百舌
「何を悔いている?」
「別に」
「何が見えている?」
「ねえ、この後、源氏と平家は壇ノ浦で戦になるの。その戦で私は知盛を仕留める」
「それはずいぶん、物騒な話だ。しかし戦は幕引きか?」
「その話には続きがあってね。私は源氏の軍奉行に裏切られちゃうの」
「ほう」
「銃を向けられてね。でもそれを私には責める権利がない。その人は結局のところは私が短慮を起こしてやってしまったことの後始末を一人でつけていくことになるのだから」
「ほーう、神子殿のせいか」
「そう、私が福原を攻めることを提案したせいなの」
「それは神通力でも見通せぬ未来なのか」
「見通せるよ。こうならないように私には出来ることがたくさんある」
「ではなぜ?なぜその男に裏切られることを望む?」
「その時にね、裏切らないでくれる未来がないかなって探しているの」
「神子殿に愛された男は憐れだな」
「憐れ?」
「いや、神子殿を愛した男が憐れなのか」
「そうかもね」
「お前は分かっていないのさ。その軍奉行とやらのありようも、誰のありようも」
「どうして」
「分からぬから裏切られる」
「裏切られない道を探しているのに」
「……何度目だ」
「さあ。もう忘れた。何回やってもあの人は裏切る」
「諸行無常という言葉を知っているか」
「御経だっけ」
「違うがまあいい。諸々の行いは常ではない」
「先生みたい」
「はっ、講釈を垂れるつもりはない」
「違うの?」
「行いは絶えず続き、行いは絶えず変化し、どのような形にも成り代わる」
「同じ時はない」
「よく分かっているじゃないか」
「いつ気付いたの」
「さあ?お前は俺の動きを読んでいるようだった。有川の動きも。いや、お前が分かっていなければ福原を落とせはしなかった」
「それで気づいたの?」
「さあ?気づいてはいないさ。俺には残念ながら神通力がないのでね」
「みんな気付ている?」
「さあ?気付いてなどいないさ。誰もな」
「帰る」
「軍奉行の許へ?」
「知盛、私は福原を攻めない」
「それを今の俺に言うことに何の意味があろうか」
「私は、景時さんを一人にしない」
「妬けるな」
「あの人にすべてを背負わせない。そのためなら、源氏と平家に和議を結ばせたっていい」
「ずいぶん殊勝な御心掛けだが、さて。神子殿の望みは叶わぬようだ」
「そうだね。この時空の景時さんはどうやったって裏切る」
「なぜだと思う?」
「私が私だから」
「自惚れもまた美しいゆえか」
「私が私である限り、この時空で景時さんを手に入れることは出来ない」
「浜の砂を数えるような話だな」
「そうだね。だから帰る」
「どこに?」
「ここ以外の未来に」
「この時空のその男はどうする」
「捨てる」
「憐れなことだな」
「だってこの時空の景時さんは私を裏切るから」
「本当に?」
「……そうだね」
「まだ分かるまい」
「分かる」
「なぜ?」
「先に裏切ったのは私だもの」
「神子殿はずいぶん賢いようだ」
「私はあの人といるために百の言葉を尽くして、二百の嘘をついて、三百の時を使った」
「大層なことだ」
「だけれど駄目だった」
「だからやり直す、と?」
「そう。いけない?」
「さあ?誰にも分からぬさ」
「だって私はあの人を愛しているもの」
海鳴りを聞きながら、白い光に包まれるその女を眺めていた。その女の輪郭が淡くなり始めた頃、自分がしゃべっていたのが誰なのか、そもそもここがどこなのか、いや、自分というのが何であるのか、俺には分からなくなる。
曖昧な輪郭は、その女だけではないようだ。
捨て去られる時空にある者は皆その輪郭をあいまいにし、最後はなかったことになるようだ。
「帰る」
「そうか」
憐れだな。
お前に選ばれなかった時空は須らく現実に能わない。
お前とは誰だ、この女は誰だ、これは女か、これは男か、これは、なんだ?
「恐ろしい だ」
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2017/6/14 ブログ掲載
2017/7/3