舌先三寸


「好きや」

 自己の正当化の手段。

 真っ先に思いついたのは、そんなひどく歪な言葉だった。
 自己の正当化の手段として、愛の告白を用いるのを、彼は全く意に介さない。

 「65点」

 だから彼女はばっさりと評価を下す。そうしたら、彼はファミレスの薄っぺらいオレンジジュースをすすって、不満げに口を尖らせた。

「頬染めるとか、そういう初な反応がええな。あと、一応ポジティブにいくけど、65点分の加点はどこから来てるん?」
「え…顔?」
「ひどっ!」

 ひどすぎる。顔だけの評価で65点なんて。顔の点数にしろ、評価基準にしろ、ひどすぎる。
 そう思って、今吉は「ひどい、ひどい」と繰り返した。

「聞き飽きたんです」

 『好きだ』とか『愛している』とか。そういう言葉一つ一つ、聞き飽きてしまった。

「飽食の時代か…」
「馬鹿じゃないの」

 彼の戯言を一蹴して、リコはこれまた薄いコーヒーを飲んだ。

「舌先だけの男は嫌い」

 そう言ったら、今吉は酷薄に笑った。

「舌先以外があっても嫌いなくせに」

「分かっているじゃあないですか」

 彼女はそう言って、窓の外に目をやる。窓際の席だった。夕暮れ。街灯には明かりがつき、角をまがった車のヘッドライトが瞬間的に彼女の目を射ったので、リコは目を細めて視線を今吉に戻した。
 彼は相変わらず笑っていた。酷薄な笑い方がここまで似合う男を、私は多分知らない、と彼女は思うようにしていた。居ないのではなくて、知らないのだ。少なくとも、リコの頭の中ではそういうことになっている。
 ―――だが、彼以外を知っていたとして、それが何だろう。

「無意味よね」
「何が?」

 短い問い掛けに、リコは口を噤む。

 無意味。
 そう、口にしてしまってから、目の前の男に自分はなにを見ているのだろう、と彼女は疑問に思う。
 冬から、今に至るまで、ずっとずっと愛を囁き続けるこの男のおかげで、結局そろそろ三年生になろうかという春休みの間すら、リコに‘彼氏’という上等な物は出来なかった。元より作る気なんかさらさらないが、それでも、休みが重なるごとにやってくるこの舌先だけの男が、少し憎たらしいのは事実だった。

 最初はハンバーガーショップだった。
 別に何を意識したわけでもなく、「ハンバーガーで釣れるほど安くないわ」と言ってみたら、次の逢瀬はファミレスになった。畢竟、共にする時間は長くなった。ハンバーガーショップよりは長居しても不思議ではないというのはちょっとした誤算だ。

(と、いうより)

 どうして、毎度毎度、のこのこと指定されたファミレスに来ているのだろう?と思わないでもない。彼女自身、自分の行動基準が麻痺している気がしていた。

 自己の正当化の手段―――それは彼女も一緒だった。

 彼はいつも英単語帳のカバーを裏返して付けていて、傍から見れば、まるで読書をしているようだった。

 だが、こうしてやって来てしまう理由が、彼女には分かってもいた。それは、自分の中にある確信がそうさせるのだ、と。

(好きになったりしないわ)

 絶対に。

 だから、自己の正当化の手段として、彼と会うことにしている。
 彼を好きにならない限り、彼女の正当性は保たれる。

「今、相田さんが考えてること当てたろか?」

 相も変わらず笑いながら今吉が言うので、リコは、砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーをスプーンでかき混ぜた。

「どうぞ」
「『好きになったりしない』」
Yes
「ひど」

 当ててみせると言ったくせに、当たったら当たったで、今吉はやっぱりひどい、ひどいと繰り返す。本当に舌先ばかりの男だ。ひどい、なんて、一ミリも思っていないくせに。

「お腹いっぱいなんです、レンアイだの、コイだの、アイだの」

 そう言って、リコは彼が注文したチョコレートパフェを、呆れたふうにながめた。チョコレートパフェに、オレンジジュース。
 その人物とは、あまりにもそぐわない光景だったが、今吉が注文するものはいつも違っていた。そうしていつも、突拍子がなかった。
 ピザを食べていたこともあったし(結局食べきれなくて、呆れながらリコが二切れほど食べた)、安っぽいケーキを食べていたこともあった(「食べたいやろ?」との勧誘には少々閉口した)。今日はウェイトレスにチョコレートパフェ、と告げたので、彼女はげんなりしてしまった。 それについては

『なに頼んでもげんなりするわな、君』

 と、本日も苦笑と共にお小言じみた言葉をもらっているリコである。

「別腹って知っとる?」

 パフェの上にのせられたチョコレートアイスをスプーンに一口分掬って、今吉はずいっとそれをリコに差し出した。

「いりません」

 きっぱり断ったら、彼は笑った。今度は、先程のような酷薄な笑みではない。心底楽しそうに、笑った。そうして、その甘くてどうにかなりそうなアイスを口に含んで、やっぱり楽しげに笑った。


 ―――こうやって、差し出される『甘いもの』を食べたら、何か変わるのだろうか?


 残念ながら、その答えを彼女は持ち合わせてはいなかった。
 舌先三寸の甘い誘惑が、今日も冷たく彼女の脳裡に落ちた。




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絶対に好きにならないわ、と確信しているカントクと、絶対に好きにさせてみせるわ、と意気込んでいる今吉。両極端。

2012/12/4 ブログ掲載

2013/5/23