「妹姫が鬼を見るというのは本当ですか」

 宿直の番が一緒に当たった若い公達に言われて、橘桔平は扇で口許を覆ってそれからそれをぱちりと鳴らしてその男を睥睨した。

「隠し立てしようとも噂は立つな」
「いえ、そういうわけでは」

 傍流とはいえ名のある家の総領にそのように冷たい目をされてはたまらぬというように、好奇心だけでその問いを掛けた公達は困ったように笑って見せた。そうしたら、彼はふと笑う。

「見鬼など、珍しくもないだろう?」





「災難だったな、橘」
「そう思うなら蒸し返さないでくれるか、柳」

 次の日の殿上で、昨日の何某に泣きつかれたのだろう橘の知り合いの柳蓮二はくすくす笑いながら橘に声を掛けた。曰く「妹姫のことでお悩みかな」と。

「まあ、悩んでなどおるまいな」
「どうだろうな。杏が鬼を見るのは別段昔からそうだし、どうだっていいんだが、あんな噂じゃ行き遅れる」
「橘家の益にならんか?」
「俺は一向に構わんよ、次の当主は俺なのだし。ただ尼寺にというのもなんというか、な。可哀想だろ、若いんだし」

 苦く笑った橘に柳も少し笑う。

「しかし鬼を見るのを抜きにしても気性の激しい姫という印象だな」
「あー…お前会ったことあったな」

 他家の姫に会うこと自体が珍しいことなのだが、柳は橘の妹に会ったことがあった。橘家で行われた宴の時だ。もう三月は前のことだった。

『その公達はなに?』
『なにっていうかお前、せめて几帳をだな』

 公の宴が終わり、橘と同年代の公達が屋敷の一室で談笑していたところだった。そこに現れたのはうら若い姫だった。羽織るのは小袿で、単衣でもないそれは直前まで行われていた宴に参加していないことを示してさえいた。そもそも女がよその男に顔を見せることなど滅多にないことなのだが、その姫―――橘の妹である杏は扇をその殿上人のうちの一人に向けた。

『変なものをうちに上げないで、兄さん』
『杏!無礼だろう!』

 その言葉に答えることもせず、杏はふいとその扇で顔を覆ってその部屋から去っていった。

「あの時は本当に…お前には悪いことをしたと思っている」

 苦々しげに橘が言うのも仕方ない。その時に扇で示され、『変なもの』呼ばわりされたのは柳その人だったからだ。

「案外そうかもしれないぞ、橘。俺は妹姫には鬼に見えてたりしてな」

 笑いながら柳が言えば、橘は苦笑した。

「怖いことを言うなよ」









「また来たの、蓮二さん」

 燈台の明かりがゆらりと彼女の部屋の御簾に影を映して、それで彼女はそちらにちらりと一瞥をくれて呟くように言った。

「杏、兄上がお困りの様だぞ」

 可笑しげに笑いながらその男は影の中から現れた。

「陰陽寮は無能の集まりね、こんな鬼に兄さんより高い官位があるのに気が付きもしないなんて!」
「正確には鬼ではないんだがな」
「半神でしょう、見れば分かるわ。でも私には鬼と同じよ」

 ……三か月前、彼女は屋敷の中に人ならざる人が入り込んだのを感じていた。それは妖や鬼のようではないが明らかに人とは違っていて、そうしていつまで経っても帰らないその気配に、杏はそれが屋敷にとどまっていることに気が付いた。

『兄さんってほんっと馬鹿!』

 がつがつと踏みつけるように渡殿を歩いて、彼女は兄の私室に向かった。聞こえてくるのは公達と思われる若い男たちの声だ。

『その公達はなに?』
『なにっていうかお前、せめて几帳をだな』

 そこに居たのは鬼や妖とはやはり違った。違ったが、やはり完全な人ではない。

(半分は人、半分…神様?鬼神か何か?)

 じっとそこに居た公達―――柳蓮二を睨みつけて、それから杏は言った。

『変なものをうちに上げないで、兄さん』
『杏!無礼だろう!』

 兄の言葉を無視して、薄らと笑ったその男をもう一度睨みつけ、杏はその場を後にした。

 それから三か月、その半人半神はしょっちゅう影を出入りして杏の部屋に入り浸っている。当然だが、彼女の兄はそのようなことは知りもしない。

「見鬼の妹姫のことが噂になりすぎると貰い手がいなくなるとか言っていたかな」
「何?また誰かにからかわれたの?」
「そのようだな」

 杏がパチリと扇を鳴らせば運ばれてきたのは酒器だった。杏に飲酒の趣味はないが、誰か兄にも知られず通ってきている公達がいるのだと勘違いしている杏付の女房は部屋の中を見ることもなく酒を持ってくる。部屋の中を確認したところで、そこにいるのは普通に見たら橘の友人でしかないから何もないと言えばそうなのだけれど。

「悪いな」
「悪いと思うなら来なければいいじゃない」
「相変わらず冷たいんだな」

 そう言いながらも酒を勧める杏に笑って柳はその杯を空けた。

「時に杏」
「何?もう蓮二さんの我が物顔にも慣れたからいいけど」

 酒を呷りながら実に普通の会話、という体で他家の姫を呼び捨てるあたりが大変に貴族らしくない、などと杏は考えながら一応釘を刺しつつ応えれば、柳は杏を見つめた。

「その力、必要か?」
「見鬼のこと?勝手に見えるんだからしょうがないでしょう?」

 貴方だって、と続ければ、柳はふむとうなずいた。

「例えばだな、人のために役立ててみたりとかそういうのはないか?」
「はあ?無能の陰陽寮に手を貸したりしたくないわよ?」
「そうか。では話を変えよう。杏は結婚とかはどうなんだ?通ってくる男とかいないのか」
「そりゃ…いればうれしいけど…噂結構広まってるし、そもそも噂だって嘘じゃないし…」

 歯切れ悪く杏が言って俯けば、ふむと柳はもう一度うなずいた。

「分かった。邪魔をしたな」
「え、もう帰るの?」
「ああ。いろいろあるんでな」

 ひょいと影に紛れた柳に、杏はポカンとするばかりだった。









「未だに何かの間違いなんじゃないかと思うんだが」
「でも本当ですわ、桔平様!杏様の寝所にわたくし何度もささを運びましたもの!杏様にここ三月、夜に呼ばれることが多かったのですわ!杏様はささなど召しあがらないもの!!」

 杏付の女房のその証言に、彼女の兄は本気で頭を抱えた。なかなかの機会ではあるが、それはそれ、これはこれ、話が別である。
 杏に通ってくる男がいたなどということを彼は知らなかったし、そもそもその当人からそれを知らされるという体たらくだ。その当人、柳蓮二から知らされるなど―――





「はあ!?」
「だから君と俺が結婚することになったと言っている」
「だから蓮二さん別に私に通ってたわけじゃないでしょ!?」

 あり得ない!と叫んで杏は扇を投げつけた。

「何が悲しゅうて鬼の嫁!?」
「鬼嫁か、ある意味似合っているな」
「からかわないで!!」




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鬼柳3個目。誕生日要素がないんですがそんな感じで柳さん今年もおめでとう。(フライング)

2016/6/3