気紛れ?それとも―――


黒猫


 志摩柔造にとって、宝生蝮は猫のような女だった。
 蛇だなんだと言ってはいるが、昔から猫のような女だと思っていた。
 気紛れに自分をからかって、遊びかけてくるくせに、気に食わないと爪を立てる。

「ま、それが可愛いんですけど」

 その姿が愛らしくて、いつもいつも売り言葉に買い言葉の喧嘩に応じてしまう自分は、そうやってじゃれついてくる猫と遊びたい子供なのだろうと思っていた。


 子供。
 子供なら、ではこの結果が許されるのかと彼は自問する。自問して、そうしてそんなことが許されるはずもないと自嘲する。
 未だ不浄王によってもたらされた魔障に苦しみ、横たわる蝮の熱を持った手を握りながら。





 幼馴染である互いと気紛れに喧嘩をするのも、言い合いをするのも、柔造と蝮にとって楽しい遊びだった。
 その遊びが、だけれど柔造だけが楽しいものになってしまったのは高校も半ばの頃だった。
 聖十字騎士團への入團を前提とした、特殊な高校生活の中ごろ、蝮は明陀を裏切ることを決意した。

「曲がりなりにも、それを後押ししたのは俺で」

 眠っている蝮に聞こえないことを分かっていながら、柔造はぽつんと呟いた。
 あの日、あの夕暮れに、もし蝮の焦燥を、不安を、形骸化した言葉や考えで遮らずに、共に考えることを選んでいたなら、きっと彼女がこんなふうに明陀を裏切ることはなかったのだと今更のように彼は思う。
 曲がりなりにも、彼女の裏切りという選択の背中を押したのは自分だと、彼は思う。
 どうして、いつまでも同じでいられると思ったのだろう。

「なんでやろなあ」

 泣き出したいのはきっと蝮の方だと知っているのに、ツウと水滴が自身の頬を伝うのを柔造は感じた。

「変わらんと、なんで思ってたんやろなあ。いや、変わらんかったらええと思ってた。どこかで、期待してた。騎士團に入ったかて、祓魔師になったかて、俺とお前の関係はなんにも変わらんって期待してた。そんなはず、ないのに」

 きっと、自分の方がずっとずっと子供だった。気紛れにじゃれついて、気紛れに爪を立てて、そんな子供のような、子猫のような気紛れに、嘆息していたのは間違いなく蝮だ。

「無責任な男やなあ、俺は」

 彼女が猫みたいだなんて嘘だ。
 本当に何も知らない、無知な猫だったのは自分の方だと知っている。

「何一つ、蝮のこと分かっとらんかったのに」

 そうだというのに、今からこの手を取って、もう一度やり直して、一緒に歩もうとしている己に、彼女は失望するだろうと思っていた。それでも、己の思いを誤魔化すことは出来なかった。だけれど、結婚という我儘を、彼女は受け容れてくれた。

「柔造」

 薄らと目を開けた蝮に呼ばれて、彼はハッと目を見開いた。

「泣いてるんか」

 気遣わしげな優しい声がする。
 ああ、我儘も、無知も、何もかも受け容れてくれる彼女が愛おしい。だから自身の弱さを彼は叱咤する。

「あてが泣かせたの?」
「そんこと、あるわけないやろ」

 まるで猫を撫でるように、その頬を伝う滴を彼女のほっそりした白い手がなぞる。
 その手を、彼は握った。布団の中で握っていた時と同じように、熱を持ったその手が痛ましい。

「なあ、蝮」
「なあに?」
「一緒におってな」

 じゃれつくように彼はその頬にある彼女の手に擦り寄った。
 そうしたら、くすぐったそうに蝮は笑った。

「当たり前のこと、言わんでよ」


 嗚呼、かつてのように、共に歩くことが出来るのだろうか。
 共に歩いて、共に笑って。
 そんな日々を、きっと。


「きっとお前に渡すから。幸せを、渡すから」


 それはまるで、幸福を運ぶ黒猫のように。




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柔蝮で黒猫