恐怖を超越し、他者を支配すること。
 例えばそれを生きることの意味として定義した時に、私はそれを達成したと考える。
 なぜそれを目標ではなく「意味」と定義するのか。

「私は生まれながらの支配者ではないし、恐怖を確かに持っていた」

 だからそこに到達することを意味としなければ立てない程に弱く、そうして意味としなければそれを保ち続けられない程に脆い。

「ジョナサン……いや、ジョジョ。羨ましいよ」

 だが妬ましくはなかった。嫉妬ではなく純粋に羨ましいと思っていたのは何故だろうな。

「馬鹿馬鹿しい」

 超越出来ない感情が人間のモノだとして、私は別段それをどうとも思わない。
 ただ一点、正義と邪悪を切り分けるお前のことは『嫌い』だった。
 切り分けることが出来るお前のことが嫌いだったのだろうか。だが、同じ様に正邪を糺せるジョースター家の承太郎には何も思わないどころか、むしろ好感さえ持てる。

「何故だろうな。これを執着と呼ぶのなら」

 或いは引き返そうとも思わないが、そう考えながらカイロの通りで空条承太郎に相対しても、お前を憎むように彼に何かを思えないのは――

「まるで抜け落ちたディスクのように」





 写真を見る度に、父親のようにはなりたくないと何故か思った。
 会ったこともないし、そもそも知らない相手なのに。というよりもなんで写真を持っているんだ、ということもあったし、後生大事にそれを持っている自分のことも分からなくなりそうだったのに。
 写真をくれたのは母だった。とんでもない人ではあったし、というか特段の思い入れもないどころか、僕も母に疎まれていたし……疎まれて、で済む話じゃあないんだが。
 それにしたっておかしいと思うのは、彼女に疎まれる原因になった僕が出来ても、それからいくら遊び歩いても、再婚相手が出来ても、結局のところこの「DIO」という僕の父親から彼女の心が離れることがなかったことだった。
 子供が出来たら自由がなくなる、とまで言ってのけて僕を放置したにも関わらず、そうまでなってもその相手に逆らわなかったそれは、今思えば僕の父にはそういう何かがあったのだろう。

「そういう何か、か」

 DIOという人にあったのは、それでもたぶん夢や希望じゃあない。それは分かる。

 だけれど、そうなりたいと思った。思ってしまう何かがあった。断片的に知り得る限り、どうしようもない、ともすれば母や義父以上のクズにも思えるそのDIOという自分の実父は、だが何がしかのカリスマが……。

「いや、違う。そうではない気がする。父にあるのはカリスマではなくて、もっと」

 どうして今更それを言語化しようと思うのだろう、と思ったが、どうにかしなくては、と思ってしまえば止まらない。
 自分が子供だから? それとも自分が彼の子供だから?

「カリスマ、救世主。そうじゃあない」

 もっと深く、突き刺さるような、それはある意味で僕が求めていたような何か。

「依存性のある何か、かもしれない」

 そう思ったら少し背筋が冷えた。結局自分もそうかもしれない、と。父から継いだ力と言いながら、父のことを考えてきたそれは、覚悟と希望と言いながら、結局満たされるその感覚は。

 誰かに承認されること、誰かに認められること、誰かに必要とされること。

「たとえば、本当にたとえばですけどね、父さんに必要とされるまでいかなくとも、あなたと関わると何故か満たされるような感覚がする依存性の高い存在なんだとしたら」

 あり得るかもしれない、とその古ぼけた写真を見て思った。

「それがあなたの望んだ姿かは、さすがに知りませんけど」




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正反対な共依存
2025/1/4