夜来風雨声


 私はぱちりと目を覚ます。
 窓の外はまだ真っ暗闇で、深夜くらいだろうと思われたが、目が覚めてしまった。―――すごい音。

 ゴロゴロという雷の音と、ザアザア降る雨の音。それからゴオーッという風の音。

 不浄王の一件以来、本調子でないからか、いろいろな音やら感覚やらに過敏になっている節があるな、と思って、私は眉をひそめた。
 隣の布団では、夫である柔造がいびきをかいている。それに、やっぱり大した音ではないのだろう、と思って、私は少々自嘲的な気分になった。
 だが、窓の外が気になる音ではある。家のどこかの窓を開けっ放しにしたりしていないだろうか、とか、そういうことを考えながら、彼を起こしては悪いので、私はそろそろと布団から抜け出すと、寝室の窓に近付いた。

「きゃっ!」

 近付いて、私は思わず悲鳴を上げてしまった。
 窓の外で、雷が光ったのだ。それから雷鳴が轟いて、心臓がばくばくいう。雷鳴は、すぐに聞こえて、だいぶ近い、とか、でもきっと落ちてはいない、なんて、意識の遠くの冷静な部分が考えたけれど、それとは関係なしに声が出てしまった。

「蝮!?どないした!」
「あ、いや、起こしてすまん」

 私の悲鳴に、いびきをかいて寝ていた柔造が飛び起きてしまった。

「なんでもあらへん。寝とってええよ」

 雷鳴と、起きてしまった夫とで、二乗で心臓のばくばくが止まらないでいたら、また雷が鳴った。

「きゃっ!」

 そうしたら、また悲鳴を上げてしまって、カーテンを閉めたら、起きた柔造が私のいる窓辺に来た。

「せやったな。蝮、ちっさい頃から雷苦手やったもんな」

 雨は好きやけど、と付け足すようにそう言って、彼は私を後ろから抱きしめる。毛布をかぶってて、二人羽織みたいな、てるてる坊主みたいな感じだった。

「起こしてすまん」

 抱きしめられているのは安心できて心地好いが、起こしてしまった申し訳なさが先に立って言ったら、彼はカラリと笑った。

「なん言うてん。眠れへん新妻ほっぽって寝とる方が、『すまん』やわ」
「そないなこと…ん」

 あらへん、と続けようとしたが、不意に彼に口づけられて、その続きは言えなかった。―――言わなくてもええ、という気遣いであるのはすぐに分かったから、私は赤面して俯いてしまう。

「俺ん布団来ぃ。一緒寝たら怖ないやろ?」

 そう言って、彼は私を抱え上げる。
 ぽすっと置かれた彼の布団は暖かくて、彼の仕事道具である香の香と、彼の匂いがした。もぞもぞしているうちに、彼も布団に入ってきて、私を正面から抱きしめる。

「どや?安心やろ」
「……うん」

 彼の体温が、拍動が、一つ一つ心地好くて、私はうとうとし始めた。
 こんなにも安心をくれる伴侶がいるのが、今更のように、嬉しいもんやな、と思った。
 だけれど、眠りかけの私の口から出てきたのは全然違う言葉だった。

「この雨やったら咲いとった花、散ってまうやろか」
「かもな」

 季節は初夏。
 だが、この雨風で、ちょうど咲きかけか、咲き終わりの花が散ってしまうように思われた。せっかく綺麗だったのに、と眠りの淵で私は思う。庭先にあったあの花の名前が分からないけれど、きっと散ってしまう。

「ちょっと残念かもしらん」

 この雨風で、どのくらいの花が散るかしらん、と、私は訳もないことを思った。

「来年また咲くよって。これも自然の理やな」

 だけれど、私を抱きしめる彼は、珍しく坊主みたいなことを言った。

 来年、また咲く。
 明日は多分、水を受けた木々が色めき立つ。
 全てには意味があって、総てには理由がある。
 それなら、彼の隣に私がいることにも、意味があるのだろうか、と、ふと問いたくなった。問答のように。坊主みたいな今の彼なら、答えてくれるかもしれない、と思ってから、答えなんて聴きたくない、と思った。

 それがなんだか可笑しくて、私はちょっと笑うと、彼の胸板に額を寄せた。

「また来年、花が咲くんを待って、二人でそれ見て、また来年、嵐がきたらあてをこうして抱きしめてくれる?」

 そうしたら、ひどく甘えた気持ちになって、私はそんなことを言う。確認しなくとも、知っていることのような気がしたのに、こうして口に出して確かめると、それはひどく浮ついているようでも、膨大な不安でもあるような気がした。ひどく、贅沢だ、と心のうちで思った。

「あったりまえやろ。俺の大事な嫁さんやからな。放したりせえへんから、覚悟しとき」

 だけれど、そんな私の不安も、浮つきも、一瞬で吹き消すような彼のカラリとした声が、ひどく嬉しくて、そうしたら、本当に眠たくなってきた。

「眠い……」
「ついててやるからゆっくり寝ぇや。おやすみ」
「……うん」

 私はもう眠りの淵にいた。彼の体温が心地好い。彼の心音を聴いていたら、雨風の音が遠ざかっていく。私の意識が、やわらかに世界から切り離されていくようだった。眠ってしまう時は、いつもこんなふうだった気がしたけれど、こんなにもやわらかに眠りに落ちることなんて、もうずいぶんなかった気がした。
 だから眠ってしまう前に、私と、彼自身を世界から切り離す男に、私も言った。





「おやすみ」




 目覚めるまでに花は散るかもしれないが、緑は濃くなるだろう、と、思いながら―――




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夜来風雨声
花落知多少

春暁(孟浩然)