見えない世界
「ああ、花京院か」
この足音、このどうにも神経質そうな動き。妙に懐かしい。館の中でも、外に出ても、隠しているつもりだったのだろうが、いつもいつも苛立っているように見せて、見捨てられるのに怯えているだけだったその音。
「『法皇の緑』は出していないのか。そうか、舐められたものだな……」
それもどうにも煩わしい。それなら早いところ潰してしまおう。隣は……ポルナレフと言ったか。あまり関わったことはないな。
そう思って指先を操り、花京院の顔面、その両の目をしっかりと縦断するように切込を入れる。
「おれのように目を喪ってくれ。ここで殺すのは少し癪だ。君は……お前はおれと同じがいい。自分で死ぬかそうでなければあの方に殺されて、絶望の中で逝ってほしい」
裏切りへの憎しみ? その行いへの償い?
――違う。
「あの方に見捨てられ、殺されることだけは怖い。そう思っていたんじゃあないのか、花京院典明?」
おれと同じだと思っていたんだが、さて、どこまでいけるか見ものだな。
*
「恐怖を、乗り越える?」
見えない世界の中でぼんやりと考える。
ンドゥールにぼくを殺す気はなかった。そうだ、あの時気が付いてなかったのではない。ぼくは彼のスタンドも能力も知らなかった。だが、彼のことは知っていた。
『恐怖? そんなものはわたしにはなかったな。他人を殺す恐怖も、それで誰かに咎められることも怖くはなかった』
そもそも、と目が見えない筈なのにこちらを見据えた彼は言った。
『自分自身の力に特段恐怖したことがなかったんだ。DIO様に出会うまで。だが出会ってしまってからは違った。この力を失うことが怖いというのも副次的なものだ。この力がなくなれば、あの方に必要とされなくなる。今はただそれが怖い。それがたぶん、おれがこの世で初めて感じた恐怖かな』
『意味が、分かりません』
『意味か。君はDIO様が怖いという。だがおれは自分自身になんの価値も見出していなかったのに、それを見つけてくださった、必要としてくださったDIO様に見捨てられること……いや、必要とされなくなることだけは怖いんだ。それを恐怖と呼ぶのだと知った』
静かな彼の言葉に吐き気がした。胃液がせり上がる感覚と、背中が粟立つ冷たさ。だがそれは嫌悪から来る吐き気ではない。むしろそれは、純粋な恐怖から来る、純粋な怖気から来る吐き気だ。
『同じだろう? もしも初めてスタンドという能力を認められ、初めて友達と認められ、初めて安心というものを手に入れたなら、君はあの方に見捨てられることをただ恐怖している』
男は笑った。静かに、だがどこか悲しむように。
「ああ、そうか。だからか」
あの時、ぼくの目を裂いたのはンドゥールだったと後になって聞いた。9栄神のことと自分の名、その情報だけを言い、それ以上は『DIOの不利益になる』と自害したンドゥールに、あの承太郎でさえ感嘆した、と聞いたが、それを些かも不思議に思わない自分自身がどうにも薄情に思えて、まだ包帯に覆われ、外界から隔絶された目に手をやる。
「ンドゥール、あなたは恐怖を乗り越えた訳じゃあない」
あなたは恐怖のあまり死を選んだ。
「あの方を喪う恐怖のあまり、死を選んだ。それならばぼくにも選べと言うのだろうね、あの時語ったように」
だからこの目に刻み付けたのが、致命傷ではなくてこれなのか。
あなたの……貴様のように見えない世界で、ぼくはぼく自身の恐怖の源泉に向き合うしかないのだろうか。
ぼくはぼくの孤独が怖い。ぼくはぼく自身が怖い。ぼくはぼくの『友達』が怖かった訳ではない。だから。
「DIO、DIO様。お前は……あなたは……ぼくの……わたしの――恐怖の源泉なんかじゃあないですよ、別に」
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鏡合わせ
2025/1/15