかな。忘れててさ、今日それで宴だったの」
ごめん、と言って泣きそうな望美を抱き寄せると、望美はぎゅうっとしがみつくように抱きしめ返した。
「忘れないでよ」
「ごめんね」
「でも帰ってきてくれてよかったです」
そう言って、望美は景時の胸元にうずめた顔をパっと上げて、先ほど景時が見つけた焼き菓子を指差した。
「あのね、私たちの世界では誕生日にケーキっていうお菓子を食べるんです。でもこっちじゃ全部なんて無理だっから、ヒノエくんが小麦ならって売ってくれて、譲君に作り方聞いて、カステラっていうんですけど、お祝いに甘いの」
「望美ちゃんが作ったんだ」
「上手くできてるか分からないけど、みんなで食べましょう」
景時さんのお祝いだから、と続けた妻の額に景時は幸せをかみしめながら口づけた。
*
「でも、景時さん本当に抜けてきて大丈夫だったの?九郎さんたちだって絶対お祝いしたかったと思うんです」
「いいんだよ、飲むための口実みたいなところもあるからさ。オレはじゅうぶん楽しんだし、それに家に帰ったら望美ちゃんの手作りの菓子に、母上と朔と、それに君と一緒に過ごせたから」
ならいいんだけど、と湯浴みを済ませて布団を抱え込んでいる望美の髪を、着流しの景時はさらさらと撫でる。
「今日はごめんね」
「景時さんが謝ることじゃないです」
「じゃあさ、お祝いだからわがまま言ってもいい?」
そう言って、撫でていた髪をかき上げて、景時は望美の耳元に口を寄せた。
「もっと甘いものが食べたいかな、なんて」
意地の悪い問いかけに、望美は真っ赤になってぼすっとその彼の胸に体を預けた。
*
「やっぱり甘いな」
「やぁ、そこで、しゃべっちゃ」
「なんで?」
意地悪く言って、べろりと乳房の先端を舐めると、それから景時は獲物を前にした獣のように笑った。
「食べていいって言ったのは望美ちゃんだよ?」
「だめっ、やっ」
そう言うが早いか、景時は軽くそこに歯を立てる。そこから感じる小さな痛みは望美には快楽に変換されて、彼女は身をよじって逃げようとする。だが、布団に縫い付けるように腕を押さえつけられているからそれもままならない。すでに着物は脱がされて、全身をくまなくさらされたそれも、かえって羞恥を煽った。
「それとも他に食べてほしいところでもあるの?」
「なんで、そいういう、ふぁっ!」
抗議しようとしたら、今度は腹のあたりをべろりと舐められ、そうして強く吸われる。胸元にもいくつも付けられた赤いそれに望美は涙目になってふるふると震えていた。
「ねえ、ここでもないの?」
どこか分からないや、ともう快楽でとろけそうになっていることを知っているくせに聞く景時に、もうまともに回らない思考回路で、望美は熱に濡れた瞳でとろんと彼を見上げて言った。
「もう、ちゃんと、して?」
「御意ってね」
おどけたように言って、腕を押し付けていた手を離し、彼の指が望美の腰をなぞる。そうして、望美が一番望む場所に指はすぐにたどり着いた。
「あっ、やっ」
「すごいな、もうとろとろ。触ってないのにそんなに感じた?」
くちと音を立てたそれに望美は羞恥で真っ赤になる。指を挿し入れられているのに、そこはすんなり二本も飲み込んで、それが気持ちよくて仕方がない自分がはしたないような、それでいていつも通りにこんなことをしている、という事実も感じるような、というのは、何度体を重ねてもその感覚だけは望美から消えることはない。
もっとも、それは理性が残っているうち、という条件付きだが。
「だめ、だめ、あっ、ん…!」
「何が駄目なの?」
指を増やしてバラバラに動かせば、残っている理性は少しずつ融ける。そうして、望美の好きな場所なんていくらでも知っている彼が指でその内壁を押せば、望美の体はびくっと跳ねた。
「そこ、やあっ!」
「嘘は良くないな。すごく気持ちそうだけど」
そう言って景時はもう一度そこを愛撫して、それから、すべての指を引き抜いた。
その一瞬の快楽と、喪失感に、望美はぼうと上気したような、快楽に濡れた顔で景時を見つめた。
「やめるのは、もっと、イヤ」
「お姫様の言う通りに」
望美のその殺し文句に、景時は理性を飛ばされそうになりながら、張り詰めたそれを宛がう。余裕がないのはお互い様だな、なんて思いながら、声をかけることも忘れてそれを挿し入れる。
「ふあっ、かげときさん、かげとき、さんっ!」
「うん、気持ちいよ、君の中」
きゅうきゅうと離すまいというように締め付ける彼女の中で、獰猛にそれを動かせば、望美はあえかな声を上げて、景時に抱き着いた。それでより一層密着したそこはぐちぐちと淫靡な音を立てる。
「や、もう私、むり」
「オレ、も、ごめん」
切羽詰まった二人の声の声が重なって、それから熱い液体が望美の胎内に注がれる。その熱と感触さえ彼女は快楽に変えてしまう。
「や、熱い、熱いのきた。景時さんの、あついの、好き」
「ほんとに、なんで煽るかな望美ちゃんは!」
理性も融け切って乱れたような言葉を言った望美は、欲に濡れた顔で続ける。
「もっとちょうだい」
そんな言葉に、逆らえるはずもなく。
*
「私、昨日…!」
「おはよう。はい、お水」
がばっと起き上がって叫んだ望美に、横でそれを見ていた景時は自然な手つきで水を差しだした。
「忘れて、忘れてください!」
「望美ちゃんって乱れた時のこといっつもちゃんと覚えてるよね。もちろんオレも覚えてるけど」
「だから忘れて!」
そう言って、それで声が嗄れているのに気が付いて望美は水を飲む。その声が結局は自分が景時を求め続けて嗄れる羽目になったのだ、ということもついでに思い出して視線をうつむければ、綺麗に清められた肌に赤い痕がいくつもついていて、望美は今度こそ真っ赤になった。
「誕生日だからわがまま言ったっていいって言ったでしょ?」
いたずらっぽく笑った夫に、彼女は羞恥心を隠す様に抱き着いた。
「まだ言ってなかったです」
「ん?」
顔をうずめたまま、くぐもった声で、それでもはっきりと、彼女は言った。
「おめでとうございます、景時さん。そばにいてくれて、本当にありがとう」
これからもずっとそばにいるよ、という気持ちを込めるように、景時は彼女を強く抱きしめた。
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景時誕生日遅刻!
2020/03/06