輝夜姫
「しつこい男は嫌われるいうんを光の帝は知らんの!?」
友香里がきゃんと言ったら、その‘しつこい男’の使いである謙也はパッと耳をふさぐ。光の帝、なんて名前付きで呼び捨てにするあたりが友香里の気性の荒さを物語っていた。主上だとか、今上だとか、深窓の姫君でなくともそういうふうに呼ぶのが普通だし、そもそも帝からの使者をこんな風に怒鳴りつけるなんて普通ではない。
「そう言うてもな、友香里ちゃんもええ歳やんか。主上とやったらええやないの」
控えめに謙也が言ったら、怒り心頭という体の友香里はガッと几帳を蹴った。
「ちょ!」
倒れるまでは至らなかったが、十二単に身を包んだ友香里が謙也の視界に入るには十分で、そうしてそれから友香里はぺしっと扇を投げた。
「もう光の帝とは会わん。会えへんのやって言うとるやろ!」
投げつけられた檜扇には、光の帝への返事とそれに添えた藤の花が一房、それから紙包が結いつけてあった。
「それ持って帰ってや」
「友香里ちゃん、でもな、主上とはええ感じやったやんか」
檜扇を拾い上げながら、直衣姿の謙也は諭すように言う。
そうだ。友香里の態度が一変したのは、葉月に入ったころだった。
出会いは去年の皐月のころだったか。話を聞いたのは卯月の忌みが明けたころ。光の帝の異母弟にあたる兵部卿宮が光の帝の前で口の端に上らせたのが、友香里のことだった。
曰く、都の外れの屋敷に住まう翁と媼のもとに、たいそう美しい、まるでこの世のものとは思えぬ姫君がいる、ということだった。話はそれでは済まない。その噂を知った公達が幾人も彼女に求婚したが、その度に断られる。断っても引き下がらぬ者には、条件を出す。その条件というのがまたすさまじいもので、仏の御石の鉢だの、燕の産んだ子安貝だのと、この世にはおおよそ存在しないものばかりだったのだ。
『燕の巣に貝がなかったから「貝なし甲斐なし」などと言うたと笑いの種が付きませんわ』
兵部卿宮が笑いながら言うのを、光の帝は面白そうに聞いていて、そば近くに控えていた中将である謙也は気が気ではなかった。これは絶対見物に行くと言い出すと確信した。
『そら荒々しい姫君やないか。俺も見てみたいわ。ね、謙也さん』
にこおっと笑いかけられて、勘弁してくれやと思った謙也が兵部卿宮に視線を投げたら、彼はおかしげに笑った。
『中将殿がお付きなら、主上も無茶をなさいますまい』
体よく押し付けられたそれに、謙也はげんなりと息をついた。
*
そうして、狩りに行く帰りに屋敷をのぞいたのが去年の皐月頃だった。雨が降ったから雨宿りをさせてくれとか理由をつけた。実際、雨は降っていて、そもそも狩りなどできる日ではなかったのだから、初めから件の姫君を見ることが目的ではあったが。
『こんな雨の日に狩りかいな。筋金入りの阿呆やなあ』
几帳の向こうからかけられたその失礼な物言いに、しかし謙也は反駁できなかった。光の帝ですら言葉を失っている。外は夕暮れの雨空で薄暗いというのに、この屋敷はちっとも暗くないのだ。それどころか、ぼうっと明かりを帯びていて、それだけで不思議だったのだが、その怪の源が彼女だと二人はそこで知ったのだ。
几帳の向こうは、屋敷の明るさの比ではない。眩いばかりの銀色に満ちていて、そこに件の姫君がいる、となれば、そこにいる彼女がその銀を放っているのだと知れた。
『おもろい女』
『そらどうも』
光の帝がますます興味を得たように言ったら、その姫君、友香里はくいっと扇でもって几帳の布地を持ち上げる。
『へえ。ええ女やんけ』
『あんたもまあまあええ男やな』
几帳を彼女が開けたらその明かりは収まって、友香里が視界に入る。それで帝は、彼女がそれを自在に操れるのを覚った。
だがあえては、それを言わない。ただ面白い女だとは思った。
『あんたもウチを嫁にしたいんか?』
『や、別に。いっぺん顔見てみたい思ただけや。ま、あと二、三度見てやってもええ顔やけどな』
『おもろい男やな』
光の帝の洒落た言葉に、友香里は気を良くしたように笑った。
それから二人は意気投合したのだった。
*
そんなことをぼんやりと思い出しながら、屋敷から叩き出された謙也は扇に結いつけられた藤の花が萎れぬうちにと内裏へ急ぐ。
急ぎながら、結婚の話が出たから友香里の機嫌が悪くなったのだろうか、と思う。そう考えれば辻褄が合う。だが、実際に友香里の入内の話を出したのは家臣たちで、光の帝その人にそんな気はなかった。
『結婚したないから無理難題押し付けとった女、わざわざ入れることもないやろ』
彼はそう言ったが、それが優しさであることは間違いなくて、だからかえって友香里と帝の関係は良好に見えたのだが。
*
「なんや、これ」
謙也が届けた扇を、光は床に叩き付けた。藤の花の房がひらひらと崩れ落ちる。
手には返事と紙の包み。ただ事ではないその様子に、さすがの帝でも怒髪天を衝く内容でも書かれていたかと思って謙也が帝をうかがい見れば、彼は怒りではなく青ざめていた。
「え、どないしてん?」
「今、何刻や」
「はあ、申の刻の前かと存じますが」
それが何か、と兵部卿宮が言ったところで、光はもう立ち上がっていた。
*
「これ、どういうことや」
内裏から急いでももう夕刻を過ぎたその屋敷で、初めて会った日と同じように、友香里は几帳の影にいた。だが、普段と違うのはそれだけだった。二度目に会った時には、友香里はもう几帳の影に隠れるようなことをしなくなっていたから。
これ、と言って彼は彼女から届いた返事とそれから紙包を几帳の前に叩き付けた。
「しゃあないやん。あんたかて、ウチがこの世の女と違うのくらい、分かっとったやろ?」
「振られたほうがいくらかマシやで、こないばかげた冗談」
「冗談でも嘘でもないわ。もう今日の夜には帰らなあかん」
彼女の返した歌に添えられたふみには、「今晩月の使者が来て、私は月に帰らなければなりません。最近お会いしなかったのは、もう永遠にお会いできなくなるのにこれ以上あなた様のお顔を見て、未練が残るのがつらかった故です」とあった。まるで深窓の姫君のような丁寧なふみに、ひどく腹が立った。その内容に、ではない。まるで本当の貴族の姫のようなその書き方が、自分の知っている友香里とはまるで違って、それがどうしようもなく腹立たしかった。
だから、今の彼女に光は余計に腹が立った。友香里の態度は、帝に対するそれとは思えない、いつも通りの横柄なものだったから。
怒りに任せて、光はガッと几帳を押しやった。
「お前を変えてまうほど大事なもんなんか、その月の使者とかいうんは!」
几帳がなくなって、そこにいたのはいつもの友香里だった。ただその顔が驚きに彩られている。
「いっつもみたいにへらへらしとったらええやないか!そういう、俺のこと変なふうに祭り上げん女はお前しかおらんかったのに、なんで今更こんな真似する!なんで今更帰るなんて言う!」
叫ぶように、必死になって言って、光は友香里を抱き寄せた。
「うっさい女や言うたわ。がさつや言うたわ。やけど、好きでもない女に俺は声かけたりせん」
つぶやくように、絞り出すように言われたその言葉を腕の中で聴きながら、友香里は泣き出したい気持ちだった。
「知っとるわ、ド阿呆」
それは友香里も同じだった。この世の者ではないような友香里を、神のように、いや、人形のように扱わない男は、光一人だった。
身分なんて関係なかった。彼が帝だと知っても、ちっとも怖くなかった。悪態をつく彼は、きっと自分を着せ替え人形のように扱って終わりにすることなんてないだろうと思えた。だから友香里からだって悪態をつけた。
だが、葉月に入ったころのことだった。彼女はすべてを思い出してしまった。
自分が本当は月の住人で、だからどんな明りも自在に操れて、そうして葉月の満月には、月の主である兄が使者を使わすことになっていたのだ。
光にはもう会えないと思った。もう永遠に会えないと。
月に帰れる、と思うよりも先に、もう永遠に会えないと思った。思ったら、もう会わないでいたいと思った。会ってしまったら、もっと悲しくなると思ったから。
永遠に会えないのはつらくて、悲しいのに、帰らない、という選択肢が自分にはないことを友香里は分かっていた。彼女はこの世の人ではなかったのだから。
これが最後と思って届けた手紙は、今、押しやった几帳の下に散らばっている。その横に、無残に中身の飛び散った包みがあった。
「不死の薬なんぞ要らん。お前がおらんのに永遠に生きて何になる」
藤の花は不死の花だった。葉月。藤の花が咲いているはずがない季節。その薬で咲かせたというのなら、きっとそれは本当に不死をもたらす薬だったのだろう。
「お前が、ここにいてくれんのやったら、こないなのもの要らん」
「ウチ、は」
「帰るで、友香里」
そこに割って入るように、声がした。屋敷には屋根もある。しかしその男はそんなものすり抜けるように、屋根どころか天井すらすり抜けてゆっくりと光と友香里の前に降り立った。
「クーちゃん……使者がくるって言うてたのに……」
そこにいたのは、月の主にして友香里の兄である白石蔵ノ介だった。
「大和の帝か」
「そうですけど」
光は刷いていた太刀を抜こうとしたが固まったように身動きが取れない。かろうじて言葉は発することができたから応じたら、彼は笑った。
「妹の友香里が世話になったな。これは俺が月に連れて帰る。引き留めるんはまかりならんで」
「勝手や!そんなん!」
「俺に口ごたえするんか?」
「クーちゃん、やめてや!光の帝に何かしたら許さへんから!」
「友香里、これは人間や。お前が気に掛ける必要はあらへん」
それに光の思考は、怒りに、恐怖に、寂寞に囚われた。言葉を発することができる口で反駁しようとした時だった。
「光の帝は、光は!初めてウチのことを見てくれた人なんや!ウチは確かに月の住人や。けど!この世の者でないのを知っとっても変わらず接してくれた!ウチは!!」
叫ぶように言ったそれに、白石は妹がこんなにも感情を露わにすることがあっただろうか、と思い、一瞬言葉に詰まった。その隙を見逃さず、彼女は続けた。
「ウチは光が好きや!」
「友香里…」
それに感嘆のような、嬉しさのような声で彼女の名を呼んだのは光だった。
「月になんか、帰りたない!光と一緒にいたい!」
「友香里、せやけどお前は月の姫や。帰らなあかんし、この世に留まったら人の寿命で死んでまう」
「光と同じように人の寿命で死ねるなら、それの方がずっとええ!」
叫んだ友香里に、白石は額に手を当てた。
「ほんま、恋する乙女は違うなあ……そんで、光の帝とやら、お前はどうなんや」
「俺は友香里が好きです。俺を見てくれる友香里が本当に好きです」
そう言った光に、友香里に、白石はふっと笑んだ。
「友香里、おいで」
「嫌や!帰らん!」
「いいから」
抱き合っている二人を引きはがすように白石は友香里を引き寄せて、その額に手を当てた。ボウッと銀色の光が彼女の額から体全体に広がっていく。
「な、に…?」
「これでお前はもう人間や。もう月には帰られへん。それでもええな」
「クーちゃん?」
白石が微笑んで、光を振り返る。体はもう動いた。抜こうとした太刀に掛けていた手を離し、白石に一礼する。
「友香里のこと、月に連れ帰るのはやめる。こないに友香里が思う相手、月にはおらんからなあ。縁談がまとまらんもんで、俺がちょい怒ってもうて月から下界に下ろしたんやけど、友香里の心を開いてくれたお前に、友香里のこと頼む」
「じゃあ、クーちゃんええの?」
友香里の問いに振り返って白石はやはり笑う。
「もちろん。今日のはなしや。ああ、帝。俺はもう友香里と会えんくなるから、友香里のこと、幸せにしてやってや。できんかったらこの都を滅ぼして、お前を殺して、もう一度友香里を月の者にして連れ帰るさかい」
「当たり前でしょ」
「じゃ、友香里のことよろしゅう」
「はい」
応じたら、白石はふわりと浮きあがる。そうしてまた天井を、屋敷をすり抜けて天へと帰っていった。
*
「光!これくれるんか!」
「ええ絹やろ。馬子にも衣裳言うからな」
「一・言・余・計・や!!!」
あの一件ののち、友香里は女御入内し、光の妻となった。
光の帝は後宮に友香里以外の女御を入れず、だから彼女が皇后となった。
「友香里、あんまどたどた騒ぐな。体に障る」
そんな皇后である友香里は、今、光の子供を身ごもっている。
「男皇子がええんやろなあ」
「どっちでもええわ。友香里似の娘ならそれも見たい」
それに友香里はうれしくなって微笑み、お腹をさする。
「御父上はどちらでもええそうや。元気に育ち」
「元気なややをみせてくれや、友香里」
「おん。光とウチのおやややからな」
そうして二人は、幸せに過ごした。
古来の習いにしたがって、ここは、めでたしめでたしといこうか。