探す


「うわっ!」

 どさどさっと派手な音がして、ファイルやらノートやらが棚から落ちてきた。

「カントク、大丈夫ですか」
「だいじょぶ、ごめんねー」
「どうしたんです?」

 たまたま部室に残っていた黒子が、背中を向けていたそこで起こったそれを振り返って、それからそれらを拾おうとしたので、リコはそれを制した。

「ごめん、ほこり付いちゃうからいいよ」
「いえ、別に構いませんが。それ、資料ですか?」

 リコが拾い上げたノートとファイルを黒子は不思議そうに見る。資料だとしても、今年の、という訳ではなさそうなほどほこりを被っていたからだった。

「ああ、うん。これ探してたの。ちょうど落ちてきたわね、いいことなんだか悪いことなんだか」

 やれやれ、というふうに言ったリコの手許を見て、黒子は、ああ、と納得した。

「去年の桐皇、ですか」

 すみません、と呟くように言った彼に、リコは二カッと笑った。

「なんで黒子くんが謝るのよ」
「でも…」
「もう帰んなさい。休息も大事な練習よ。ついでに、‘先のこと’を考えるのは私の役目よ」

 トンっと背中を叩いたら、黒子はその頼れる将に少し笑って、はいと応じた。





 ミスディレクションが効かない相手、とリコは黒子を帰した部室でぼんやり思った。
 地区予選は目前まで迫っている。当然だが、桐皇もそのカードに入っているのだった。昨年度のウィンターカップで、黒子が切り札を切ったために、今年の桐皇に彼の特性を生かして対抗することは出来ない。そうして桐皇は、それ無しの無策で勝てるほど甘い相手ではない。

「試合のスタイルそのものを支配する必要があるわね…黒子くんを抜く分ラン&ガンでスタミナを最後まで持たせられるか?スタミナ勝負は…」

 こちらに分があるか、とリコはノートに練習の比重を書きこんで考える。底なしのスタミナ、といえば、桐皇なら青峰、こちらなら火神。だが、全体でのある程度のスタミナ、となれば、多少は分があるかもしれなかった。
 そんなことを考えながらパラッと昨年の資料をめくったら、そこには忘れもしない三年生がいて、リコは盛大に顔をしかめた。

「今吉翔一…」

 資料の名前を読み取ったからか、それとも素でか、フルネームを呼び捨てたその相手は、黒子の特性を最初に破った男だった。同時に―――

「最近会ってないから。会いたいとか思ってないから」

 誰もいない部室で、リコは心底面倒そうに、それでいて言い訳めいた言葉を発した。
 そのウィンターカップの後から、今年度初めの学校が始まるギリギリまで、待ち伏せされたり、呼び出されたりしていた相手が彼だった。
 新年度が始まってからは、向こうも忙しいのか会っていない。会って、というか、付き纏われていない。僥倖である、と思いつつ、リコの中には疑念めいた、そうして恨みごとめいた感情があった。

「好きって何よ」

 その男は確かに「好きや」と散々っぱら言ったくせに、と思った。
  そうしてそれから、その資料の一点をふと見る。ふと見て、なんで選手の資料にこんなことまで書いておいてるんだろう、と自分の細かさを思いながら、彼女は何となく携帯に手を伸ばした。

「タイミングよね、あの人の強みって」

 画面に表示された日付と、資料に書きこまれた日付を見て、リコは大きくため息を吐いた。日付と共に見た時刻は、もう夕方の遅い時間を示していて、自分が部室に詰めていた時間の長さを思い知る。
 そうして―――今日は、今吉翔一の誕生日だった。





「どうも」
「いえいえー」
「…馬鹿にしてますね」
「ひどい…」

 どうもと言われたから返しただけやのにーと喚く大学生の頭を、リコは思いっきり叩きそうになって、それから手許にホットのコーヒーの載ったトレイがあることに気が付いた。

「気が付いて良かったわ」
「え?何に?」
「いえ。今吉さんの頭にコーヒーぶちまけるとこだったって話です」
「この子怖いわあ…」

 感動の再会やのに…と呟くように今吉は言ったが、リコは気にしたふうもなく向かいの席に座ってコーヒーの載ったトレイをテーブルに置いた。

「だって、私あまり感動してないもの」
「アカンわー倦怠期やー」

 ふざけて言った今吉の顔をリコは一瞥して言った。

「そうね」

 その返答に、今吉は困ったように笑った。

「怒っとるやろ」
「ただの我儘よ」

 コーヒーを一口飲んだリコに、今吉もブラックのコーヒーを一口飲んで応じる。リコの手許のコーヒーが、相変わらずブラックであることを確認したら、妙に可笑しかった。
 彼女は、彼と会う時にブラック以外のコーヒーを飲まなかった。それ以外、何を飲んだら彼が納得するのだろうと思うからだった。

「で、そんな我儘お姫様に呼び出された理由はなんやろね?」

 や、むっちゃ嬉しいねんけど、と続けた今吉の視線は相変わらずだというのにどこか違っていた。違っているのを、資料を見て彼女は知ることになったのだった。

「当たり前の事実に気が付いたんですよ」
「と言うと?」
「私は我儘で、あなたのことを拒んでおきながら、あなたが会いに来ないのはそれはそれで調子が狂うなって思っていたの」

 でも、と彼女は静かに続けた。

「あなたは対戦選手だったのよ」

 その一言に、今吉は納得したように頬杖をついて微笑んだ。

「そーいう義理堅いとこも好きやで」
「そういう頭の切れるところが嫌いよ」
「ひどっ!」

 今吉は可笑しそうに笑った。全て分かっている笑い方だった。
 会いに来られる筈がなかったのだ、と、今日、その学校の資料を探していてリコは思い至った。初めて思い至ったような気分でありながら、それは分かっていたことだった。

「フェアじゃないもの。内通者なんて」
「なる気もないしなあ。これでもけっこうちゃんとOBやっとるねん」

 ひらひらと片手を振った今吉に、リコも笑う。

「ロミオとジュリエットって感じやね」
「そこまで壮大じゃないわ。っていうか相思相愛前提なのやめてください」
「相変わらず厳しいわー。で」

 彼はトンっと机を軽く叩いた。その場を仕切り直す様に。

「‘そんなこと’に気付いてしまった相田さんがワシに逢わずに居られない理由はなんでしょう」

 にやにや笑う今吉が可笑しくて、そうして、その笑顔が嫌味でないことに、リコは思わず笑ってしまった。ふふっと声を上げて笑ったら、今吉は呆気にとられたようにリコの方を見た。

「もしかして、忘れてるんですか?」
「へ?何が?」
「今吉さん、今日誕生日よ」

 堪え切れずにリコは笑いながら言った。言ってそれから、そのことの可笑しさにさらに笑いが止まらなくなる。

「そうよね。誕生日だからって私が会いに来る道理がないもの」
「や、普通に忘れてました」

 郷里から離れているからか、自分の誕生日に頓着する機会もなくて、唐突に言われたその彼女の言葉を噛み砕くのにいっぱいいっぱいの今吉にリコは笑った。

「私もさっき気付いたの。私、資料に選手の誕生日まで書いてたのよ」

 可笑しそうに笑いながら、リコは言った。

「それで連絡くれたん?」
「ねえ、今吉さん」

 笑いながら、それでいて、彼の言葉を遮るように彼女は言う。


「今でも私のことは好き?」


 今吉はそれに一瞬目を見開いて、それから真っ直ぐに応じる。

「もちろん」
「良かった」

 今吉は、それに笑って応じた。彼は相変わらず、「相田さんは?」という聞き返しをしなかった。
 それが、ひどく自分を救うのだ、と勝手でわがままで、そうしてあたたかなことをリコは思った。


「好きや、相田さん」
「誕生日おめでとうございます、今吉さん」

 ちぐはぐな会話だというのに、今吉は楽しそうに笑った。
 保留された答えを、彼は保留にしてくれる。
 たったそれだけなのに、たったそれだけの相手を、ずっと探していたのだ、と彼女は思う。


(あなたはいつも、そこで待っていてくれる)


 君に問う
 私が好きだと、いつまでも言ってくれるかと
 君を訪う




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今吉おめでとう。

2014/6/3