教員に、クリスマスなどない。


年忘れ


 12月の23日は、今年のウィンターカップの初戦だった。出場を決めたはいいが、悠長なことを言っていられないのが今年の私だった。
 今年は、担任なのだ、三年の。そもそも生徒が冬休みだろうと公務員たる教員は毎日元気に出勤日な訳だが、生徒相手の冬季講習がちょうど始まったのが12月の23日でそこからその講習終わりギリギリまでがウィンターカップだった。教員はそもそも出勤日だが、大学を目指すなら、休みだなどと言っていられないものだ。

「すみませんがよろしくお願いします」
「大丈夫ですよー。荒木先生のクラスはみんなまじめだから」

 出発前に進路指導主事と、志望大学別の講習担当教員に頭を下げて回った。それでどうなる訳ではないのは知っていたけれど、センター試験直前の一番大事な時期に学校を外す自分が、少しだけずるいような気がしていたから。

 三年生を担任に持つのは、今年が初めてのことだった。進学校だし、体育の教員だから、という点もあっただろうが、バスケ部の顧問に就任して以来、元々インターハイ、ウィンターカップとある程度の周期で出場していた部は、自画自賛ではないがほぼ毎年の出場が決まる様になった。そうなると、夏期講習や冬期講習といった受験に最も関わる部分に参画するのが難しくなって、三年生は、ということになっていたのだった。


『三年生を持ってみるのも経験ですよ』


 そう、年度初めに言われて、二年生まで担任していたクラスを持ち上がりで担当することになった時、私の中にあったのは二種類の不安だった。
 一つは、三年生の担任なんて自分に出来るのか、ということ。
 もう一つは、ああ、もしかしたら転勤かな、というもの。
  他の高校はどうでしょう、と去年の秋に校長から言われた。何ということはない教員評価と転勤伺いだったが、他の高校を引き合いに出されたのは初めてだった。評価が下がった訳ではなかったのは幸いだが。『内密ですが』と言われたが、バスケットの指導者としての評価が高まってきていて、他県の系列校から転勤の打診があったらしい。私が私立の教員だからこその、かつ系列校間だからこその打診だろう。公立の運動部人事はずいぶん前に廃案になった。
 それでも転勤はなかった。だけれど代わりのように春から三年生を持つことになった。
 三年生。
 大学受験という明確な意図をもった生徒に接するのは正直初めてだった……三年生の体育の授業にも出る。だけれど、その三年生たちにとって、体育はほとんど息抜きなのだ。推薦の内申点を気にするのはごく少数で、体育といえば羽を伸ばせる授業であって、授業中に他の教科のようなびりびりした感覚はなかった。
 さらに言えば、部活の三年生はほとんどがウィンターカップまで戦うスポーツ推薦組だったから、やっぱり受験生独特の感覚はなかった。
 だけれど、三年生の担任になれば、どうしたってHRや進路相談、進路説明などで大学受験というものに向き合う真剣な生徒たちに向き合わなければならなかった。びりびりしたそれは当然だろう。だって、それで将来が決まってしまうのだから。
 それを体験したら、三年生の担任を持つことは重要なことで、他の学校に行ってもきっと役に立つ、と思った。他の学校に行くことを、私はいつの間にか前提にしていた。





 ウィンターカップに参戦して、5日ほどで私たちバスケ部は秋田に戻った。生徒たちは部室でいろいろ言っていたから、私は‘お疲れ様’も‘良くやった’ももう言ったし、三年の送別会は卒業式の後だから、特段この部室に残っている理由もない彼らに言う。

「ほら、帰って休んで、勉強しろ」
「うわ、監督が先生みたいなこと言ってる」

 大会明けでテンションが高めな連中にそう言われて、いつも通り私が怒りだすシナリオを彼らは考えていたのだろう。だけれど、私の中に思い起こされるのは全く違うことだった。


『まさ子ちん、先生みたい』


 私は虚を衝かれた様に固まった。ヘラっとした男の顔。そして進路。
 進路、というものに、私が初めて真剣に向き合わせたのは、多分彼だった。
 彼。数年前に卒業した紫原敦という男子生徒。
 推薦だってどこからも来た。全日本が前提、プロリーグへ道筋を付ける…いろいろな打診があって、どれを選んだらいいのか、と聞かれた私は、真剣になって考えた。その道筋のどれもが彼が‘バスケットボール’を続ける前提の道だったのが嬉しかったのだ。
 先生みたい、と言われて思ったのは、怒りよりもこそばゆさだった。こんなふうに、一人の生徒に真剣に向き合う機会がある、というのが嬉しかった。そうして彼は今、プロのプレイヤーになった。
 そう思うと、その経験と、それから三年生を担任したことは、きっと私を次に進ませる何かなのだろうと思った。そう、思った。

「先生みたい、じゃなくて荒木先生だ!明日から勉強だぞ」

 そう言って私はロッカールームから、体育館から部員たちを追い出した。





 体は今でも言うことを聞いた。筋肉、バネ、手首のバランス。一瞬飛んで、軽くボールを放る。一瞬だけガタッとリングにぶつかって、だけれどそのシュートは綺麗とまでは言わないが、ちゃんと決まった。

「まだ、大丈夫」

 何が大丈夫なのか、そもそも何に対する不安なのか、分からないままに私は呟いた。ボールがコロコロとゴール下から転がっていく。
 現役の頃のように体は動かない。でも、現役の頃よりずっと後進の育成には長けてきた。その証左が転勤なら、それでいいじゃないか、と思った。

「ちょっと、一人遊び?」
「……は?」

 たった一人の冬の体育館、のはずだったのに、コロコロと転がったボールを片手でひょいっと持った男が、不服そうにこちらにそれを放った。スリーポイントなんかよりずっと遠くだったけれど、それは綺麗にリングに収まった。

「紫原…」
「まさ子ちん久しぶり。一年ぶりだね」

 先程までの不機嫌など感じさせないようにヘラっと紫原は笑った。成程、演技か、とこうも腐れ縁が続くと思ってしまうものだ。

「時間まだだろう」

 私は思わず左手首を見やる。それからふと、ボールで遊ぶために時計を外してバッグに入れたのを思い出した。

「まだだけど」

 紫原がリングを通って落ちたボールを拾おうとこちらに来る。時間。今日は、紫原が陽泉高校バスケ部に所属していた頃のメンバーの中でもとりわけ腐れ縁が続いてしまっている連中と忘年会である。私の大会の日程と出勤に合わせたらこんなに遅くなってしまったが、毎年彼らは気にする様子もなく集まっていて、それが嬉しかった。

「今日俺が車当番なんだよねー」
「ああ、福井からのメールに書いてあったな」
「だからまさ子ちん回収に来たの」

 飲むでしょ?と言われて、何と返答したらいいか分からなくなる。紫原が酒を飲むのは見たことがある。だけれど、彼が酒を飲まずに車を出す当番で、そうして私に‘飲むか’ということを聞く、というのは、彼がもう私の生徒ではないことをいやにはっきりさせた。

「それでも時間あるだろ」
「ん?アパート行ったらまさ子ちんの車なくてさ。学校かなって」

 それで私は自分の失策に気が付いた。大会から帰ってすぐに飲み会、というのも考えものだが、大会の間学校に置きっ放しだった車をいったんアパートに置いて、適当に着替えて、紫原に回収されなければならなかったのだ。車社会であるから仕方の無いことだが。

「悪い。車、学校に置いていく。屋根付きの場所借りられたから」

 長期になるから、ということで屋根付きのところに置かせてもらっていたが、一日くらいは目をつぶってもらえるだろう。

「大会終わって体育館なんて、青春だね」

 青春、と紫原に言われて、私はその言葉を反芻する。青春、と口の中で言ったら、もしかして第二の青春はここで終わるのかな、なんて思った。

「来年」

 そう思ったら、私は紫原が拾おうとしたボールを奪う様に拾い上げて、トンっとドリブルしてみた。

「うん?」
「来年は、忘年会に出られないかもしれない」
「まさ子ちんが?」
「そうだ」

 私があんまり鋭い手つきでドリブルを続けるから、ラフな格好だが紫原はふとディフェンスの構えを見せた。構えだけかもしれないけれど、相手はプロだぞ、と私は自嘲気味に思った。挑もうとしているなんて、と。
 プロへの道を、私は彼と一緒に模索した。そのことは嘘じゃないと言ってほしい。
 誰かに認めてほしい。
 認めてほしいくせに、認められたら青春が終わるなんてひどいことを言うんだ、私は。

「子供なんだよ、私は」
「そう?」

 シュッと抜こうとしたら左手を差し込まれる。予想の範疇。かわして距離を取る。距離を取ってもう一度ドリブルを安定させる。1on1みたいだった。

「流石に速いね」
「手を抜くな」

 それこそ子供の癇癪のように私は言った。手を抜くな。手を抜かなければ私なんて一捻りの彼の、プロへの道筋を一緒に模索したのが私であるはずがない、と今度は全く逆のことを思った。

「私なんかいなくても!」

 そう思ったら自棄になった私は、思いっきり叫んで、それからドリブルでゴール下に突っ込んで、無理な体勢からシュートを撃った。直前に自棄になった叫び声があったから、驚いた紫原はディフェンスも何もなくて、無理矢理のシュートはリングをがたがた言わせてそのリングに弾き飛ばされた。
 着地はやっぱり無理な体勢で、軽く足をひねった。ひどい話だ。だけれど、その痛みなんてどうだってよかった。

「私なんかいなくても、お前は絶対プロになれた!」

 ひどい八つ当たりだ。たまたま今年は受験生を見てきて、たまたま私にとっての受験生の原点が紫原で、たまたま今年の車当番が紫原だったから、私は思いっきり八つ当たりしていた。それを、彼なら受け取ってくれるなんて思わない。そんなこと期待してはいない。

「まさ子ちんが一緒に悩んでくれなかったらさ」

 だけれど、彼は静かに言った。ボールは彼に拾い上げられて、彼の手の内でくるくると回っている。くるくると回って、それから、私なんかのシュートよりもずっと綺麗に放られて、リングをくぐった。

「俺、多分進路とか考えつかなかった」
「そんなことない」

 私がいなくても、どんな生徒たちも、自らの足で立って、歩いていくのだ、と思う。だから、私が三年生の担任をしようが、転勤しようが、そんなのはどうだっていいことなんだと、私は自棄になっていた。

「あるよ」

 だけれどあくまでも静かに、そうして優しく紫原は言った。

「まさ子ちんはさ、間違いなく俺の先生だったよ」

 それがまるで、餞の言葉みたいで、私は泣き出したくなった。私を私に立ち戻させるのが、彼だったのが、ひどく暖かで、ひどく優しかった。

「青春してたんだよ」
「俺たちと一緒だね」
「だけど」

 私は、捻った右足を庇うように立った。そうしたら、紫原は自然な手つきで、まるでチームメイトを支える様に、私の腕を肩に掛けた。身長差がありすぎる、と思ったらどうしたって可笑しかった。

「私の青春は終わるんだよ、馬鹿」

 八つ当たりは続いて、馬鹿とまで言ってやったら、紫原はやっぱりヘラっと笑った。

「どっか行っちゃうの?」
「転勤するかもしれない」
「じゃあ、来年はそこの地酒が飲めるね」

 どこに転勤かなあー、と、気の抜けた声で紫原は言って、私たちは物寂しい体育館を後にしようとしていた。
 彼の言葉に、私はひどく救われた気分になった。続いていくんだ、と思った。それで終わりではなくて、私はどこに行ったってこうやってバスケットをする誰かと出会って、誰かを見送って、誰かに見送られる。そうやって、続いていくのだと、彼に示された気がした。

「居酒屋、見つけないとな」
「そうそう。バスケやってるやつってでかいからさ」
「お前ら全員入れても怒られなくて、地酒置いてる居酒屋な」

 ハードル高いな、と私は冗談めかして言った。彼は笑ってくれた。

「なあ」
「なに?」
「黙っててくれるか」
「いいよ。じゃ、このことは俺とまさ子ちんの秘密ってことで」

 秘密にしておこう。彼もきっと言わないだろう。
 彼らには、来年になったら言おう。
 来年まで、彼とこの秘密を共有できるそれだけで、私には十分だった。




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×というより+?紫荒はくっつくまではそんな気がします。
まさこはどうでもいいことをどうでもいいほど悩むんだと思います。そんなイメージ。

2013/12/19