をしていました


『お前、迷子?』
『違うもん!』

 少女は、大きな目にいっぱい涙をためながら、それがこぼれないように大きな声を上げた。

『迷子じゃ…ないもん!』

 隣にいるはずだった兄はどこにもいなくて、自分と同じくらいの年齢と思しき少年が顔を覗き込んでいた。

『探してやろうか?』
『…え?』
『だから、俺が探してやろうかって言ってんだよ!』

 少年はそう言って彼女の手を引いた。突然のことに彼女はたたらを踏んでしまう。

 そうして、手に持っていた風船を思わず手放してしまった。

 風船は見る見るうちに空高く舞い上がって、届きそうもなくなった。

『あ、ご、ごめん』

 猪突猛進に振る舞ってしまったことに、彼は少しだけ後悔の念をにじませたが、少女はそんなこと、どうでも良さそうだった。風船を放した手で、見ず知らずの少年の腕につかまって、それから俯いてしまう。

『わたし、やっぱり迷子?』

『………多分』

 多分、と言いながらも、それは分かり切ったことでもあった。

『お兄ちゃんにもう会えない?』

 そう言ってから、彼女は突然泣き出した。大声を上げるかと思ったが、健気なもので、泣き始めても泣くことを堪えるように肩を揺らして涙をこぼすだけだった。だがそれが、かえって痛々しくて、少年は縋りつく彼女の手を握った。

『そんなことない!見つけてやるから!』

 そう言って彼は、少女に自分の持っていた風船を手渡す。真っ青なそれは、彼女が先ほどまで持っていた赤い風船と同じもの。

『ほんとう?』
『うん。だから泣くな』
『………うん』

 必死になって目許をこすると、少女はちょっと笑って見せた。きっとまだ不安なのだろうけれど、それを見て少年は『よし』と言って手を引く。その時だった。

『杏!おった!あそこ!』

 二人が振り返ると、少年を先頭に、親子らしい三人がこちらに向かってくる。先頭の少年が走り込んできた。

『杏!ひとりになるなって言ったやろ!』
『お兄ちゃん!』

 少女は弾むように駆け出す。少年はそれを見て、ニッと笑うと、さっと駈け出した。

『お兄ちゃんいたよ!あ…れ…?』

 少女が振り返った時、彼はもうそこにいなかった。






 その手に握られた風船の色が、青く変わったこと以外に、なんの痕跡も残さずに、少年は走り去った。

「ねえ、桃城くん」
「なんだよ?」

 二人でやってきたそこで、杏は追憶に囚われる。風船を配るピエロの前で、小さな女の子が赤い風船をもらっていた。

「なんでも、ないよ」

 ―初恋の話をしたら、彼は怒るだろうか。困るだろうか。

 だけれど、それを初恋と呼べるかどうかだって、本当は分からないのだ。
 ヒーローは、一瞬だけ杏の前に現れて、気が付いたらいなくなっていた。

「変だぞ、お前……そうだ」

 彼は少しだけ心配そうな顔をしてから、悪戯を思いついたように笑った。

「ちょっと待ってろ」
「え?」

 そう言い置いて、彼はすたすたとピエロに近づいていく。子供たちにまじって、彼が受け取ったのは、真っ青な風船だった。

「やるよ」

 ニッと笑って、彼はそれを彼女に差し出した。杏は、虚を衝かれたように彼と風船を何度も見遣る。それは、赤でも、ピンクでもなくて、真っ青な、あの日もらった風船と変わらない色をしていた。


君に、をしていました




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桃ちゃん誕生日おめでとう。という訳で第一弾は桃杏でした。40.5巻が桃ちゃんは小学校が九州だったと言うので。テーマパークですれ違うという九州時代でした。

2012/7/23