シリウス


 それは焼け付くような日々だった。





 うなるような音を立てるガスオーブンは年代物だった。今は電化製品も日々進化しているから乱菊はいつも通りその現在の所有者であるネムに言っていた。

「前から言っているけど、涅隊長に言ったらいいの買ってくれるわよ」
「困っていません」

 そう応じれば乱菊は『物持ちがいいのも考え物ねー』と呟いた。マユリならネムが言えば喜んで最新型のレンジ対応電気オーブンを買うだろうに。なんなら現世まで出向くかもしれない。十二番隊給湯室付属のガスオーブンを使うのは、今となってはネムしかいない。

「これがいいのです」
「そうなの?」
「時間がないですから」

 そう言って微笑んだネムに、乱菊は時間ならあるわよ、と言おうか言うまいか迷ってそれから「そうね」と応じた。
 全てのことは有限で、全てのことは区切られている、なんてネムが考えているか分からないけれど、少なくとも自分たちの時間は有限かもしれないからだった。

「ガスは焼き上がるのが早いものね」
「はい」





「気に入ったのか」

 こくんとうなずいたネムに阿近は頭を掻いた。そうしてそれから彼はうーんとうなる。ネムが食べていたのは現世に行けばけっこう普及している料理だが、尸魂界で作ろうと思うとなかなか難しい代物だ。

「ぐらたん」

 ……小さく呟かれた声に幼いネムがこの料理をかなり気に入ったことが分かってしまう。現世の文化を持ち込む隊士というのはどこにでもいるもので、持ち込まれたそれをネムに食べさせようという気持ちも分からないでもなかった。今やこの少女を中心に研究室が回っていると言っても過言ではないだろう。

「材料はいいとして、焼く機械だよなあ」

 なんと言ったか、それで器ごと焼くらしい。

「買いに行くか」
「どこまでですか?」
「現世」





 そのようなことを思い出して、このガスオーブンがざっと20年はこの給湯室に収まっているのだとネムは思い返していた。ぽつりぽつりと話しをすれば、乱菊は面白そうにそれを聞いていた。

「私が小さかった頃から技術開発局は忙しくて、結局現世に電気のものが普及してからも買い換えませんでした」
「ガスオーブンって焼き上がり早いものね。火力が違うわ」
「あの頃は、何くれとなく皆さんいろいろ作っていたのですが、今は私しか使いません」

 その笑みは、懐かしむようではあるが寂しさは感じさせなかった。

「料理担当もお茶くみ担当もネムに委譲されたのね」

 いたずらっぽく笑った乱菊にネムが笑う。そうしたら給湯室の入り口から声がかかった。

「ねえ副隊長、入ってもいい?喉かわいちゃった」
「なあに采絵じゃないの。女子力ないわね、ネムを見習いなさい」
「あらあ、うるさいのがいるのねえ。何作ってるの?」
「焼き上がったらお持ちします。今お茶を」
「いいのよ、それくらい自分でやらないと乱菊から行かず後家とか言われるんじゃないかしら」

 ふふと笑って采絵は茶筒を開けた。茶碗を3つ出した彼女の女子力が低いなんてことはないだろう。それから彼女はガスオーブンを覗き込む。

「あら、グラタン?久しぶりね。副隊長が作ったやつ阿近が好きなのよねえ」





「御夕食をお持ちしました」
「お?なんだ?今日何かあるのか?」

 ネムが食事を持ってくることはたまにあるが、今日は思い当たる節がない、と阿近は思ってお盆を抱えたネムに目を瞬いた。

「甘いものはお嫌いでしょう?」
「ん?おー、ずいぶん懐かしいもん作ってきたな」

 2月14 日の夜だった。
 日々は遠い。焼け付くように、刻まれた日々は、遠い。




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シリウスは焼き焦がす。例によって何語か忘れました。
2016/01/27