祝祭の音

「トリックオアトリート!」

 元気な声がして、そう言われた大人は微笑んで彼らにお菓子を渡した。
 10月31日、ハロウィン。日本にも定着したハロウィンの行事に、今日、ミユキは友達と参加していた。子ども会と商店街の大人たちの合同で行われる毎年恒例のこの行事は、ミユキも大好きだ。……大好きだった。

「元気ないとね」
「そんなこと、ないっちゃ」

 ミユキの様子を気に留めた友人に無理をしてでも笑顔で返せば、そこは子供だ。彼らはお菓子と仮装の波の方へと行ってしまう。

「あーあ。ハロウィンかあ」

 ハロウィンじゃなくたって、仮に彼が東京にいたって、会えないのは分かっている。
 自分のような子供相手に、彼が会いたいなんて思うはずない、と思うくらいには、ミユキの思考は回っていた。
 でも、こうして遠い異国の行事に混ざっていると、そんなふうに遠い異国に行ってしまった彼のことばかり思い出す。
 持参した袋にはいっぱいのお菓子が詰まっていて、それがかえってミユキを悲しくさせた。
 彼、手塚国光が、U-17合宿から離脱して日本を発ったという知らせは、兄から伝え聞いた。本人からもメールが来ていたけれど、それは杏たちと応援のメッセージを送ったから、通り一遍の連絡でしかないとミユキは思っている。

「もう、会えない」

 お菓子のいっぱい入った袋を持って、彼女はぽつんとつぶやいた。つぶやきながら帰路につく。異国の行事は、もう終わりだった。
 外国、というのは小さい彼女にとってあまりにも遠い。
 彼との出会いはほんの少しの出来事だった。ほんの少しの期間、ほんの少しの出会い。だけれどそれは、二人にとってとても大きなものだった。
 そうして、それは同時に、ミユキに途轍もない差異を感じさせるものでもあった。年齢や立場ではない。そんな深くまで考えたわけではない。本州と九州、というだけだって、小さい彼女には途轍もない隔たりなのだ。いわんや、外国なんて、想像もつかないことだった。

『また会えるよね?』

 だから最後に交わしたメールのその問いは、無邪気に掛けられた問い、ではなかっただろう。「もう会えないよね」という確認を込めた、だけれどどこかに期待した問いだった。

『いつか会える』

 返ってきたそのメールに、ミユキは泣き出したくなった。
 追いかけるなんてできない。ミユキはまだ子供で、外国になんて行けない。その「いつか」という仮定が、彼女にはひどく重いものだった。
 その一方で、夢を追う手塚がうれしくて仕方ないのも事実だ。彼が抱えていた様々なものから抜け出して、夢に向かって進んでいく姿は、とてもうれしい。とてもまぶしい。

「ひどい女」

 つぶやきは夕暮れの空に紛れた。
 ひどい女、というのを、こういう時に使う言葉なのかどうか、ミユキは知らない。だけれど、自分はきっとひどい女なんだ、と袋からクッキーを一枚取り出してミユキは思った。
 応援しなければならないのに。進んでいく彼がうれしいのに。自分が会えなくなったから、残念だなんて思う自分は、きっとひどい女なんだ、とミユキは思った。
 そうしてそれから、「ひどい女」という言葉がどういう時に使われるのかも、本当は知らない自分、というものを思う。
 ハロウィンのお菓子がもらえるのは、きっと子供の特権だろう。
 だけれど、何も知らないのが、何もできないのが子供だったら、子供でなんかいたくない。
 ハロウィンなんて、遠い国のお祭り。
 彼なんて、遠い国のどこか。
 きっと、自分のことなんて忘れてしまったのだろうと思ったら、もらったお菓子が疎ましかった。子供じゃなかったら、追いかけることができた気がする。だけれど同時に、子供じゃなかったら追いかけたの?という問いがふと浮かんで、ミユキはぶんぶんと首を振った。





「ハロウィン、楽しかった?」

 いつの間にか家に帰りついていて、母に聞かれてミユキは「うん」とだけこたえる。お菓子の入った袋をポンと居間のテーブルに置いたら、母は不思議そうな顔をした。

「どうしたとね?ずいぶん落ち込んで。楽しくなかったと?」
「別に。お菓子、お母さんにあげる」

 そう言ったら、彼女は困ったように首をかしげて、それからミユキがお菓子を置いたテーブルの上にのった新聞の、さらに上に載せてある手紙と、脇に寄せてあった小包をミユキの方に寄せた。……どうやら、困っているのは彼女の不機嫌ゆえではないようだった。

「あんな、今日の昼にミユキに荷物が来たとよ」
「え?」
「ミユキに何か来るんなら杏ちゃんか桔平兄ちゃんだけど、名前違うし連絡もないし、ダイレクトメールかなんかかな、て思ったけど、発送元が外国なんよ」

 こんなこと、小学生の娘に言ったって解決にならないように、彼女も思っていただろう。だけれど、本人に心当たりがあるかもしれなくて、そうだとしたら携帯なりネットなり、制限しなければならない、なんて思うのが親の常だ。そういう色を滲ませたが、ミユキは驚いたようにその手紙をとって、そうしてそれから小包を見た。

「ほんとに、ウチに来たの?」

 呆然としたような声に、やっぱり怒らなくては、と母が思った瞬間に、ミユキは手紙と小包をひっつかんで、お菓子の袋を置きっぱなしにして、自分の部屋に向かって階段を駆け上がる。

「ちょっとミユキ!それどういう人なん!?」
「友達!」

 千里兄ちゃんと桔平兄ちゃんの、と続けようとして、続けたら負けたみたいだ、と思った。
 そうしてそれから、自分と彼が友達かどうか、ということすら、本当のところ分からないんだ、と思った。
 友達?知り合い?どちらも彼との関係や出来事を表すにはどうしたって足りない言葉のように思えた。





『ドイツにはハロウィンがないんだな。しらなかった。日本と同じ商売としてはいくらでもあるが、アメリカとヨーロッパにはハロウィンはどこにもあるものだと思っていたが、やはり行ってみないと分からないことは多い』

 エアメールに書かれたお堅い文章は、手塚国光という人物そのものみたいな文章で、ミユキは真剣にそれを読みながらもどこかおかしいような気分になっていた。どうやら、ハロウィンの何かを送ってきたらしいが、その下の文面に書いてあることに、ミユキは目を見張った。

『とつぜん日本をたってすまなかった。こちらにきてからなにかといそがしくて、手紙を書くひまもなかった』

 ミユキでも読めるようにだろう。所々平仮名で書かれたそれには、ミユキが思っていたような、冷たい内容はなかった。彼は自分のことを忘れていなかったんだ、と思ったら、帰り道とは違う涙がこみ上げた。

『ミユキは大事な人だから、もっと早く、きちんと手紙を出したかったが、おそくなってすまない』

 大事な人、という言葉が、ミユキの中にすとんと落ちた。
 友達じゃない、知り合いでもない、と思った先ほどの感情は「大事な人」というそれに言い換えれば奇麗に収まった。
 大事な人。思い出なんかじゃない。今でもそれは、互いにずっと大事な存在だった。そんな簡単なことで悩んでいたんだ、と思ったら、彼が言ってくれたそれはひどく優しかった。

『ハロウィンだから、かしを買ったが、日本のものよりどれもあまそうだ。口に合わなかったらすまない トリート・オア・トリート』

 添えられた一文は、堅物な彼なりのジョークなのだろうと思ったら、どうにも可笑しかった。
 小包を開ければ、食べきれないほどのカラフルなお菓子が詰まっていた。今日もらったどのお菓子にも感じられなかった幸せを、ミユキは感じる。

『ドイツはお前がくるには遠いから、休みになったらそちらに行こうと思う。よていが立ったらまたれんらくする。またそのうち 手塚国光』

 最後の一文に、ミユキは本当に泣き出したくなった。泣き出してしまわないように、お菓子の包みを開けて、チョコレートを一つ口に入れる。どうしようもなく甘い異国のそれは、だけれどかえって彼女の涙腺を緩ませた。
 彼が言った「いつか会える」という「いつか」なんて、ミユキは永遠に来ないと思っていた。だけれど彼は、その「いつか」が永遠に来ないなんて思ってはいなかった。そんなもの、作り出してしまえた。

「ウチは子供かもしれんけど」

 子供だから、追いつけないかもしれないけれど。
 外国になんて行けないかもしれないけれど。

「兄ちゃんの、大事な人でいていいの?」

 きっと彼は、「当たり前だろう」としか言わないだろう。
 そんな当たり前のことが、だけれど小さな彼女にはとても大きなことだった。

 10月31日。
 遠い国から祝祭の音楽が聞こえる。