所有

「所有するというのは、その存在を傷つけないようにしながらその自立性を否定することである。所有とは被所有物を否定しつつ生き永らえさせる。(中略)他者とは殺害の誘惑をかき立てられる唯一の存在である。殺したい、しかし殺すことが出来ない。」(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』より)

「所有、という行動というよりは概念、感覚から私の思考回路はだいぶ乖離していると言っていいだろうな」

 ぐっと首を絞める手に力を籠められて息が詰まった。小さく掠れた呼吸音が自分のものだと認識できるより前に、その手が離されて、大きく呼吸が戻ってきたが、酸素が脳に回るより前に、音声としての言葉は認識される。

「他者に関して感じる衝動や、性欲? そういうものが私の中で帰結するのは『支配』。そういう感覚しか相手に抱いたことがないから、相手の存在を『所有』する必要がないんだ、これが。出ていくなら勝手に出ていけとしか思わない、と言うと支配の概念からも外れていると思うかもしれないが、所有物は傷つけないように、かつ存続させようと思うだろう? だが一度支配した場合はどうでもよくなる」

 例えば、と彼は言ってもう一度首に手を掛けられた。今度は絞めるのではなくて、長い爪が首筋を掻いてそのまま血が出ているのだと分かっているのに、反論の一つも出てこないのは、だが恐怖からではないと分かっているから自分のことながら性質が悪い。

「そうさな、だから別段その支配した相手が侵犯不可侵の他者であると私は考えていないんだよ。一度手に入れた時点で、な」

 そう言ってその傷口に口づけられて血をすすられたら妙に……いや、正統だろう。当たり前のこととして『嬉しくなって』笑いが出た。……僕は狂っているのかもしれない。

「じゃあ、君と出会ったあの日に僕は所有だのなんだの、そういう生ぬるい何かではなくて、友達でも主従でも何でもなく、単純に支配された、と考えていいということですね?」
「この状況で笑いながら言うと気がふれているように思われるからやめた方がいいぞ」

 可笑しくなって笑いながら言っているこちらの事情など承知の上だろうにそう言ってきたDIOにますます笑いが止まらなくなる。

「質問に答えてくれませんか?」
「支配されたと自分で嬉しそうに語りながら偉そうなんだよ。だがまあ、お前のことは支配したと思っていたから、空条承太郎やジョセフ・ジョースターの方に寝返ろうとどうでも良かった」

 そう言われれば、自分の最期が恐ろしいまでに彼のその支配の概念を歪めたのだと気づいてやっぱり笑ってしまう。

「そうだというのに、君は僕を殺した。僕は君に支配されながら殺されて死んだ。不可侵の他者ではなく、支配下の一部をあなたは殺した」

 そう言ったらDIOは大きくため息をついて、それからもう一度首の傷から血をすすって、そうしてこちらに口づけてきた。

「しょっぱい」

「血なんてそんなもんだろ……お前、今そうとうにヤバイ顔をしているから自覚を持った方がいいぞ」
「へぇ、どんなですか?」
「私に殺されたことを幸せに思っているとかそういう顔」
「自覚も何も事実ですから」

 そう答えたら苦虫をかみつぶしたような顔をされた後に彼はもう一度ため息をついた。

「確かに、一度支配したものを結果的に壊したのはお前が初めてだったかもな」
「壊してしまえばそれは支配でも所有でもなくなるんです、哲学論文の定義上ね」

 そう言って彼に手を伸ばしたら触れた手はそのまま引き寄せられて、引っぱたかれた。

「何するんだ!」
「夢の見過ぎだこのアホが、と言いたいところだが、夢というよりも今時仏文を取って浮かれた結果がこれと思うと頭痛がするな、さすが花京院だ。これが哲学? 解釈の間違いにもほどがありすぎて聞いていられん。ちなみにこれは哲学者の記述ではあったが内容は哲学ではない。最低限の言語読解力があれば憐れな貴様に教授してやらんこともないが……」
「言いすぎだ……馬鹿にしすぎだッ!」

 つらつらとそう言い立てるDIOに叫んだところで、引っぱたいていた手に今度は引き込まれるようにしてそのまままたベッドに転がされた。今度は彼も横になっていたから引き倒された、ということなんだろう。

「頭痛がするから寝るぞ。だいたいお前のせいだ」
「だからッ!」
「ああ、所有にも支配にも、それらには前段階がある」
「……は?」

 もう半分寝ているような状態で、彼は言った。薄く開いた瞳が一瞬赤く見えた気がして、これはいつ、どこでの出来事だったろう、と無意味なことを考えた。

「それを『欲しい』と思うことだ、花京院」

 彼はそう言って目を閉じた。
 ……その欲求のままに彼から手に入れられて、支配されて殺されて、2世紀ほどが経った後のことだから、もうずいぶんと長いこと彼の傍にいる気がする。
 だから。

「お好きにしてください、DIO様」




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所有することと支配することについて。そういった欲望や何やらについて「支配」と一言書かれていたわりに花京院のことは殺したよなー、とふと思って書きました。
冒頭の引用はエマニュエル・レヴィナスの「困難な自由」の内田樹氏の邦訳より。
2025/2/20