千夜一夜物語
「これで何度目の離婚だ!?」
大臣の左方の真田は声を荒げて執務の机を叩く。右方の柳は困ったようにため息をついて、ひらひらと両手を振る。その王が離婚するのを数えるのに、両手の指では足りないことを示したのだった。
「仕方ないだろう。不信というのは信頼を築くよりずっと簡単に根を張るものだ」
「それにしたって、1日で国から妃を、毎日放りだす現状にお前はなんとも思わんのか!」
「思うさ。思うが、そこまで言うのも精市が可哀想ではないか」
だが、ともう一度声を荒げようとして、真田は項垂れる。まさか、隣国から鳴り物入りで嫁いだ第一王妃が、あんなに簡単に王を裏切るとは思わなかったのだ。まさか一月と経たぬうちに部屋に近衛兵を連れ込むなんて。しかも、ただの密会ならまだしもそれが国を傾け我が物にせんという謀略の一端だったというから酷いものだ。
だが、そんなものをあの有能な王が見抜けないはずはない。だが、見抜いてそれから王妃を誅しても、王の心は晴れなかった。当然だろう。『誰よりもあなたを愛しています』と言った女が、もともと彼の持つ富と名声にしか興味がなかったのだから。
王妃を誅してから、王の親友でもある左右の大臣は、何人もの女性を王に薦めた。だが、新たな王妃を、という声はいっかな聞き入れられなかった。それでも王は優しくて、勧められた女性に一日だけ王妃の座を与える。王妃に、と勧められた彼女たちの体面を慮って、そうしてそれから、自分の側の不都合を連ねて王宮から追い出すのだ。王妃に、と言われたのに王に初めから気に入られず帰されたなどとなれば、親に勘当されても可笑しくないそれを、王は知っていた。知っていて、だけれど誰か一人を傍におこうなんて思えなかった。
「このうえ精市に妃を薦めるのは、酷だろうか」
「どうだろう。むしろ、その穴を埋めてくれるような女性が必要なのではないか」
そうは言っても、左右の大臣だって、もう薦めるべき女性は出しつくした。大臣だけではない。家臣たちみんなが探した女性一人一人を、王は王宮から放り出してしまった。
「だが、ほかに薦められる女性はいるのか?」
真田が困り果てたように言った。その時、柳は昔馴染みの顔をふと思い出した。確か、彼の気に入っている少女は、王に似合う歳だったな、と。
***
「ということがあってね。竜崎さんはあれじゃないか、王子に嫁ぐんだろう?だから、まだ行き先の決まっていない小坂田さんを…」
「人をいかず後家みたいに言わないでくれます!?」
馬車のうちで酷い計画を披露した乾に、立海の都に連れて行ってあげるよと言われて、海沿いのあの国なら親友の嫁入り道具になる綺麗なものがきっとあると思って、のこのこついてきた自分を、朋香は思いっきり殴り飛ばしたかった。ついでだから兄のようなこの男のことも思いっきり殴っておきたかった。
「いいじゃないか。人助けだと思ってちょっと王宮に行ってきてくれよ。大丈夫、明日には帰れるから」
行ってくるもなにも、立海の領地に入ってからもうずいぶん経つのだ。そっと幌の向こうを見たら、案の定王宮が見えた。
「ヒドすぎる」
立海の王といえばあれだろう、と朋香は思う。毎日若い女性を連れ込んでは放り出す、放蕩にも程があると噂の王。
ガタッと馬車が止まった。多分、王宮の入り口に着いたのだ。
「嫌ですよ。ほんとに」
最後の抵抗をしたら、乾は緩く笑った。
「いや、君にとって悪いことは何一つないよ」
じゃあ、明日都で待っているから、と乾に言われて、朋香はかしずく侍女たちに馬車から連れ去られた。
***
連れていかれる小さな背中を見て、乾は小さく思った。
「さすがに蓮二は勘が良いじゃないか」
きっと彼は、出しつくした女性の先で、苦し紛れに朋香か桜乃を、と言ってきたのだろう。だが、彼の勘は素晴らしくよく当たった。もし、王が世間で言われているような放蕩者ではなく、柳の言うように苦しんでいるのだとしたら。
「小坂田さん、明日には帰れないかもしれないよ」
少女に向けられたそれは、優しさを含んだ視線だった。
***
王の寝間には色とりどりの装飾が施されていて、そうして、紗の天蓋が付いた大きな寝台があった。朋香はそのベッドに腰掛けて、王が来るのを待っている。かしずく侍女にそういう決まりなのです、王妃様、と言われたからだった。それに朋香は泣きだしたい気持ちになった。放蕩者の王とそういうことをして、捨てられるんだ、と思ったからだ。そんなの、惨めすぎる。
そう思って、泣き出しそうになったところで、ガチャッと寝間の扉が開く音がした。
***
王は、寝間に入って寝台の朋香の横に腰掛けたきり、指一本触れようとしない。それに朋香は面喰って、言った。
「あの、幸村様…?」
「ああ、気にしないで。何もしないから。侍女や家臣がうるさいからさ、ちょっと遅くまでいて、用意してある妃の寝間に戻っていいよ」
そう言われて、朋香はさらに面喰う。
「幸村様、その…」
「あ、他国の人、しかも無理やり連れてこられた人にまで様なんて言われると申し訳ないから、幸村でいいよ。小坂田さん、だね」
「は、はい……あ!私も今夜限りですが幸村…さんの妃ですから、朋香でいいですよ」
一国の王にも物怖じしない態度で言う、その純粋というか何というかな態度が可笑しくて、幸村はくすっと笑った。……あの一件以来、王がこんなふうに笑うのは、初めてのことだった。
***
幸村さんはこんなに優しいのにどうして王妃を選ばないんですか?という朋香の素朴な疑問と、純粋な眼差しに、幸村は、この子になら話してもいいだろうか、という気持ちになった。理由は分からない。だけれどそうして、初めて結婚した王妃に裏切られた話を、した。
***
それから、王妃にと薦められる女性に恥をかかせたくないから1日だけ王妃にするのだ、という話しをして、幸村は言った。
「だから、朋香ちゃんも明日には帰れるよ。大丈夫、俺の方の不都合を言っておくから…」
「幸村さん、寂しくないの?辛くないんですか?苦しくないんですか?」
幸村の言葉を遮るように朋香は言う。それに、幸村は目を見開いた。それは、朋香から見ても辛さや苦しさを湛えた瞳だった。だから朋香は言う。
「今日は私が幸村さんのお妃です。幸村さんが苦しくないように、お話しますね」
お話、という一言に、先程の胸のうちも忘れて幸村はぷっと吹き出す。
「俺、そんな歳じゃないよ」
「えー、でも、私、双子の弟がいてお話をするのは得意なんです。物は試し、聞いてくださいよ」
そう言って朋香は隣に座る幸村に、国に伝わる昔話を話し始めた。その優しい声を聞いているうちに、幸村は段々心地好い眠りに誘われる。ずいぶん長い間感じていなかったやわらかな眠たさだ。だけれど最後まで朋香の国の昔話を聞いたところで、朋香は言った。
「続きはまた明日」
言ってしまってから朋香はハッとする。いつも弟たちを寝かしつけるために言う言葉だったが、明日にはこの王宮を去るのに、何を言っているのだろうと思ったからだ。
だけれど、幸村は豪奢な寝台に横たわって、言った。
「うん。また明日聞かせて」
そうして幸村は、深い眠りの淵に落ちた。
***
次の日になって、眠れずに妃の寝間にいた朋香は、今日のいつ頃帰れるだろう、という思いの半面、あの王の、苦しく辛い瞳に揺れていた。そんな時、侍女が寝間に入ってくる。
「王妃さま、湯浴みを。足を洗いますわ」
たらいを持ってきた侍女が、朋香の足を取りそれに浸ける。朋香の混乱など抑え付ける、流れるような仕草だった。
「あの…私、今日にはここを出るんですよね?」
「何を仰るのです!陛下は朋香様に新しいドレスをと申されていらっしゃいます。今日はその採寸ですよ?」
「え?だってみんな1日で帰されるって……」
侍女はその朋香の言葉には答えず、さあさあと寝間着から着替えさせた朋香を立ち上がらせる。朝餉の席で、幸村が優しく笑っていた。
***
それから毎晩、王妃は王にたくさんの物語を話した。「続きはまた明日」という言葉の度に、その王は幸せそうに笑って眠りに就く。……『明日』を約束してくれる王妃など、今まで一人もいなかったから。そうして、その幼い王妃は、その『明日』を絶対に裏切らなかった。
(ずっとそばに、なんて、傲慢な望みだよな)
王は、王妃の声を聴きながらふと思った。ずっとそばに。それは無理な願いに思えた。今だって、こうして彼女を王宮に留めて久しいけれど、彼女にも帰るべき家がある。このたくさんの物語だって、弟のために覚えたと言っていたではないか。
眠りに落ちる寸前に、王はいつも思う。明日には彼女を帰そう、と。だけれど彼女は必ず言う。
「続きはまた明日」
王妃を家に帰そうと思った明日を約束されて、彼女の言葉にあやされるように、王はその明日のために彼女を帰す日を先延ばしてしまうのだった。
そうして、いつの間にか千の夜が過ぎた。
***
千と一夜目の物語を王妃が語り終わった時だった。
「続きはまた……」
「「ねーちん!」」
「え…!」
寝台に並んで腰かけて、王に物語を語っていたその寝間に、突進するような勢いで突っ込んでくる小さな影が二つ。それから、その後ろで可笑しそうにそれを見ながらゆっくり入ってくる影が一つ。
突っ込んできた影は、何もかにもに目もくれず、王妃…朋香に抱きついた。
「ねーちんどこ行ってたの」
「お仕事だったの」
口々に言う二人は、しかし朋香が面倒を見てきた二人よりもずっと成長していて、彼女はふとこの王の横にいた時間の長さを思った。
「……弟さん?」
呟くように、置いていかれていた幸村が言ったら、それに応えたのはゆっくり入ってきた大きな影の方だった。
「そう。小坂田さんの弟だ。ずいぶん長いこと小坂田さんを独占してくれたね」
うら若き王、と付け足して笑ったのは、彼女をずっと前にこの王宮に連れてきた乾だった。……彼の目論見通り、朋香はその王の欠落を埋めた。そうして、千と一つの夜が過ぎたのだった。
「ずいぶん長いこと」という一言に、幸村もまた、その長い長い日々を思った。朋香がこの王宮に来て、3年近くが経とうとしていたのだから。
「確かに潮時だね。朋香ちゃん、このお話は弟さんたちに聞かせてあげて」
長い間ごめん、と、息をつくように彼は言った。そうしたら、盛大に笑ったのは乾だった。
「蓮二の言う通りの王だな。さて困ったな。小坂田さんは追い返されてしまうのか」
「さっきから何なんだ!追い返すつもりじゃない。俺は初めから朋香ちゃんを帰そうと……!大体君は…!」
「俺かい?俺は、小坂田さんの嫁入り道具と、それから小坂田さんのご両親に許可をいただいた弟たちを王宮に連れてきただけだが」
「は…?」
「え…?」
乾の言葉に、幸村と朋香は思わず固まってしまう。そうしたら、乾は朋香に向き直った。
「小坂田家の御両親は、弟たちも一緒に住むという条件付きだが君が立海の王に嫁ぐことを了承済みだよ。弟たちがずいぶん心配していたからそういう条件付きだけれどね。だがまあ、王が君を追い返すと言うなら、仕方がないから帰ろうか。残念だな。君が立海の王と一緒にいるうちに、うちの王子に嫁いだ竜崎さんからもたくさん嫁入り道具が届いているっていうのに」
ぺらぺらと嘯いた乾に、朋香は目をむく。それは隣の幸村も一緒だった。
「じゃあ、帰ろうか」
隠し切れない含み笑いを湛えて乾が言って、申し訳程度に朋香の方に手を伸ばす。はっと朋香の手を取ったのは幸村が先だった。
「待って」
口からこぼれた懇願は、ずっと願っていたものだった。だけれど、ずっと口にすることをためらってきた言葉。『また明日』と彼女が言ったその明日を願うことを、どうか許してほしいと、王は願う。
「朋香ちゃんは、それでもここにいてくれる?嫌だったら俺を引っ叩いて帰っていい。だって俺は、君といるのが幸せなばかりで、君をこんなに長くこの王宮に引き留めたんだから。誰の言うことも関係ない。君の思いが聴きたい」
「幸村さん…私…」
「俺は、ずっとここにいてほしい」
幸村の真剣な眼差しに、朋香は泣き出しそうな気持になった。
初めは、ただただこの苦しそうな王を見ているのが辛かった。もう誰にも裏切られたくないと訴える彼の瞳を、少しでも和らげることが出来たら、と思った。それはやわらかに変化していく。朋香の語る話を聴いて、幸せそうに眠る彼の顔、そして、日毎に明るくなっていく王と、それに歓喜するように活気づく王宮。官も、侍女も、兵も、王が元の明るさを取り戻すのに喜びを隠せなかった。
それは、朋香も一緒だった。いつの間にか、彼の幸せそうな顔を見るのが嬉しくなって、もっともっと幸村を喜ばせたいと思った。そして、彼が語ってくれるようになった国のことや、彼の友人のことを聴くのが、何よりも楽しくなっていった。
美しい宝石も、華やかな衣装もいらない。
ただ、彼が喜んでくれれば、それだけで嬉しくなってしまう自分の心に名前を付けるとしたらそれは『恋』だ。一国の王に恋をする自らが、だけれど朋香は怖かった。その王は、その傷のためにどうしたって自らを拒むのではないだろうかと思ったから。怖かったから、夜毎『続きはまた明日』と言った。先延ばしにしてきたのは朋香も一緒だった。
「私、幸村さんと一緒にいたいです。もし、幸村さんが許してくれるなら」
ゆっくりと、朋香は言った。その手を取った幸村の体温が流れ込んでくる。
「許しを請うのは、俺の方だよ」
王は笑った。とても、幸せそうに。
その千と一つの夜が明けたら、うら若き王妃は、王后として王に迎えられた。
王と后の千と一つの物語、続きはまた明日。
サーサーン朝説話集『千夜一夜物語』