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相田さんも割と酒は飲める方で、ワシも風邪を引いた時以外は、ザルだのワクだのと言われるくらいには飲める。だから、互いに酔いは回っていなかった。
だから、うな重を泣きながら食べる彼女と、自分の重箱を少しずつ食べながら、酒を少し飲みながら、ワシは言った。
「大事な話、しよ」
そうしたら、涙をいっぱいためた相田さんがぱっと顔を上げた。別れ話をされるのだろうと思っている顔だったから、ワシは少々可笑しげな気分になってしまった。そんな話、する訳ない。
「なん…です…か」
掠れた声で彼女が言ったから、ワシはバッグに入れてきた小箱を取り出した。
「これからの話」
「これ…から?」
混乱している彼女をなだめるように頬の涙をぬぐう。
「これからの話が、上手くいかんかったら、最後にしようて、思っとる」
最後、という言葉に、彼女の目からまた涙が流れた。
だからワシは、取り出した小箱を、彼女の前に差し出した。
「あんな、根負けとも違うし、相田さんがワシのこと好きになったワケでもないんやけど、結婚、せえへんか?」
思っていたことを、彼女の前に差し出した小箱を開けて言った。そこに納まっていたのは婚約指輪やった。
「あ…の…!」
相田さんは混乱したように、それでいて、涙は引っ込んでしまったようであたふたしだした。
「第四Qのブザービーターのつもりで、ワシは今日ここに来た。ゲームセットのな。そりゃ、一緒に棲んどるけど、相田さんは線引きしっかりするやん?だから、ワシなん必要ないかもしれんし、邪魔かもしれん。でも、ずっと一緒にいてくれた。だから、ブザービーター決まって勝っても、決まらんくて勝てんでも、これで最後にするつもりや。酷いやり方やと思う。けど、結婚せえへんか。駄目やったら、ワシじゃ相田さんには不釣り合いやってことやから、別れよ。二者択一みたいな、卑怯やって知っとるけど―――」
「何なんですか、それ」
彼女はワシの言葉を遮って、荒々しいまでに、叫ぶように言った。あ、やっぱ負けるかもしれん、と思ったワシに、冷や水というか、とにかく驚愕させるようなことを、彼女は叫ぶように言った。
「私、ずっと卑怯だった。線引きするとか、折半するとか、いろいろ言ってたくせに、あなたがいないと眠れないの。でも、どうにかしてそれを避けようと、なかったことにしようとしてきたんです。今吉さんは、それでも約束を守ってくれて、私を抱きしめて眠ってくれて、それだけで十分だった。十分すぎたの」
彼女は泣きじゃくりながらそう言った。ブザービーターにはまだ時間がある。
「ごめんなさい、こんなこと言ったって、惨めで、醜くて、そうして今吉さんにすごく失礼で、傷つけるだけだって知ってるんです。だけど、だけど……ね」
彼女は…相田さんは、そこで泣いている自分を落ち着けるように一拍息を吸った。吸って、言った。
「私は、今吉さんが好きなんです。辛い時も、苦しい時も、いつも傍にいてくれる今吉さんを愛しているの。今更こんなこと言ったって信じてもらえないかもしれないけれど……!」
言ってしまってから、彼女は顔を覆って泣き出した。その顔を覆う指先に滴が伝う。
だからワシは、その指先を取った。
知っとった。忘れられない過去があるのを。
だけれど、振り返ってくれる日がいつか来るのをずっと待っていた。
彼女の口からそれを聴けたから、ワシはその指に指輪を嵌めた。
「私で、いい、の?」
泣きじゃくる彼女の髪を小さく撫でる。あやすように。
「いいに決まっとるやん。何年待ったと思てるん?」
おどけて言って、彼女の席の方に移る。細い体を抱きしめたら、控えめではあるが抱きしめ返してくれた。
「今吉さん、根気ありすぎ。負けちゃったじゃないですか」
涙声で彼女は言った。それに、ワシは笑ってしまう。
「当たり前やろ。賭けで負けたことないもん」
泣いている彼女の背中を撫でて、髪に指を通して優しく抱きしめたら、今度こそ彼女はしっかりワシに抱きついて、肩口に額を当てた。
「さっきも言ったけど、鰻屋さん、次はいつものところにして」
「ワシが払うからええやん。結婚する訳やしぃ?」
わざと語尾を伸ばして言ったら、彼女は泣きながら、だけれど、ふふ、と小さく笑った。
「駄目よ。あのお店の方が、落ち着くもの。あのお店ではあなたが競馬新聞を読んで、私の好きなお酒を飲んで、今吉さんの好きなうな重と、私の好きな白焼を食べて、何事もなく全部回るの。こんなところじゃ、緊張しすぎて駄目だわ」
初夏の夕暮れ。今日は一日中晴れていた。
昼過ぎに言った「洗濯日和」に相応しい一日やった。
鰻屋から出た彼女の指には銀色の環が輝いていた。
空には、細い月が光っていた。
後書き