引き返したら戻れない。
引き返す?どこへ?
覆水
屋島の戦いで独り死にに行った景時さんに、私は茫然自失としていた。
そうして、気が付いたら逆鱗を使っていた。
―――その恐ろしさに気が付いたのは、彼が「逃げよう」と私に縋った時だった。
(なんて、傲慢で残酷なこと)
今でもそう思う。すべてが終わって、彼の隣にいることができるようになってさえ、そう思う。
一度目、みんなが死んでしまったから、私は白龍からもらった逆鱗を使ってその時空に戻ったのに、彼らを助けたいと戻ったのに、私は景時さんの死が許せなかった。
しかもその死は、みんなを守るため、そうして彼自身が私を殺さないで済むための手立てだったのに、私はそのすべてを奪ってみせた。
浜の砂を数えるような話だ。
あの時、感情に任せて彼を生かしたけれど、そばにいたくて、死んでほしくなくて、愛していて。だけれどそれは本当は許されないことなんじゃないか、と、思う。
誰に、じゃない。白龍でも誰でもない。
景時さんその人が、赦さないと思っている。
*
「望美ちゃん?」
こういう夜は、なるべくゆっくり声を掛ける。
彼女はオレの知らない何かを知っていて、何かをやってきたみたいだった。それは白龍の神子だからなのか、オレにも分からない。分からないけれど、祝言を挙げて、女夫として一緒に暮らすようになってからも、こうして何も言わずに背を向けて、寝たふりをしながら静かに泣いていることがある。
「……」
一度目の狸寝入りは簡単に振り払う。それでも、ゆっくりと、彼女がもっと追い詰められてしまわないように、ゆっくり声を掛ける。オレは弱いから。彼女がオレの嘘を分かるように、オレは弱いから、彼女の弱さはよく分かるから。
「泣かないで」
我ながら陳腐な言葉だと思いながら、後ろから彼女を抱き締めていつも言えるのはこればかりだった。
「君がどんなことに苦しんでいるのか、オレには分からないけどさ、泣かないで」
「かげ…とき…さん…」
今までで初めて反応があった。かれこれ五度はこのような夜を体験していたから、オレは慎重に言葉を選んだ。
「言いたくないことならさ、言わなくたって全然かまわないから。だけど、もしオレが何かしちゃってて、こんなところもう居たくない〜!っていうことだったりしたら、オレどうにかなっちゃうから何でもするよ?」
おどけたように言ったが、半分くらいは事実だ。オレの何かが彼女を追い詰めていることは、オレにも分かっていたから。
「ちがう!違うの」
だけれど、それに反してたどたどしく叫ぶように言って、後ろから掻き抱くオレを振り払い、彼女は振り返ってオレの胸に飛びこんだ。抱き留めればその顔は涙にぬれていて、その場にそぐわずとても綺麗だと思った。
*
「ちがう!違うの」
叫んで、私は景時さんの胸に飛び込んだ。言ってしまえば楽だろうと思った。だけれど、一生言ってはいけないとも思っていた。
いや、違う。
言ってしまえば、景時さんは私を手放すだろうと思った。だから言えなかった。
これは私のエゴでしかなくて、だったら言わなければ許されないのだろうと思った。
「景時さん、私」
「うん」
私をやさしく抱き締めて、景時さんは静かに言った。
言ってしまったら引き返せない。どこに引き返すのかもわからないけれど。
「私、ね。景時さんが死ぬことを知っていたんです。屋島で独りで残ったこと」
「え…?」
*
「え…?」
出てきた言葉は思った以上に間が抜けていた。だって、オレはあの時結局死ねなかったじゃないか。彼女がオレの嘘を見抜いたから。だけれど彼女は「死ぬこと」と、「独りで残ったこと」と言った。まるで、一度その未来を見てきたようだった。
「知っていたの。本当は、全部知っていたの。嘘が分かるなんて、ウソ。私は一度その未来を見て、だけど、景時さんに生きてほしくて、景時さんのそばにいたくて、その未来を捻じ曲げたの」
頭がついて行かなかった。だけれど、彼女は間違いなくその未来を見てきたのだろう。そうでなければ、遡れば山ノ口の時に平家の罠を見破ったことだって、一度見たから、と思えば、戦に不慣れのはずの彼女がそのことを言い出すことができたのかもしれない、と、オレは頭を絞って考えた。
じゃあ、本当に?
彼女はオレの未来を知っていて?
「本当は、私こそ許されちゃいけない。景時さんの未来を変えて、自分の好きなようにして、こうして隣にいるなんて…」
悲痛な声で胸の中で言った彼女の背中を、あやすように何度も撫でる。
「どうだっていいよ、そんなこと」
「え?」
彼女がどうやって未来を知って、やり直しているのかなんて、分からない。分かったとしても、それは本質的に分かったことにならないことは分かり切っていた。だから、分からなくていい。
「そんなこと、どうだっていい」
二の句が継げない彼女の背中を何度も撫でる。長い髪に指を絡ませる。
「オレは、君の言葉で、君の行動で、今こうして生きているんだ。掴めなかったはずのたくさんの物事を掴んだんだから」
そう言ったら、望美ちゃんはぐりぐりと額をオレの胸板に押し付けた。
「そんなに、綺麗なことじゃない」
「綺麗かどうかなんて知らないよ」
*
知らない、綺麗かどうかなんてと景時さんは言ったけれど、私のやったことはこぼした水をもう一回コップに戻すような、そんな、我儘で、身勝手で、ともすれば残酷なことなのに、景時さんがそう言ってくれたらどうしてか、心が楽になった。
私だけが楽になったって、やっぱりそれは我儘なのかもしれないけれど。
「ごめんなさい、私だけ」
「な〜に言ってるの。オレたち夫婦なんだからさ。君が苦しかったらオレも苦しいよ」
言い訳するなら、言い訳してもいいなら、景時さんはあの時苦しそうだったから、私はそばにいたかったから、彼を愛していたから、時空を遡ったのだということを、許してほしい。
誰に?白龍?八葉のみんな?朔?
違う。
景時さんに許してほしかった。
もし許されるなら―――
そうぼんやり考えていたら、ゆっくりと口づけが降ってきた。
*
忘れさせられるわけない。そんなこと分かっているけれど、今は溺れてほしかった。
そう思って、彼女に深く口づける。
「んっふぁ…」
角度を変えて、貪るように口づければ、彼女は必死に舌を絡めようとしてくる。
今は、忘れて。
この夜におぼれて。苦しまないでほしかった。君が何度もオレを苦しみから救ってくれたように。いや、オレを救ったことを苦しむのなら。もう、大丈夫だから。
するりと夜着の袷から手を差し入れて、豊満な胸に触れれば、口づけたままのそこからくぐもった声がした。
「ふっあ…」
今日はじらすなんてなしにして、敏感な頂を強くつまめば、口づけていたそれは離れてしまって、彼女は背を反らす。
「ああ!」
「気持ちい?」
「そんな、こと…聞かないで…あっ、やあぁ」
頂をくるくるとなぞりながら、その大きな胸を鷲掴みにすれば、耐えかねたように彼女はオレの頭を掻き抱く。
「眼福、かな」
そのせいでオレの手は胸から離れて、彼女の胸に頭から飛び込む形になったから、正直に言えば、彼女はかあっと赤くなった。
「ちが、そんなつもりじゃ!」
「うーん、でもこれでも可愛がれるしね?」
「やああ、だめ、だめぇ…!」
歯で強く頂を噛んでは舐ることを繰り返してみながら、彼女の弱いわき腹を撫でさする。そうすれば、だんだんと彼女の体から力が抜けていった。
くったりと弛緩した彼女の体を抱き留めて、彼女の秘所を探る。
「だめぇ…」
「駄目って、ここまで来て殺生な」
何度体を重ねても羞恥を捨て去れない彼女にくすっと笑って見せて、そこに指を伸ばす。しとどに濡れたそこは、彼女の感じている快楽の強さを告げていた。
つぷと二本の指を差し入れて、ゆっくりと往復させる。
「あっ、やっ、ああ、だめ、だめぇ」
「何が駄目なの?」
意地悪く訊けば、望美ちゃんはいやいやと首を振った。
「足り、ない…よぉ」
羞恥からたどたどしくなった言葉に、オレはやっぱり笑って見せる。
「やーらしいなあ。これならどう?」
「やあああ!」
指をバラバラに動かして、彼女の中の感じる一点を執拗に刺激する。それから空いた手で彼女からこぼれる蜜をその秘芯に塗り付けてつまめば、彼女の体はびくびくと震えた。
「やっ、やあああ!いっちゃ、いっちゃうよぉ」
「いいよ。好きなだけ」
オレの肩に強く掴まって、彼女はその快感に耐えながら激しく震え、そうしてそれからくったりとオレに寄り掛かった。
「気持ちかった?」
「聞かないで」
意地の悪い質問に肩で息をしながら応じた望美ちゃんに、オレはやっぱり笑ってしまう。不安なんて、今の彼女には見当たらない気がしたからだった。
「今度はオレの番」
「あ、まっ、待って!」
「待たない」
達したばかりで敏感になりすぎている彼女に構わず、オレは十分にぬかるんでほぐれたその秘所に自身をあてがうと一気に貫いた。
「あああ!やあ、んっ!」
「挿れただけでいっちゃった?」
またも意地悪く訊くが、中にオレが入っているだけで何度も快感を拾っている彼女は、細かい絶頂を何度も味わっているようだった。無意識の緊張からか、いつもより敏感になっているようだ。
「景時、さん、なんか、変だよぉ…」
「ちょっと敏感になってるだけだから、こうしてようか」
「でも、景時さんが、つらい、から…」
「いいよ〜別に。望美ちゃんの中、すっごく気持ちいから」
オレの言葉にカッと赤くなった彼女だが、快感には抗えないようだった。
「あっ、ああ、なんで、こすれて、だめぇ」
ゆるゆると、決定的な刺激を与えないまでも腰を動かせば、それだけで彼女はあえかな声を上げる。
その動きもいったん止めて、オレは彼女を抱き締める。密着した結合部から拾う感覚に、ぼーっと望美ちゃんはこちらを見上げた。
「今は、オレに溺れて」
そう言えば、望美ちゃんはこくんとうなずく。それを合図に、オレは大きく腰を打ち付けた。
「あっ、あああ!だめ、急に、激しっ!」
「もっとオレで、いっぱいになって?」
「やああ、ひゃ、あっ、だめ、だめええ!いっちゃう、また、いっちゃうからぁ!」
「何回目かな?」
「意地悪、しないで、あっ、ああああ!」
ぐいと最奥を抉れば、彼女の締め付けが一段と強くなる。それに合わせるように、オレも精を吐き出した。
*
あれから何度も事に及んで、彼女の体を清めながら、ゆったりと声を掛ける。
「もう、怖くないよ」
「景時さん、私…」
言葉が正しいかなんてわからない。
彼女が何を見てきたかなんて、分からない。
分からないけれど、それはたぶん、彼女だってオレが何をしてきたか分からないから一緒なんだと思った。
「私、自分のわがままのために、景時さんからたくさんの物をもらいました。奪いました」
「そうかな」
「そうです」
ゆっくりと答えた望美ちゃんを、裸のまま抱き締める。
「じゃあ、オレはその倍も三倍も望美ちゃんから奪ってずっともらっているよ」
「そんなこと…」
「これ以上言ったら怒るよ?」
言わなければと決意して言った言葉の、どのくらいをオレは理解できただろう。
それでも、少しでも彼女に何かを渡せたなら、それはきっと―――
「景時さん、もし、もしね、私にもう少しだけ勇気が出たら、全部話すから。それでも横にいてくれる?」
「なーに言ってるの。当たり前でしょ?君がどんなことを話したとしても、オレは君から全部もらったんだからさ」
命も、平穏も、何もかもを、君にもらったのだから。
「景時さん、あのね」
「うん」
「代わりに私は、私の全部を景時さんにあげます」
「もう十分もらったよ」
だって、君に世界をもらって、平穏をもらって、君自身をもらって、君から世界を捨てさせて、もう十分すぎるくらいだ。
「ああ、もう夜が明けるね」
長い夜が明けようとしていた。そうしたら、望美ちゃんがくいっとオレの袖を引いた。
「そうだ、もう今日だった。誕生日、おめでとうございます」
「たんじょうび?」
「私たちの世界では、生まれた日をお祝いするの。もし、景時さんが十分だって言っても、私は私の全部を景時さんにあげるから」
ありがとうと言うべきなのだろうに、言葉が出てこなかった。代わりに、涙が出てきて、オレはそれを見られまいと彼女を抱き締めた。
苦しんでいたのに、苦しかっただろうに、言葉にできなくて今も苦しいだろうに。
それでもオレの隣にいることを選んで、オレにすべてをくれるという君が、何よりも愛おしい。
「愛しているよ、望美ちゃん」
言葉は、涙とともに落ちた。
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景時さんおめでとうの誕生日フラゲ
2018/03/03