鼻識
洗濯物に橘の香りが移ったら、なんて話をしたのはいつのことだったろうか。彼女との季節は廻り、いくつの時が経っただろうと、その望美ちゃん本人を見てオレは思った。
彼女は、というと、干し終わって綺麗畳まれた洗濯物に寄り掛かるようにして眠っていた。
「風邪引くよ」
「あれ、景時さん?」
ふと彼女の頬を撫でれば、ふわりとやわらかな香りがする。
「寝ちゃってました」
「まあいい天気ではあるけどさ、君に風邪なんか引かれたらオレ心配でどうにかなっちゃうよ」
そう言ったら望美ちゃんは可笑しそうに笑ってそれからぐっと伸びをした。ほら、またやわらかな香りがする。
「菊?」
思いついた花の名を口にすれば、彼女は思い出したように着物の裾を払った。
「これ取り込んでる時に、庭の菊にけっこうぶつかっちゃって。私の着物じゃなくて洗濯物に移ればいいのに」
困ったようにそう言って微笑んだ望美ちゃんを、オレは思わず抱き締めていた。
「え、ちょっと!」
「うん、ごめん。少しだけ」
やわらかく甘い香りは、菊だけではないだろう。彼女が生きている香りだと、ひどく切実にそれが思われた。
梅の香りの香は君とオレを繋ぐ。
橘は永遠の実りだといつかどこかの法師が言った。
菊の花弁は老いを忘れさせる。
すべての季節に君がいることが、こんなにも愛おしい。
「景時さん、私はどこにも行かないよ」
だからどこにも行かないで、と彼女はオレの背を撫でた。
鼻識 嗅覚