「漁獲量、生産量ともに減少し続け、捕獲や養殖に多くが限界を感じ始めた昨今の日本に於いて、半合法的にこの鰻を食べることを許された今日!」
「現状をそこまで理解してるなら、うな重食べたいとか言わないでくれます!?」
ハッピーエンドによろしく
そう言ってパンっとリコが叩いたのは、チェーン店の牛丼屋の、安っぽいカウンターだ。
インターハイは目前。
だがしかし、学校の夏休みと夏休みとは名ばかりの夏期講習が始まって、講習後の部活動は案外きつきつだった。それもそうだろう。新設三年目、ということは、今年の誠凛バスケ部の主体は三年生で、それは取りも直さず受験生だ。講習の内容だってハードだし、疎かにすることもできなかった。
さらに言えば、出場を決めたインターハイの開催地まで今年は移動距離がかなりある。慣れない移動による疲労は避けられそうになく、ちょっとしたイレギュラーが発生する可能性が高いとみた彼女にとって、そこまで疲労を蓄積せずに、チームの最終調整を行う、というのが最大の課題だった。リコにとっては、自らの手腕が問われる夏期講習開始からインターハイ開催までの短くも長い期間だった。
「まあええやん。お兄さんの奢りでうなぎ食べられると思ったら安いもんやろ」
「バカにしてるの」
そんな言葉、どこ吹く風という風情でパキッと割り箸を割った今吉の前には、牛丼店なのに特製うな重というひどく珍妙な品物が置かれた。しかし、リコの前に置かれたのはうなぎ茶漬けで、今日の世の中がうなぎ一色に染まっていることを物語っていた。
「それでも結局うなぎを食べる相田さんであった」
「変なナレーション入れないでくれます?夕飯に牛丼食べるほどがっついてないの。豚肉ってほどでもないし、ここで定食頼んだら本気で夕飯食べてるみたいでしょ」
「それは本気の夕飯を牛丼屋で済ます苦学生への当て擦りですかあ」
「奢ってくれるわりにイヤですね」
応酬ののち、リコも割り箸を割る。割り箸、牛丼、土用丑。全体的に旧時代然としている、と現実逃避めいたことを考えながら。
「この忙しいときに待ち伏せってどうですか、人として」
割り箸を割ったそばから、彼女は丼に付属のお茶をかけてしまう。レンゲで食べた方が良さそうだ、と思ったら、どうにもこうにも不毛だった。
「この忙しいときに待ち伏せに掛る相田さんがどうなん?選手帰して一人体育館の鍵を持って初戦のフォーメーション作成」
「なんで知ってるのよ」
「なんでもお見通しやったりする訳ですわ」
「……ストーカー?」
「ひどっ!!」
そう言い合いながら、今吉は安っぽい輸入品と思われるうなぎで作られたうな重を丁寧に箸でつまむ。リコはリコで、こうなったらやけっぱちだ、と言わんばかりにうなぎ茶漬けをレンゲで掬った。家に帰ったら、多分父である景虎がうなぎを買ってきているだろう。多分国産の高いやつ。だから、うなぎ茶漬けくらいさらっとしたもので充分だった。
「今吉さんって、うな重好きでしたよね」
「お!知っとるってことは相田さん実はワシのことが好」
「違います。延々とメールで好物だの趣味だの送りつけられたからです」
「即答ヒドイ」
そう言いながら、さらさらと彼女はお茶漬けを食べる。ミニサイズにしたのも良かった。猛暑の体育館で監督をして、その後も一人で雑務をこなしていたら、お腹も空くというもので、ちょっとした腹ふたぎになった。
「インターハイ、目前やね」
「そう、ですね」
丁寧に食べつつ、今吉が言った。リコは、それにどう返答すべきか迷う。今吉は昨年のウィンターカップから猛アタックをしてきたが、それも新年度が始まる頃からは鳴りを潜め、今吉の誕生日の一週間後に偶然ばったり会ってしまったきりだった。その後も、今日まで会っていなかったから、実を言えばリコ自身驚いている。だがそれもこれも、リコにとって最後の夏に私情を挟みたくないから、という理由だった。その配慮は、恋愛云々を除いて純粋に「スポーツマンだな」と思ったものだった。
それが、インターハイ直前にやってきたのはどういうことだろうという、疑問とも不安ともつかない想いが過ぎって、返答に窮してしまった。
「んー?「今更どうしたの?」って顔しとるな。まあ、私情挟みたないのは変わっとらんよ。やけど、ここまできたら私情もなにもないやろ。インハイの出場は決まっとるしもう日もあらへん。私情挟んでも挟まんでもなんもないんやし。それより、相田さんが一人で無理しとる方が心配で、誘ったワケ」
「……心配?」
「日の長い夏や言うても夜道を一人で帰るのは危険やし、部員帰して一人で体育館でいろいろ考えるのも、熱中症とか危ないやろ?」
その一言に、リコはちょっと隣に座る今吉を振り返った。その視線は、肚が読めないのもあるし、それでいて優しげなものもあったから、彼女の視線はうな重を食べる彼の横顔にくぎ付けになった。
「ん?」
彼女の視線にちょっと振り返った今吉に、リコはなんだか頬に熱が集まるのを感じて、さっと視線をそらすとうなぎ茶漬けをかっ込んだ。品がないな、なんて、やっぱり現実逃避めいたことを考えながら。
「お!ちょっと可愛い相田さん発見!」
今吉はうな重をやっぱり丁寧に食べながらその合間で戯言とも本気とも取れることを言ったので、リコは余計に恥ずかしくなってしまう。
「気にしないでください」
「気にするわ。やって」
その次の言葉を、彼女は予想できてしまって、何とかしてそれを回避しようとした。でも、もう間に合いそうにない。
「やってワシは相田さんが好きやから」
言われてしまって、リコは、あああ!とレンゲを持ったまま顔を覆ってうめいた。夕暮れの牛丼屋なんて、サラリーマンのたまり場で、女性どころか女子高生なんかがいるのは珍しいものだから自然と今吉以外の客の視線も集まって、リコは余計に恥ずかしくなって、やっぱり品なくうなぎ茶漬けをかっ込んだ。
言われたくなかった。言わせたくなかった。
あんなにつっけんどんに彼の好意を撥ね退けて、半年以上が経つというのに、彼はまだ「好きや」なんて浮ついたことが言えるのだ。その耐久性、というか、執着心というか、そういうものは‘嫌なこと’と分類するのが難しい気もしてきた時期がある。そんな時期を経て、新年度から会わない、連絡も取らない、という時期が重なったら、その気持ちたちはどうしたらいいのか分からずにぐるぐる回転した。
ぐるぐる回転して仕方ないその思考に、たった一言『好き』と伝える彼のことを、どうしたって振り返れなかった。それでも、同じくらい振り返らずには居られなかった。
「今吉さんといると、調子狂います」
ざわめくその気持ちに反して、だけれど心は少しだけ上向いた。確かに、ここのところ部活に大会に受験にと、自分が先行きのためにどれだけ足元ばかりを見ていたかに気がついたから。
バスケット、ということを考えれば、今吉からの心配は、正しく敵に塩を送られる、という体ではあったが、この塩は受け取っておいて多分正解だろう。
「そら、実は相田さんもワシのことが好きとかそういうイベントやないの?」
「ち が い ま す!」
「そんな全力で否定せんでも…」
傷つくわあなんて言っている彼のうな重も、彼女のお茶漬けも、気が付けばもうなくなっていた。
土用の丑の日。夕暮れだというのに外はまだ蒸し暑そうだ。
「そろそろ行こか?」
そう言って今吉は財布を出す。
「このくらい、出します」
「奢られる気でおったやん」
「でも……」
そう言ったら、彼は薄く笑った。酷薄でも、皮肉げな笑みでもない、どこか優しい笑み。
「応援込めて、な。分かっとると思うけど、誠凛やないで。いつも頑張っとる相田さんに応援込めて、土用のうなぎくらい奢るのが甲斐性っちゅうもんやろ?」
そう言われたので、冷房の利いた店内の中でも扉の開け閉めがあるからどこか生ぬるい風の入るレジで、リコは思わず笑ってしまった。いかにもスポーツの部活OBのくせに、彼女自身に対する純粋な評価は怠らないというのは、彼の「相田さんが好き」という気持ち以前に、どこか優しくて、そうしてどこか可笑しかった。
「彼氏でもないのに、甲斐性なんて可笑しいわ」
だから戯れに言い返す。そうしたら、彼は財布から千円札を2枚抜き取って笑う。
「そこはほら、ハッピーエンドに向けた前金っちゅうことで」
その一言がなんだかやっぱり可笑しくて、支払いを任せてしまって先に蒸し暑い外に躍り出たリコは、沈もうとしている夏の太陽に、ふふふと笑った。
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土用の丑の日!今吉の好物はうな重ということで
2013/07/22