よ
ようするに、何もなかったのだ。
あの日、熊本を発つ空港のゲートで、千里さんが来るんじゃないかな、なんて思ったけれど、彼は怪我をしていたし、兄とのこともあるし、来るはずがないのも分かっていた。
要するに、私たちの‘恋愛ごっこ’はごく自然に始まって、ごく自然に何もないまま消滅した。
そのうちに、私は彼を千歳さん、と呼ぶようになって、何もなかったのだ、という思いが空虚に落ちた。
「よ!元気しとったか」
全国大会の決勝のあとで、会場外の自販機に行ったら、千歳さんがいた。本当に、今までのことが全部なかったみたいに、彼は私にごくごく自然に声を掛けた。私が‘橘杏’だと気が付いたということくらいしか、私たちの関係を表す要素はないくらいに。
「元気だったわ」
何もなかったわ、という言葉が喉まで出かかって、私はその苦い苦い言葉の粒を飲み込んだ。
さようなら、私の初恋