「あれ?おやつ食べないの?」
六条櫛笥小路の京邸において、非番で午後もごろごろしていた景時に指摘されて、望美はびくりと肩を震わせた。
「ちょっと先生に稽古つけてもらってきます!!!」
その問いかけからはまったく繋がらないことを叫んで、脱兎のごとく駆け出した奥方の背中と、望美用に買ってきた唐菓子の包みを交互に眺めながら、景時は首を傾げた。
やつどき
「そうなのですよ」
深刻そうな妹の顔に、景時の顔からサアっと血の気が引く。望美がリズヴァーンに稽古をつけてもらいに邸から出て行ってしまってから、取り残された景時は繕い物をしていた妹の朔の部屋を訪ねていた。望美との京での生活を始めて半年以上が経ったが、忙しさには変化がない。今日は久々の非番だが、最近は朝はまだしも昼と夜は食事を一緒に取ることもなかなかない。とはいっても夜に帰って夕餉を食べればそのまま褥に連れ込むことの方が圧倒的に多いのだけれど。
そんな申し訳なさもあって、今日は非番だったから、なるべく一日一緒に過ごそうと、そして望美の好きな甘い揚げ菓子を用意して、昼餉のあとにおやつとして食べるといいよと渡したところ、望美の顔が曇ってしまったのだ。
そうしていつまでも顔は曇ったままだし手を付ける気配もないから「食べないの?」と訊けば、稽古をつけてもらうと叫んで脱兎のごとく行ってしまった自分の妻に、景時は青ざめて妹の部屋に駆け込んだのだった。
「ね、ねえ朔?それはいつ頃からなの?」
「そうね、半月前くらいからかしら」
「ご飯は、ご飯は食べてるよね!?」
もしや体の具合が悪いのかと青ざめた顔で必死に聞いてきた兄に、朔は気圧されながらも答える。彼女だって気になっていることに違いはないのだから。
「食事は三食食べています。ただ、間食というか、菓子を用意しても手を付けなくなってしまって。私と母上といつも一緒にお茶と菓子を食べていたのに、望美ったらお茶だけ飲んで菓子はいらないと言うのよ」
とりあえず食事はとっているということに安堵した景時だったが、甘いものが好きだったはずの望美のその変貌を知らなかった自分も嫌だし、そもそも菓子を食べなくなったなんて何かあるのでは、と思ってしまう。
「何かほかに変わったことはない?ほら、なんかあっちの世界が懐かしいとか、こちらの菓子が口に合わないとか…」
こちらの世界が嫌になってしまったのでは、という嫌な思考が頭をかすめて、それをそのまま口にすれば、朔は首を横に振った。だけれどそれでも沈んだ顔には違いがない。
「それはないと思うわ。だって、私もそうも思ったから譲殿にこのあいだ会った時にね、はちみつぷりんを望美に作ってくれないか頼んでみたのだけれど、それも食べなかったのよ。一緒に嵐山に行った白龍と私に全部あげるって。譲殿に何度も謝ったけれどとにかく「甘いものは食べないの」と言うから譲殿も不思議そう…というか、何か分かったような顔もしていたけれど二人とも教えてくれなくて」
「そっか…」
少しだけ安堵したような表情を見せた景時だったが、それですべて解決という訳ではない。
「でも、今日兄上が持ってきた揚げ菓子だって、ヒノエ殿から買ったものなのでしょう?今京に来ているのよね?私もさっき兄上から一つもらったけれど、熊野に行ったとき私たちがもらって望美も気に入っていた珍しいものだわ。はちみつぷりんにしたってこの菓子にしたって、どちらも望美が好きなものなのに…」
頬に手を添えて思案気に言った妹に、景時は余計不安な気持ちになる。普段から用意してある菓子が食べたくないという可能性も考慮していたのだけれど、もともとの好物も口にしないようになったなんて、何かあるとしか思えない。
考えても分からないそれに二人が途方に暮れていた時だった。
「邪魔するぞ」
怒気を含んだ遠慮会釈のない挨拶が縁側から響いて、その挨拶にたがわぬどかどかというこれまた遠慮のない足音と、それからずるずる何かが引きずられる物音が近づいてくる。
「放してー!九郎さんのバカー!」
縁側から朔の部屋まで響いたこの屋敷の奥方の叫びに、景時と朔はあっけにとられた。
*
「どういうことなのか聞いてもいいかな、九郎」
「かまわん。実にくだらんがな」
腕組みをした九郎の隣でむくれて正座させられている自らの妻にして九郎の妹弟子である望美に聞いても「仕方のないことなんだよ」と繰り返すだけで埒が明かず、九郎の方に振れば九郎はしごく面倒そうに答えた。
「今日は俺も政務が早く終わってな。今は先生が京にいらっしゃるから先生のところに稽古に行ったんだ。そうしたらこいつが先に来ていた。打ち合うにもちょうどいいと思ったが、先生がひどくお困りだったんだ」
「え?」
「よくよく聞いてみればこいつ、とにかく剣だけじゃなく柔術も教えろと先生に迫っていたんだ」
「の、望美?そんな必要もうないじゃない。何かあったの?剣を持っていない時に夜盗にでも遭ったの?怖い目にでも…!?」
「朔殿、そんな大層な理由ではないから心配するだけ損だぞ!」
九郎のその言葉に青ざめた朔に、しかし彼は心配するだけ損だと言い捨てる。
「こいつ、最近太ったから痩せるには剣より柔術!とか叫んでいたんだぞ!?先生が困るのも道理だろう!!」
「九郎さんのバカー!景時さんたちに言うことないでしょ!?」
*
せっかく稽古をしようと思ったのに、久々に打ち合えると思ったのにととにかく呆れでいっぱいの九郎は「さして太ってもいないくせに」とか「女人に筋肉は付きにくいだろう」と二言三言言い置いて帰ってしまった。改めてリズヴァーンのところに行くのだろうと思われた。
「望美、あなたなんてこと考えていたの。全く太ってなんかいないし、そんなことで食事や間食を控える方がよっぽど体に悪いわ」
言葉を失っている景時に代わって朔はそう言いながら望美の長い髪をなでる。そうしたら望美は目元にたっぷり涙を浮かべて、だって、でも、と言い縋った。
「だってぇ…景時さんがぁ」
「兄上!?兄上になにか言われたの!?」
般若の形相で振り返った朔と、涙目で朔に抱きつく望美なんて様々な意味で詰んでいるな、と思いながら景時は朔の腕の中でぐすぐすしている望美を彼女の手からふと抱き上げた。
「ちょっと兄上!?」
「朔、ちょっとオレ望美ちゃんに話があるから」
「ちゃんと謝ってくださいよ!!まさか泣かせて菓子も食べないほど追い詰めるなど、なんという!」
「そういうことじゃないと思うんだけどな〜?」
「ひうっ」
苦笑しながら抱き上げた望美のおなかの辺りをつまんだ景時に、望美は悲鳴を上げて、それから恥じ入るように彼の肩口に額を寄せた。その睦まじい姿に朔はことは思っていたより深刻ではないのかもしれない、と思い、半端になっていた繕い物に手を伸ばす。
「そういうことでしたら、あとは兄上にお任せします。兄上、ちゃんと望美と話をして、もう間食を控えるなんて言わないで済むようにしてくださいね。私だって望美と菓子を食べられないのは寂しいのだから」
「御意〜」
ふざけて言った兄と、その腕の中でじたばたしている義姉から、馬に蹴られるのは御免とばかりに彼女は目を逸らして手元の針と糸に目を落とした。
*
朔の部屋とは反対の対、景時と望美の寝所で景時胡坐をかいて望美をその間に座らせると、後ろから抱きかかえるようにしてさわさわとそのやわらかい体を撫でていた。
「ごめんね?オレそんなつもり全然なかったんだけどな〜?」
「だって、景時さん、やわらかいって」
間断なく撫でさすられるそのくすぐったさに切れ切れに言い返す望美に構わず、景時は着物の袂から手を差し入れて、その肌に直に触れた。
「んっ」
「でも別に太った、なんて言ってないじゃない」
「だってぇ…どこ触ってもやわらかいって景時さん毎日言うから、太ったのかなって、筋肉が脂肪になったって意味かなって、思って、ひゃっん…!」
涙声で言った望美の袂から差し入れた手で軽く乳房を撫でて、それからおなかの辺りを撫でまわすと、望美は耐えかねたように甘い声を上げた。
「可愛いなって意味だよ?ほんとやわらかくていつまででも触ってたくなるって意味なのに」
そう言って後ろから抱えた状態で着物をはだけさせてしまう。さらされた胸をやわやわと揉めば望美はもう耐えられない。
「やっ、だめ、だめ…あっ」
「ほら、こんなにやわらかくてふっくらしてて。可愛くて仕方ないって意味なのに」
じらすように、感触を楽しむようにゆったりと胸を撫でまわせば、その緩い快感に耐えかねたように望美はいやいやとかぶりを振る。
「なあに?」
「もっと、ちゃんと…」
触ってほしいとは羞恥で言えないそれが分かっていて、景時はその頂には触れずに周囲を執拗に撫でては捏ねまわす。
「やあっ、あっ、だめ、だめぇ」
「ダメじゃないでしょ?気持ちよさそうだよ」
「あああ!やっ、急に、やだあ」
駄目だと口だけで言った彼女に、今度こそくいっとその頂をつまめば、望美の体は景時の腕の中でびくっと震えてその快感を享受する。まだ昼過ぎの明るい時間だから、その痴態を余すところなく見ることができて、景時の中に加虐心にも似た心持が過った。
「ね、望美ちゃん」
快感で蕩けたように頬を上気させる妻の耳元で、彼は都合のいい思い付きを口にする。
「そんなに動いて痩せたいなら、オレが手伝ってあげようか?」
*
「あっ、や、きちゃう、やあ」
ぐちゅぐちゅと水音を立てながら腰を進める景時のその動きに、組み敷かれた望美はろくに抵抗もできずに喘いでいた。埋め込まれた楔からもたらされる快楽に陶然として、今がまだ夕方にもならないことなんて彼女はもう忘れていた。
「ほら、ちゃんと汗かいてきたでしょ?」
「やっ、こんな、ちがっあ、んっ、かげとき、さん、ばっかり、ずる、いよぉ」
「オレばっかり?望美ちゃんも気持ちいいのに足りないってこと?」
「やっあああ!駄目、ちが、だめ、はげしっ!」
望美が彼をなじれば、その揚げ足を取るように言われて動きが激しくなる。それに望美は耐えかねたように喉を反らせば、長い髪が褥に広がった。
しかし、望美のその景時ばかりという言葉に、彼の中にまた新たな思惑が生まれてしまった。
「ああ、そっか。そうだよね。これじゃあオレばっかり動いてるから望美ちゃんの運動にならないか」
「え?」
一瞬にして激しかった動きが止み、望美がそれを不思議に思った瞬間に、景時はぐるんと繋がったまま体ごと自分と望美の位置を入れ替える。このくらいの動きをしても二人とも何ともないしそれが上手くいくのも、なんだかんだ言っても彼も武人というところか。繋がったままで、今度は望美が景時に跨る形になっていた。
「やっ、なんか、変、だよぉ」
自分では意図せず跨るようになってしまった望美は、その普段とは違うかっこうにあっけなく景時の胸板に倒れこみそうになるが、それを景時は腰を掴んで止めてしまう。
「やあっ!なん、で?」
「だってオレばっかり動いたら運動にならないって意味でしょ?」
そう言って戯れに腰を突き上げれば、望美はどうしようもなくなってしまう。
「やっ、ああ!だめえ、うごか、ないで、奥、奥がっ、変だよぉ、あっ、あ」
悲鳴のようにあえぐそれは、望美自身が上になることで結合が深くなってしまい、いつもと違って奥まで景時に満たされてしまうから、いつもとは違う快感をもたらされたために出たものだった。
「ほら、動いて?運動、終わらないよ」
「無理だよぉ、あっや、だめぇ、動けない、よ、奥、いっぱいで、あっ!」
「うーん、でもオレがやっちゃったら結局運動にならないよ」
そうのんきに言いながら、景時はつかんだ腰を揺らす。その動きに望美は悲鳴のようにあえいで体を反らした。
「どうしたの?」
なおも意地悪く訊いた景時に、望美はもう正常に働いていない思考で言った。
「奥、奥に、景時さんいっぱいで、動け、ない、の…!」
「なんで奥がオレでいっぱいだと動けないの?」
口も動きも緩めることなく言えば、望美はその動きに喘ぎながらもう何も考えられなくなってしまって素直に答えた。
「奥まで、気持ち、良くなりすぎて、おかしくなっちゃう」
「やーらしい。でもそんなやらしくて可愛い望美ちゃんはもっと可愛がりたくなっちゃうなあ〜」
望美のその淫靡な姿と言葉に景時は望美の腰をしっかりと掴んで揺らす。それから自分の腰で突き上げる動きも早めれば、望美はもう耐えられない。
「あっ、やあああ!奥、いっぱい、で、ああ!やっ、も、きちゃう、やあああ!」
「くっ、きついな」
「や、も、あああ!」
ぐちゅぐちゅといやらしい水音が響く中で、望美の脳裏が真っ白に染まる。その瞬間にきつく締め付けられて、景時も彼女の中に精を吐き出した。
*
夕刻に差し掛かってもまだ日は長く、明るいそこで望美の体を清めながら景時はでれでれと笑っていた。それが望美には不服なうえに恥ずかしくて仕方がない。
「ほーんと、太った、じゃなくて柔らかいって言っただけなのに望美ちゃんは早とちりだなあ」
「だって、景時さんが毎日言うんだもん」
「だって、望美ちゃんほんとうにやわらかくてすべすべて可愛いからさ。毎日言いたくなっちゃうの」
そう言いながらもう動く気力もないように体を投げ出している望美の太ももや腹を撫でさすれば、望美は少し身じろいだ。
「も、やですからね。まだこんなに明るいのに…!」
「んー?オレとしてはこのやわらかい望美ちゃんと明るいうちにもう一回くらい」
「やだ!」
「分かってるって」
望美の叫びにふにと口づけて景時はあやすように頭を撫でた。
「太ってるなんてことないんだから、おやつも食べてね。でないとまた運動させちゃうよ?」
「いじわる」
ぷいっと横を向いた望美に景時はくすっと笑う。痩せようとしたのだって自分がやわらかいと言ったことを気にしたのだと言われれば、妙に欲が満たされる。自分のために、自分の言葉で、そうやって景時にとっては掌中の玉のごとき望美を自分の言葉で縛れるのに満たされる、なんて、自分も欲深くなったものだと思いながら横になる望美に覆いかぶさるように景時は抱き着いた。
「景時さん?」
「ね、夕餉までまだ時間あるし、起き上がれるなら一緒にお菓子食べよう?ヒノエくんからもらった珍しいお菓子なんだから食べなきゃ損だよ」
「ん」
甘えるように抱き着いてくる景時をふとこちらからも抱きしめ返して、望美は短く答えた。そうすれば、背中に腕を差し入れられて景時は彼女を起き上がらせる。今度こそ景時は腕の中の望美を掻き抱いて、耳元でささやいた。
「まあオレはお菓子なんかよりずっと甘いものを頂いたんだけどね」
その言葉に望美は真っ赤になる。
明日からは、また縁側で彼女と朔と母と三人で催されるお茶の時間に菓子が付くのだろうと思われた。
2017/04/30