一抹
彼の広い背中に額を押しつける。彼は小さな寝息を立てていて、ああ、まだ夜は明けないのだ、と私は実感する。そろそろと彼を抱きしめている腕を動かして、彼がそこにいることを確かめる。
その瞬間に、私はいつも一抹の不安を覚える。この腕の中から、私の隣から、彼が、何も言わずにいなくなってしまうのではないだろうか、と。こんなに近くにいるのに、0距離で、私は不安を覚える。―ゼロ?違う。私たちの間には確実に皮膚があり、筋肉があり、内臓があり、骨がある。その全てが、私から彼を奪おうとしている気がしてしまう。
全部を知ろうなんて思わない。
全部を知れるなんて思わない。
全部を知りたいとも思わない。
だけれど不安はどんどん大きくなる。そうして、どうして起きてくれないの?と、八つ当たりめいた思考が落ちて、私は寝ている彼をぎゅっと抱きしめる。
そうしたら、規則正しかった彼の寝息が一瞬揺らいで、寝起きの掠れた声がした。
「やめなさい、杏」
苦しい、と彼は掠れた声で続けて、私の腕を振りほどくとぐるんと寝返りを打った。そうしたら、目の前に彼の顔がきて、そうしてそのまま、今度は彼の腕が私を抱きしめる。
……午前二時の不安。