愛
「道満さー、サマーキャンプの時なんかキアラさんに当たりきつくなかった?」
マスターに問われて、拙僧はふと彼女の顔を見返す。ああ、気づかれていましたか。そうして、この女の童と言って差し支えのない、いえ、拙僧が生きた時代ならばもう大人でしたな。その少女にふと重なるものを思い出していた。
「八百比丘尼を騙った故、と申しておきましょうか」
「え?道満って八百比丘尼?キアラさん?苦手?」
人類悪に慣れなかった的なー?と言われて、ふと笑みがこぼれる。違いますとも。拙僧は、いえ、儂は。
「その比丘尼に仕えていたのですよ、あのビーストが騙った比丘尼に」
「へ?」
間抜けた声で言ったマスターは、あの方のことなど知らぬのでしょう。知らぬから、重なって見えるのでしょう。
「昔話をいたしましょう」
ええ、あなたの行いはまるであの方にとても似ているものですから。
「拙僧は、前に申し上げた通り、平安は京の都にいた折に、僧伽の姿であったのです。人を助けることもありました、害することもありました。しかし一番長くその時を過ごしたのは、八百比丘尼に仕えていた頃かと」
その言葉に驚いたようにマスターはこちらを見た。ええまあそうでしょう。この姿、戦った全てから、そのようなこと、想像も出来まいと思いながら、訥々と語る。
「八百比丘尼は人魚の肉を啖ろうて千年の命を得、そのうちの二百年を人に譲ったとあそこで聞きましたね?しかし違うのです。あの方は永遠の命を得た。それは誰に譲ろうとも変わることはなかった、永遠不変の貴婦人なのです」
「その人に、仕えていたから、キアラさんが気に入らなかった?」
察しの良い方だ。その通り。
「そうです。あの方と私は、京の都からおち方まで歩き、霊脈に椿を植えて行脚いたしました。あの方が英霊に?あり得ないのです。あの方はまだ生きておられる」
ああ、拙僧は信じております。あの貴人は今もまだ生きて、この何もなく白紙化した地球の霊脈に、椿を植え続ける永遠の童女、永遠の貴婦人だと。
その姿は。
「その姿はまるであなただ」
「なんのこと?」
ぽかん、とこちらを見返したマスターに、ふと笑う。もう何もない、もう何の希望も、あるいは絶望さえも残っていないこの地球という世界で、あなたはわずかな霊脈で以て世界を救わんとしている。
ああ、あの方が人類悪になるなどあり得なかった。
あの方は世界を愛していた。生きとし生けるすべてを愛していた。
しかし、そのすべてを愛してなどいなかった。
鈴の音のような笑い声が、金属が触れるような低い声が、耳の奥に蘇る。
「あなたは、人類悪にはならないでしょう」
そっと爪をマスターの顎に宛てて顔を上げさせる。驚いたように彼女はこちらを見た。
「あなたは、人を愛してなどいない」
「そんなこと、ないよ」
いいえ、拙僧には、儂には分かります。あなたはもう、ヒトなど愛せるはずもない。
世界を愛することを、決められ、義務付けられたのですから。
この世界の僅かな霊脈でもって、この世界を守り、歩み続けることを、運命とされたのですから。
それはまるで、八百比丘尼のように。
それはまるで、時が止まった童女のように。
「あなたは今おいくつですか」
「……え?」
ええ、もうあなたの時間など止まってしまったのでしょう。あらゆる特異点、あらゆる異聞帯、あらゆる世界を渡るうちに、あなたはもうその姿も、魂も、あの方と同じになったのでしょう。
「愛しましょう、あなたを」
「……道満?」
ああ、世界を救わんなどとあの方が目指したように、この少女は歩み続ける。
自らの愛するものさえ分からなくなるほどに壊れながら。
自らの愛するものさえ壊しながら。
なればこの道満、我が主を愛しましょう。人を愛せぬならばそれは道理。
「あなたは、最早人ではない」
そう言えば、マスターはゆっくりと目を閉じて何か憂えるような顔をなさる。その桜色の唇に、軽く冷たい自身の唇を寄せる。
愛しましょう、最早あなたは人ではない。なればこの道満、あなたを愛することが出来る。
ヒトを、愛せぬのだから、あなたを愛することはできる―――
==========
ぐだっていろいろ終わってるよねっていう話をしたかったのですが、道満が一番抉り出してくれそうだなあっていうのと、一回抉り出すと恋愛感情になりそうなのが蘆屋くんだなと思って。
2021/8/27
2022/5/6 サイト掲載