望美は京邸の景時との寝室で烈火のごとくの嫉妬を燃やしつつ、同時にどうしようもない焦りと寂しさに襲われていた。
 寝床には程よく酒が入ってもう夢の中の夫。酔っぱらった景時に一緒に寝ようと抱きしめられたが「お酒臭いです!」と無理やり水を飲ませて引きはがし、上掛けを掛けたら、すぐに寝入ってしまった。疲れていたのだろう。

「一緒に寝ればよかった」

 一緒に寝たってこの事実は変わらないけれど、気が付かないで済んだかもしれないのだから、と思ったら望美はひどく寂しくなった。





 頼朝から景時が京での生活を勝ち取り、そうして彼と望美が祝言を挙げてから一年ほどが経つ。こちらの生活、というよりもそれにはもう慣れていたから、景時の隣で奥方として生活することに慣れてきたこの頃だった。
 奥方としていまだに恥ずかしいことや難しいことはたくさんあるが、それでも日々は楽しいものだった。
 景時は六波羅での政務が忙しい。それは九郎や弁慶も同じなのだけれど、京の貴族との交渉事は景時がやることが多く、それもあって視察やら書類やらだけでない忙しさに拍車をかけていたが、今までずっとやってきた密命や暗殺に比べればずっと向いていると彼自身思っているし、九郎や弁慶、妹である朔、そして望美に嘘をついたり隠し事をしないで済むのは本当に気が楽だった。
 そうして一年ほどが過ぎた頃のことだ。
 景時にはそれとはまた全く違った忙しさが舞い込んでいた。





「また歌会に呼ばれたですって!?」

 兄に言われて叫んだのは朔だった。隣にいる望美も、義妹となった親友を止める気になれなかった。ただでさえ忙しいのに、彼はほんの少し前に一時期歌の代作を大量に抱え込んだことがあった。恋歌の代作さえ引き受けた時は、望美のはらわたが煮えくり返りかけたほどだ。九郎の計らいもあって代作を引き受けることは収まったが、今度は景時自身が公卿の催す歌会に呼ばれるようになってしまったのだ。

「だってさ〜付き合いだから二人とも許してよ?」

 軽く言ったが、これで何度目になるだろう。源氏の武士たちの歌が上手くなっているその指導者が梶原家の若君だと周りに分かるのは必然だったし、その当人を呼ぼうとなるのも分かる。もともと公卿との交渉事だってやっていた景時だ。その前までだって全く呼ばれないということはなかったが、その頻度がこのところ上がっている。

「景時さん、ただでさえ忙しいのにそんなに予定入れたら倒れちゃうよ!」
「そうです、望美の言う通りだわ!」

 愛しい妻と可愛い妹に言われても、景時はいつもの気の抜けた笑顔を崩さない。

「ごめんね〜?悪いとは思ってるんだよ。だけどさ、頼朝様に九郎が西国の統治を任された以上、そうそう京の貴族の機嫌は損ねられないし」

 そう言われてしまえば二人も返す言葉がない。しかしながら、どこか楽し気な景時に望美はちょっとだけ悔しい思いをしていた。口ではそう言っているが、本当は歌会が楽しいのではないか、お酒を飲んで帰ってきてしまって自分との時間が持てないのも気にしていないのではないか、そんな独占欲のような嫉妬が渦巻いたからだった。
 だが、その幼い嫉妬心を覚られないよう自分を叱咤して望美は言った。

「しょうがないよ、朔。景時さんのそういう仕事だって大切なんだから」





 だから、そのように景時の言葉を信じて、今日も今日とて大きな歌会に送り出した自分を望美は呪っていた。帰ってきた景時はえらく上機嫌で、今すぐにでも望美を床に連れ込もうとしたが、その景時の袂から落ちた藤がひと房括りつけられた紙に望美はすぐにその手をすり抜けて、水を持ってくると叫んで部屋を出た。もちろん、景時はそれが袂から落ちたことなんて気づいてはいない。
 水を持って帰ってきてからも、床のそばにはその藤の花と折りたたまれた料紙が落ちっぱなしだ。だから景時に抱きすくめられてもその手を振り払うようにして望美は彼に無理やり水を飲ませて、床に寝かせた。案の定、酒が回っていた彼はすぐに寝入ってしまう。
 だから、望美はもう一度その藤の花と紙を眺める。手に取る勇気はないし、盗み見なんて良くないと分かっている。でも、これは明らかに恋歌だ。微かに沈の香りと藤の香が混ざる甘い匂いがして、そんな香を景時の水干に焚き染めた覚えはないから、それは料紙も、香も、全部が全部しっかりとあつらえたものだと分かったからこそ、その本気の様相に望美は泣きたくなった。

「景時さんが、歌会に行くのは…こういうのもらえるのが嬉しいからなんだ」

 そう思ったら泣きたくなっただけのはずだったのにぽたぽたと本当に目許から滴が落ちてきた。この時代では側室を持つのなんて当たり前だということはこの一年で望美も学んだ。だけれど景時はそんなの絶対取らないから、と言ってくれたのに。でも、と思う。側室じゃなくても妻がいたって通う相手を作る方法だってあるんだということも望美は学んでいた。

「景時さん、かっこいいもん。きっとモテる。人当たりいいし、優しいし、誰にだって好かれるよ…私一人が縛っちゃいけないんだ。だって、ここは私の住んでた世界と違うもん」

 膝を抱えて嗚咽を漏らしながら望美はぽつぽつと言う。彼に通う女性がいるなんて、それどころか自分に飽きて側室を取る気が起きているなら、と思うと耐えがたかった。前までの自分ならきっと怒って怒鳴って景時をぶっていただろうに、一年間彼の優しさと甘い毒に侵されてしまえばそんなふうになれない自分がいた。

「私ばっかり、景時さんが好きみたいだ」

 こらえきれなくなって、嗚咽が大きくなる。しゃくりをあげた瞬間に、がばっと景時が起き上がった。

「望美ちゃん!?」
「かげ…とき…さん?」
「どうしたの?どこか痛い?ごめんオレ酔っぱらって寝たりして!!」

 愛妻の膝を抱えて泣く悲痛な姿に酔いも眠気も一気に吹っ飛んで景時は床から飛び起きて望美に駆け寄った。

「違う、から。景時さん何も悪くないですから。起こしてごめんなさい」
「いや、でも泣いてるじゃない」
「だいじょうぶ、ですから」

 震える声で涙を流しながら言った望美はどこからどう見ても大丈夫なんかじゃない。だから彼は望美を正面から抱きすくめた。

「どうしたの?言ってしまった方がきっと楽だ。ゆっくりでいいから言ってみて?」

 やさしくあやすように背中を撫でて、額に何度も口づけて言えば、望美は今度こそ堰を切ったように泣き出して言った。

「景時さん、ほかの女の人好きにならないで!わがままだけど、こんなの私のわがままだけど、お願い!」

 泣きながら叫ぶように言った彼女に、景時はぽかんとするほかなかった。


「え、なにがどうしてそうなったの?」





 時は今晩あった歌会まで遡る。景時は自分の歌を十分用意していたし、突然かけられる歌を詠むのに難渋するほど野暮でもない。いや、難渋したって罰杯の酒もいいものだ、くらいに思うあたりが京で生活していたことのある景時の強みなのかもしれなかった。
 そうして程よく回ってきた酒の席、歌会の席が最近景時は楽しくて仕方がない。酒が入っている、歌の題には季節のことが盛り込まれる、そもそも歌会は途中から無礼講になりがちだ。そうなれば景時は周りの公卿だろうと武士だろうと誰彼構わず季節折々の愛妻のことを惚気続けることができるのだ。
 これが九郎や弁慶との酒盛りではそうはいかない。すぐにやめろ帰れと言われるのがオチだから、歌会は大変に都合がいい。そうして、周りの公卿たちも歌才のある景時の歌を聞き、同時に酒も入ればこの惚気話がおもしろくて仕方がない。姫や女房達の中にはそのさまに彼へ歌を渡すことを諦めた者が幾人もいるが。

「梶原殿は相変わらず奥方にぞっこんのようだ」
「そのように歌も詠まず惚気るばかりの男には罰杯じゃ、罰杯じゃ」

 景時の惚気話に盛り上がるそのさまは、一種名物めいてしまっている。それを理由に酒を飲めるというほどまでに。それで円滑に公卿たちとの付き合いもいっているのだから役得だな、などと思いながら景時はそのこじつけのような罰杯を受けた。

「そういえば、梶原殿。我が邸の二の姫がこれを。妹なのですがね」
「え?私にはご承知の通り妻がおりますので」

 杯を乾し、目を見開いて言った景時に顔なじみの公卿はふふと笑う。

「まさか。あなたになどと思うほどの命知らずはここにはおりませんよ。これは―――」

 これが、望美が泣きじゃくる事の発端であった。





「だからさ〜、これは弁慶宛ての恋歌なんだよ。渡すよう頼まれちゃって。でも夜に押しかけるわけにもいかないから明日と思ってさあ。邸の舎人に運ばせればいいのにさ、素性がバレるのが嫌なんだって。自分がだれか分からなくてもいいから思いだけは伝えたいなんて奥ゆかしいというか奥手というか」

 景時の言葉に驚いてしまって泣き止んだ望美に、困ったように景時は繰り返し言う。それに望美は泣き止んだかと思うと今度は気色ばんだ。

「景時さんのバカバカバカー!私本気で景時さんへの恋歌だと思ったんですからね!人の恋歌なんて預かる景時さんのバカ!」
「ごめんってば」
「というか歌会でいちいち私のことなんていろんな人に話さないでください!恥ずかしすぎます!」
「え?でも本当のことしか話してないから大丈夫だよ?」
「そういう問題じゃない!!!」

 ぎゃんぎゃん言っている望美を景時はふっと抱き上げる。

「きゃっ!」
「嫉妬、してくれたんだね?」

 妖しく微笑んだ夫の顔が、抱き上げたゆえに間近に見えて望美は息を呑んだ。

「そういう、わけ、じゃ」
「嘘なんてよくないよ?オレが恋歌をもらったと思って泣くほど嫉妬したなんて、やっぱりオレの望美ちゃんは可愛いな」
「景時さん、その…あの…」
「勘違いで嫉妬してくれるのは可愛いし、泣いちゃうのも可愛いけど、勘違いでオレを疑った君にはお仕置きが必要だよね?」





「ひあっ!」

 かぷりと肩口を噛まれて、望美は甘い嬌声を上げた。

「望美ちゃんは可愛いなあ。どこもかしこも敏感だ」
「や、言わない、で」

 この一年ほどで景時に数えきれないほど愛され、快感を教え込まれた体は、どこに触れられても敏感に反応を示す。そのことが望美は恥ずかしくて仕方がないのだけれど、景時にとってはこの上ない楽しみだった。

「本当に可愛い。どこもかしこも、全部。どこも可愛いし、どこを触っても悦ぶ君も可愛い。自慢したくなる気持ちも分かってよ」

 そんな恥ずかしい言葉を耳元で囁けば、それが毒であるかのように望美の背はぞくぞくと粟立った。

「ああ、でも君があんまり気持ちよくなっちゃったらお仕置きの意味がないかな」
「やんっ」

 そう言いながら戯れに秘裂をなぞればそこはもうしとどに濡れていた。

「触ってないのにこんなに濡らして。可愛いな」
「あっ、やっ、あっ」

 ゆるゆると指を往復させれば言葉にならない声を上げる望美に、景時はくすりと笑った。

「ああ、いいこと思いついた。今日のお仕置きはもうやだって言うくらい気持ちよくなる、にしよう」
「やっ、待って!そんなの…!あああ!」

 妙案を思いついたようにそう言って、じゅくと指を突き入れれば、望美はその刺激と快感に抵抗できなくなる。

「いいじゃない、お仕置きだけど君もオレも気持ちよくってさ〜」

 いつもの飄々とした調子で言いながらも、的確に望美の感じる場所を抉り激しくなる指の動きと、欲に濡れた景時の視線に、望美はもう身を任せることしかできなかった。

「もう駄目って言っちゃうくらいまで、今晩はやめないよ?」





「もう、も、だめえ」
「そういうわりには締め付けてくるね」

 埋め込まれた楔に、あまりに何度も達したためにその質量だけでまた小さな絶頂を味わった望美はそれを締め付ける。きゅうきゅうと景時を求めて締め付けるが、体の方は赤くほてりながらも疲れを見せ始めていた。もう駄目という言葉も嘘ではなさそうだ。ただそれはあまりにも続く快感に酔って疲れているようなのだけれど。

「終わりにする?」
「あっ、んっ…!」

 うなずいたらいいのか、まだこの快感をむさぼりたいのか、思考が霞む頭では考えがまとまらない様子の望美の耳に、景時は意地の悪い毒を流し込んだ。

「お仕置きしてくださいって言ってみて?」
「…え?」
「そうしたらすっごく良くしてあげる」

 そう言って彼はその剛直を入り口まで引き抜く。浅いところを行き来させれば望美は何度もあえかな嬌声を上げた。

「ね、言ってくれないと終わらせないよ?」
「やっ、あ、あ、も、無理、だよぉ」
「じゃあ分かるよね?」

 決定的な刺激が与えられないことに耐えかねた望美は、快楽に濡れたとろんとした顔で言った。

「景時さんのこと、疑った、私に、お仕置きしてくだ、さい」

 その余りに扇情的な言葉と姿に、景時はぞくぞくと快感を得て、彼自身も耐えられなくなった。

「よく言えました」
「あああ!や、も、激し」

 一気に貫けば望美は過ぎた快感に彼を締め付ける。それによって与えられる刺激に景時も息をつめた。

「もう、イっちゃう!も、だめええ!」
「オレも、出すよっ」

 切羽詰まった二人の声が響いて、長かった夜がやっと終わった。





「景時さん」
「えーっと、その、はい」

 長かった夜どころか、二人の部屋にはもう朝日がさしている。御簾の間から差し込む朝日に目を細めながら望美は景時を正座させていた。そもそも彼が帰ってきたのは夜半だったのだ。さらにそこから景時が一眠りしたあとであんなことに及べば、情事が終わるのは朝にもなろうというものだ。

「今日がお休みで良かったですね?」
「全くもってその通りです」

 般若の形相であろう奥方を直視できず、俯いたまま正座する景時に、望美は盛大な溜息をついた。

「ご、ごめんね?」
「ほんっとに反省してるんですか!?だって嫉妬して疑ったからお仕置きとか、そういう原因作ったのは景時さんなのに!」
「ほんとだよね、オレちょっと酔ってたからさ!」

 言いつくろうような言い訳を言いながらがばっと顔を上げた景時に、今までの憤怒はどこへやら、望美はぽすっと抱き着いた。

「へあっ!?望美ちゃん?」
「でもよかった」
「ん?」

 そんな彼女を抱き留めて問えば、望美はへにゃりと笑った。

「景時さんが他の人のこと好きになったんじゃなくて、よかった」

 そう言った望美の顎をつまんで、景時は微笑んでついばむような口づけを顔中に降らせた。

「当たり前でしょ?オレが望美ちゃん以外見るわけないもの」

 そう言えば、彼女は安心しきったように彼に身を預けた。

 歌会には当分出なくてもいいかなと彼は思う。人に聞かせるより本人を見ていた方がずっと楽しい。
 たまの非番の今日は彼女と市でも見に行こう、彼女に似合う小間物を買って、その帰りに六波羅に寄って弁慶に昨日の歌を渡して、それからどこに行こうか、と彼は幸せな一日を考える。

 愛しい日々は、ずっと続いていく。




2017/04/20