をしていました


 煙草に火をつけて、それからそれを吸い込む。
 それは、相も変わらず乾燥していて、苦くて、乾いた笑いが漏れた。

「永遠を、夢想したことはあるか」

 紫煙と共に問を吐き出したら、それはひどくあやふやな言葉に思えた。

 永遠―そんなもの存在しない。
 夢想―夢見た世界はいつも歪だった。

  代わりに『現実』は差し迫って、押し迫って、目の前に現れる。
 例えば、放置してきた書類の束。例えば、解析の済んでいない膨大な事物。例えば、見覚えのある顔の連ねられた回覧物。
 直接関与せずとも、起こってしまった、過ぎ去ってしまった事案は平面になって、しかし波のように彼を呑みこもうとする。
 その中から一枚紙きれを摘んでひらりと顔の前にかざした。やはりそれは「見覚えのある」写真の貼られた書類だった。

「死神が、嫌い…ね」

 もう一息、彼は煙草を吸う。多分、彼女は煙草も嫌いなのだろう、と思いながら。煙草の乾いた煙の中に、泥から這い上がる花の、水を含んだ香りがする。そう思ったら、緩やかな眠気が落ちてきた。

(何一つ消えなかった―この花ですら)

 思考は、眠気の狭間で散り散りになる花弁に紛れた。






「こん…あ…こん…!阿近!」
「……あ?」

 掠れた剣呑な声に、その少女は臆することもなく面倒そうに指先から短くなった煙草を奪って灰皿に押しつけた。

「良い御身分やな。ここ、寝煙草で燃えても知らんで」

 彼はまだ安定しない思考の中で、彼女を見た。色素の薄い髪、雀斑、鋭い八重歯。

「ああ、お前か」

 そうして彼は、当たり前のことのようにそう言った。感動の再会、なんて、そこにはなかった。だって―

「変わらないな」

 驚いたような顔をしてこちらを見ている彼女の、勝気そうな視線も、霊圧も、姿形も、何もかもが変わっていないのを、彼は知っていた。
 失ったのは、変わったのは、己の方だ。


 ずっと考えていた。


 夢の中の彼女は、永遠に変わらないのに。


 それならばなぜ、彼女は離れていくのだろうと。花の香りが夢を見せるたびに、何故彼女は遠ざかっていくのだろうと。
 そうして気が付いた。彼女が遠ざかっていくのではない。己が、緩やかに、そして確実に、遠ざかっているだけなのだと。
 手を伸ばしたら、彼女は少しだけ躊躇うふうを見せたが、結局彼の指先は彼女の肌に達した。するりとその頬を撫でて、それから彼は皮肉げに笑う。その指先から伝わる温度すら、変わらないのだ。
 代わりに、頬に触れる柔らかかった彼の指は堅くなった。

「なんや?うちがひっさびさに会いに来てやったのが嬉しすぎておかしゅうなったか?」

 彼女は不敵に笑ってそんなことを言った。その笑みが、昔と寸分たがわぬことを、彼は知っている。


 死神が嫌いでも
 誰に裏切られても
 世界に絶望してすら


 彼女は変わらなかった。裏切った己を前にしてすら。そう思ったら、薄めようとした過去の日々が、引き攣れたような痛みを齎した。


 変わってしまった数々の事物が、いくつもいくつも、降り懸かってくる。彼女は、変わらずにそこにいるのに、どうしてか、もう戻れないことが解っている気がした。


 だけれど
 それでも




 泥から這い上がるように咲く花弁を、何枚散らしても、散らしても、過去は薄れなかった。


 貴女のために散らした華の数を、俺は覚えている―


貴女に、をしていました




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安定的に女々しい阿近さんと、変わらないひよ里ちゃん。「戻れない」のではなくて「戻ろうとしない」のです。
蓮の花は安逸を齎さなかった、という。Lotus・Eaterより。

2012/7/27