君は王子様
「やってらんねえべや」
「北園さん、素が出てる」
隣に座る女子社員に言われて、寿葉はあからさまに顔をしかめた。
「私、何か言ってた?」
「方言出てたよ。気持ち分かるけどさあ」
そう言われて、寿葉はすぐにそのしかめっ面を完璧な営業スマイルにすり替える。郷里の言葉も、もう標準語にカスタマイズされていた。
「アポくらい取ってから来いって話だよね」
「そうね。もう少しマシな言い訳考えて欲しいわ」
隣の社員も、口ではそう言いながらも顔はもう完璧な営業スマイルだ。この会社の受付の社員は、徹底的な教育をされていた。今でこそ寿葉と彼女の二人だが、女子社員だけではないのが特徴で、課に関係なく一度は配属される。伝統的な会社という一方で、「老舗旅館か!」とツッコみたいのが寿葉の本音でもあるが、実を言えば今日担当の寿葉はその中でも特別である。
「分かってはいたのよ」
営業スマイルのままで寿葉はつぶやいた。
今日、突然秘書課から長らくやっていなかった受付業務に回されたのは訳のないことではなった。
もともと大きな会社であるが、新技術開発で今月は業績が右肩上がりの状態、それに伴ってアポイントメントのない結構厄介な来客が増えていた。技術提携という名のハイエナレベルの来客のリストアップが寿葉の主な任務だった。撃退とリストの作成なんて、並大抵の社員ではできないということで突然召集されたわけだが、寿葉としては「私の有給返せ」である。上司に頭を下げられたらさすがに断れないのだけれど、と思いながらもため息をつく。
「大変だったでしょ。旅行、だよね?」
「いいの。どうせ女二人の旅行だもの」
小さく返してそれから、その旅行の相手である杏に、なんて言い訳しようかなと思いながら、寿葉は次の来客に見覚えがあるか自分の脳をスキャンした。
*
「どうせさあ、王子様なんていねえんだべ。もういい、オラ、普通の結婚!普通の!」
そう言うと同時にグサッとフォークが刺さった洒落たサラダのレタスに寿葉は顔をしかめた。隣のミニトマトを狙ったのにレタスだけにフォークが刺さるとはこれ如何に。
「私かなり惨めだわ」
「言っちゃだめよ寿葉。あとその前に素が出てたから杏お姉さんちょっとフォローできない」
「お姉さんじゃなくて私もアンタももうおばさんよ!」
今度こそグサッとミニトマトにフォークを突き刺して、一瞬してやったりという顔をしてから寿葉は大きくため息をついた。
「なんで私は婚約直前で捨てられるんですかね」
「器量が良すぎる?」
「んでそんなのが理由になっし。おがしいべ!」
訛りを隠そうともしなくなった寿葉が、付き合っている男に振られる理由は非常にシンプルである。「完璧すぎる」だ。しかも、ルックスも仕事もいい寿葉が、更に完璧に家事もデートも気遣いもこなすから、途中まではほとんど上手くいくのだ。だが、それはいつもなぜか破綻する。
「弱みを見せたら‘イメージと違った’って言うくせに、完璧にしたら‘かわいくない’ってなんなの?男ってどういう生き物が好きなの?」
もう世界が信じられない、と壮大なことを言いながらミニトマトを口に運んだ寿葉に、杏はコーヒーを一口飲む。
「どっか行く?ハロウィンの週なら空けられるけど」
「そうだ、旅に出よう」
提案にふざけたように返した寿葉だったが、それが杏にとって最大限の優しさだと知っていた。結婚を控えた彼女はこれから忙しくなる。女二人旅も当分できないだろうなと思ったから、寿葉は必死にハロウィン周辺のスケジュールを頭の中で確認した。
*
「杏になんて言い訳すっぺ」
隣の社員が席をはずしたところで、寿葉はぼんやりと呟いた。今週から有休をとって出掛けるはずだった旅行には、行けなくなってしまった。
午後、時間をずらして昼食だが、人の入りは少ない。
「結婚の前祝増やすが」
言っていて、さりげなく学生時代からの知り合いと結婚する杏が羨ましすぎて寿葉はため息をついた。その時だった。
「あの、すみません」
日本人離れした、というか、そういう外見の優男に声を掛けられて寿葉の意識は受付業務に引き戻される。
「跡部さんに会いたいんですが」
「は?」
来客への定型句を告げる前に、焦ったようなその銀髪の優男が最高取締役の名前を軽々と言ってきたことに、さすがの寿葉も間抜けな声しか出せなかった。年齢は自分と同じか少し下くらい、ベンチャー企業の若社長か何かだろうか、と寿葉は推測する。いくらなんでもアポも何もなしに突然取締役に会わせろと言う猛者には、流石の寿葉も未だ出会ったことがなかったから未知との遭遇だった。
しかし、未知との遭遇も、百戦錬磨の彼女は起業したての若者という判断で処理した。
(圧倒的世間知らずか)
そう思って、寿葉は彼をしげしげと眺める。もうそこまでの余裕が出ていた。
……相手もしげしげとこちらを見ていることに少々おかしなものを感じたが。
よく見れば長身のイケメンで、髪の色も染めているわけではない自然さがある。お坊ちゃまなんだろうかと寿葉は思い、どうやって撃退しようかと思案を巡らせる。
「申し訳ありませんが、アポイントメントは?」
「へっ!?あ、あの、そういうんじゃないっていうか!」
突然声を掛けたわけではないのに飛び上がって、それから本当に困ったように受付カウンターに手をついて彼は言う。今日の午前中業務をしてみて、普通の迷惑な来客が増えただけだと思っていたが、実際こういう来客があると、あの部長でも悲鳴を上げたくなるのも納得だな、なんて寿葉は思った。
「俺、社員証飛行機に忘れたみたいで!」
何を言っているんだ、と寿葉は一瞬顔が引きつるのを感じたが、すぐに営業スマイルを取り戻して切り返した。
「申し訳ありませんが、お客様の社員証は当社ではお使いいただけないかと」
「嘘でしょう!?」
すみません、嘘でしょうと叫びたいのは私です、当たり前のこと言わないでください、と言いたい気持ちをどう表現したらいいか、と思っていたその時だった。
「なんだ、鳳じゃないか」
「日吉、社員証変わったの?ほんと?それとも俺クビなの?」
「部長?」
通りかかった総務の若い部長、それこそ取締役に帝王学を学ばされているが、自分と同年代の彼を寿葉は呼んだ。……今週の有給をつぶした張本人を。
「あれ、北園さん言ってませんでしたっけ?今週コイツ帰ってくるから受付業務に」
「聞いてねえど、日吉」
「あれ、俺言ってなかったか?」
「厄介な客が来るからってアンタ言ったわよね」
如何に相手が出世頭でも、同年代で一緒に研修した仲でもあって、遠慮はあまりない相手だったから強く出たが、日吉は数舜考え込んで、それから「ああ!」と思い出したように言った。
「あれですね、他の人に‘イギリス支社長来るから’って言ったら対応断られたから、北園さんに嘘ついて回したんだった」
「おい」
「まあ厄介な客であることに違いはないので最終的には嘘じゃないだろ」
敬語と丁寧語と砕けた口調が煮崩れ気味の日吉に、寿葉は社員教育を施すべきだ、と現実逃避気味に考えた。
すみません、すみません、と自分の前で言っているイギリス支社長を自分が追い返そうとしていた現実からの逃避に。
*
「鳳支社長、もういいですから」
鳳、という名前だと分かったイギリス支社長からの‘攻勢’に、晴れて秘書課に戻ったが、ついでのごとく鳳の日本滞在中の限定秘書に任命された寿葉は大きく息をついて言った。
「でも、俺が社員証持ってれば北園さんがあんなに迷惑することはなかったはずなので、その!あと有給つぶしたのも俺みたいなもんなので!今日本いっぱい売ってるし!」
彼が来てから一週間で、寿葉のデスクは見事なまでに黒とオレンジに彩られた。
出かけるはずだったハロウィンをまたぐ週であったために、お菓子も雑貨もどれもハロウィンの物ばかりがどんどん彼女のデスクには増えていく。お詫びにしては尋常じゃない量の物を毎日受け取っているなと寿葉は思いながら、書類を一束持ちデスクから立つ。
「日吉部長に届けてきますので」
「あ、あの!」
捨てられた大型犬がすがる風情だが、寿葉はつかつかとデスクを立った。
*
「北園さん、鳳のプロポーズ断ってるってマジですか」
「は?」
書類を渡した途端に日吉に言われたそれに寿葉は本当に意味が分からなくなった。
「え、なんか鳳に泣きつかれたんだけど」
「や、ちょっと意味分がんねべ」
素で返した寿葉に、日吉はちらっと周りに人がいないのを確かめてから、それでもちょいちょいと顔を寄せるように手で示した。仕方なくそれに従ったら日吉は言う。
「鳳、北園さんに惚れてる」
「いや、会って一週間」
「一目惚れ。本人からプロポーズしてるって聞いたんですが」
「ハロウィングッズはイギリスだとプロポーズなの?」
「……鳳そういうの苦手だから」
日吉は日吉で鳳の背中を押したいらしく、何とかしようとしていたが、寿葉は寿葉で普通に返答しているつもりだったが、脳の方は軽く容量オーバーを起こしていた。
「千載一遇のチャンスじゃないのか」
「でも、」
「鳳完璧超人だから多分今までの理由では捨てられないかと」
「誰から!?」
「橘」
即答した日吉に何を言い返そうかと思った時だった。
「北園さん!」
柔らかいながらも切羽詰まった声が寿葉を呼んだ。
「その、あれ全部ブラフで!あ、でも嘘ってわけじゃないんです!」
王子様なんて待ってなかったのに。
まるで、今まで付き合ってきたのが全部上手くいかなかったのがこのせいみたいで。
「今晩食事に行きませんか?」
ハロウィンだし、と彼が続けたそれが嘘だということくらい、彼女にだって分かったけれど―――